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【小説】新しい鳥の素材

 気温が下がらない常夏のような環境だ。生え変わる必要もよくなりずっと飴色をした翼のアマサギが、乾燥した空を飛んでいる。見下ろした大地は見渡す限り白い砂ばかり続く。地球上に水がなくなった。だけど、その地面には稀に植物が生えている。サボテンだった。広い大地に点在するサボテンの一つ一つは遠く離れている。アマサギはその間をパトロールする。この殺風景な砂一面の世界に変化をもたらすサボテンを待ちながら。空間にしても時間にしてもずっと長い間行き来する。

 アマサギが休憩のため止まるのは牛の背中だった。牛と呼ばれるのは大きな多機能性機械だ。牛は大体もう何年も動いていない。それをいいことに、わたしは岩陰の代わりにその牛を拠り所にしながら暮らしている。

 そんなわたしの元にブンチョウが舞い込んできた。

 事の始めはその一ヶ月前くらいだっただろうか。Fさんがやってきてこう言った。どうしても用事がある時にしか滅多に人は人を訪ねたりしないから、それはとても珍しいことだ。

「私のところにも一羽目のブンチョウがやっと来ましたよ」

 嬉しさと隠しきれていないちょっとだけの自慢を滲ませる声だった。私はそれを羨ましがる程にも、ブンチョウに対してそもそもの興味があったわけではないから、嬉しそうなFさんをみているだけで、微笑ましくあたたかい気持ちになった。Fさんの頭の上を物珍しく見上げると、白いものがパタパタと羽を動かして空中を飛んでいる。

「これがブンチョウですか。初めて本物を見ました」

「初めてですか。じゃあこれからおたくにも近いうちに一羽目のブンチョウが迷い込むかもしれませんね。これは感染みたいなものですから」

 Fさんはこのままこの舞い込んできたブンチョウを飼うつもりだといった。ブンチョウは物語を語る習性がある。その物語を聞くのが楽しみなのだそうだ。ブンチョウを飼うことは本当は禁止されている。それはブンチョウではなく、飼い主側への影響を考慮したものだ。ブンチョウは増加し、人はその感染の一途を辿っている。
 
 だけど実際はFさんのようにむしろ多くの人が、自分の元にブンチョウが迷い込んできたことを一種の幸運だと思っているのではないだろうか。白い砂しかない世界で、みんな退屈な日々を送っているからだ。

 Fさんは「これでわたしも今度の読み合わせの会に初参加出来るかと思うと、またそれも楽しみです」と言って帰って行った。

 予告された通り、わたしの元にもブンチョウが迷い込むにはそれほど時間が掛からなかった。それまで人ごとだと思っていたものが改めて目の前に現れると、ブンチョウについて、殆どなにもよく知らないことを実感する。いざ自分の身に厄介ごとが降りかかると、無関心でいることももはやできない。

 とりあえず、Fさんのところへ行って、いろいろと教えてもらうことにする。今日の空気は一段と乾燥している。

「ブンチョウっていうのは、紙の本の幽霊であるとともに、雨の幽霊でもあるのです」
Fさんはいつもながら丁寧に教えてくれる。

ーーー人々に読まれなくなった紙の本が不貞腐され、ページを羽ばたかせる現象が報告されたのは、そんなに古いことではありません。当初はブンチョウ現象と呼ばれていたものが、その鳥そのものをブンチョウと称すようになりました。鳥の形をしたものは、紙の本の幽霊なのではないか。もちろん報告といっても、もはや新聞もテレビもネットも衰退してしまった現代のただの風の噂ですけれど。

 噂にしては詳しいですね、と感心している私にFさんは、先日の読み合わせの会で聞いてきた請け売りですよ、と言って笑った。

 だけど、雨の幽霊とは?

