出町座でのペドロ・コスタ監督のイベントメモ

先日出町座でペドロ・コスタ監督のトークがあった。堀潤之さんが素晴らしい質問と通訳をされていた。それらの言葉をメモしながら聞いた。そのトークのメモの字起こしを掲載します。録音ではなく、手書きのメモの文字起こしになるので、主観や間違いが混ざっているかと思いますが、興味のある方に読んでいただければ幸いです。(公開は出町座の田中さんに了解を得ました。)

12/2(月) 18:05〜20:45終 @京都・出町座
『溶岩の家』上映+ペドロ・コスタ監督トーク
 聞き手・通訳:堀潤之さん(映画研究・表象文化論/関西大学文学部教授)

〈カーボベルデ島について〉
堀:ポルトカルから離れてアフリカのカーボベルデ島で撮影したのはなぜですか?
PC:当時の複雑な政治状況に居心地の悪さを感じていたので、別の場所で撮ることを選びました。
〈プロデューサのパウロ・ブランコとの関係について〉
PC:リスボンの映画学校に通っていたけれど、2年で辞めました。友人に助手をしないかと声をかけられ、その時の映画のプロデューサーがパウロ・ブランコでした。当時彼はたくさんの映画を手がけていた時です。
それから私は自分でも作品を撮り、それが「血」でした。パウロは「血」を気に入り、プロデューサーが必要なら自分がやるぞ、と言いました。
堀:日本でパウロ・ブランコは海賊と呼ばれたりしているけれど、実際のところはどうですか。
PC:パウロは知的、シネフィル、業界人、ギャング、海賊、といった人柄だったかもしれないですが、自分とは、誠実で正直な関係性でした。
ちょっと前にリスボンでパウロに会ったけれど、その