ーーーかつて人間がまだ二本足だった頃には当たり前に雨が降っていました。当たり前の光景、雨の降る街路樹や道端に打ち捨てられた雑誌や文庫本。雨に濡れた紙の本はページに水を含み、ヨレヨレブヨブヨになる。雨が上がって晴れた空の下、紙の本は乾くと紙は硬く固まる。一度雨に濡れた紙の本がブンチョウの正体です。
 本当の鳥が現代の人間を見たら、近寄ってくるなんてことにはならず、おそらく向こうから逃げていったことだろう。なぜなら、進化の末の現在の人の形は蛇と同じだからだ。長細くて手も足もないから物を持つこともできない。
「それはつまり、人類が身体の進化を自由に楽しんだ結果とでも言えば良いのでしょうか」どんなに姿が変わっても、ブンチョウは自らの1番で唯一のよき理解者を求めて人間を訪ねてくる。
「シンプルに生きよう」それは変化の過程の末を予測し、仕組まれた管理社会のキャッチフレーズだった。昔はそのキャッチフレーズが牛にも書かれていたようだけれど、その文字もとうにかき消えてしまった。牛とは旧型人類の時代に最後の悪あがきとして作られた環境整備用機械装置の名残で、半永久エネルギーで動く。それらの装置と共存し、過去の管理社会の遺物に頼りながら、人間を含む生命は生きている。
乾燥化は長い目でみた歴史からは人間を含めて地球上の生命に滅びるのではなく、水のない環境でも生き延びられる新しい生命体への進化を促した。その進化は人間が作り出し、持っていたさまざまなモノを放棄させるに至った。

 わたしは自分の頭の上を飛んでいるブンチョウをまじまじと見上げた。確かにFさんが話してくれたように、羽には硬さがあった。そもそも紙の本であれ、雨であれ、ブンチョウは幽霊と言われながらもはっきりとした実態を伴っている。成仏できなかった死者とは精神に基づくものか、物質に基づくものか。

「精神の残骸としての幽霊があれば、物質としての残骸も等しく幽霊です。」

 環境の変化によって失われた物質があまりにも多いと、精神と物質、それらを分けて考えることが難しい気がする。もしくは、人は見えないものだから感情に執着して楽しむように、失われた過去の遺物も見えなくなると、また別の形になって現れて執着してしまうのかもしれない。

 しかし、それからしばらく迷い込んだブンチョウはわたしに取り憑くだけで一向に何も言わなかった。毎日頭の上を円を描きながら高低さを変えて飛んでいる。わたしは別にそれはそれで構わない気もしたけれど、Fさんが何度かわざわざそう近くもない距離をやってきてわたしに聞いた。
「このブンチョウはどんな物語を語りますか?」
「このブンチョウはまだ何かを語ったのを聞いたことがありません」
 その度に、この無口なブンチョウを二人で見上げた。

 Fさんはわたしを読み合わせの会にも誘ってきた。読み合わせの会とは、自分たちに取り憑いたブンチョウの朗読を聴き合う集会のことだ。愛好家たちはみんな、自分の持っている物語を披露して自慢したいという気持ちと、他人の持っている物語を聞きたいという欲求があるのだそうだ。みんな自分が知らない新しい話に興味がある。わたしに取り憑いたブンチョウがどんな話をするのか、どうやらFさんは本当に気になるらしい。

 Fさんがあまりに熱心に誘うので、しばらく考えたのちに、わたしも次の読み合わせの会に参加することにした。

 こんなにもまだ人は生き残っていたのかというほど、読み合わせの会には人が集まっていた。憑かれているブンチョウが一羽と言わず、何羽にも呪われている強者さえ少なからずいる。ブンチョウに憑かれ易い体質というものがあるのかもしれない。

 Fさんより、会長なる人を紹介された。その人の頭の上には十八羽のブンチョウが飛んでいた。
「ワタシのブンチョウたちは全部で十八羽いるので、十八話の語りをします」というのが会長の口癖だった。羽と話を掛けている。今では過去の遺物である文字、しかも漢字を、参加者たちはブンチョウから研究する。自分たちの尾の先を筆にして、砂の地面に文字を書く。
「文字が人間に読まれなくなると、文字自身が言葉を読むようになるとは、それ程までに言霊は自らの業が深いということでしょうか」

 それに応えるように、身体が進化して文字を放棄したが、人間も自分たちが作り出したものへの愛着と好奇心は十分に残っているようだ。


 読み合わせの会では、各々のブンチョウが声に出して読み上げて披露する物語を聞き眺めた。それはブンチョウが紙の本だった時代に書かれた文字を音読したものだ。ブンチョウたちは順番にステージになっている止り木にやってきては、自らのアイデンティティに基づく思い思いの物語を語る。エンターテイメントやホラー、サスペンス、SFなど。物語を聞いている人たちの目の前に広がる白い砂の世界が一変して、言葉だけで楽しく色鮮やかな世界が広がっていった。それは今まで知らなかった色だし、これからも本当には見ることがない色だろう。だけど色はその物語の中で感情を伴う言葉で表されていた。Fさんが夢中になるのも頷ける。
一通り他のブンチョウの物語を楽しんだあと、会長がわたしの方を向いて言った。
「さて、そちらの新しいブンチョウはどんな物語を聞かせてくれますか?」
わたしの頭の上のブンチョウは自分が呼ばれたことがわかったようで、止り木に止まった。

 ブンチョウはしばらく黙っていたけれど、しばらくして遠慮がちにポツリポツリと何かと言い始めた。聞き取れないので近づいてよく聞いてみる。

「6月13日、雨」

それは日付と天気だった。一つ言ってはとても間をあけて、また次の一つをポツリという。雨、晴れ、曇り。随分と控え目な語り方をするブンチョウだった。

「これはどういう物語ですか?」とわたしはFさんに聞いた。Fさんもよくわからないと言って、他の人に聞いていると、一人がとうとう思いついたように言い出した。

「これは日記ではないでしょうか」

「日記とはどんな物語なんですか?」とわたしは聞いた。

「日記は書いた人の一日の出来事を日付と天気と一緒に記したものです。だけどそれはたいてい書いた人だけの秘密なのです。だからブンチョウも、日記に書かれた出来事の物語を言いたいけれど言えないジレンマを抱えて、かろうじて日付と天気でごまかしているんじゃないですかね」

 結局それからも私のブンチョウは相変わらず無口だった。でも、たまにはるか遠い昔の日付と天気を語ることがある。だから、前より少しずつこのブンチョウのことがわかったような気になっている。たまに目の前の白い砂の景色に雨が降るところを想像したりする。

 失われた末に残ったのは、風景も一緒だった。現在に残された風景には、乾燥して管理されなくなった大量の廃物として紙が地上で揺れる。もともとの薄っぺらさに加えて、風化の一途をたどる紙はやわくて脆い。乾いた白い砂にまみれ、地面の上のあらゆる場所に放置される。
 そんな中で何十年間に一度しか咲かない花は、それが初めてみるものでも知識や情報がなくても、それが特別なものだとアマサギは感知する。長い間そこにあった景色を変えるからだ。景色とは、色、形、においで構成される。そこに複数の感覚があることが重要だ。それまではなかったものが、突然、存在として現れる。現れたのは突然だけれど、花が現れるまでには長い準備があった。
 崩れかかった生態系で、受粉の媒介者の役目を実行するのは、アマサギと牛だった。アマサギは小回りがきく分、遠くどこまでも気軽に飛んでいける。けれど機能が限られているから、花粉の管理は牛が担当する。アマサギは、牛を連れて何年もかかって咲いた貴重なサボテンの花を受粉させ、またサボテンの花粉を保存し、種子を回収して管理する。
牛がいないと役に立たないし、アマサギだけでも役に立たないし、サボテンだけでも役に立たない。じゃんけんみたいな共生循環が続く。
  牛の陰から小さな蛇のようなものが逃げていった気がした。だけどそれは気のせいかもしれない。

※「未来の色彩」をテーマにした小説です。第2回かぐやSFコンテスト選外佳作。

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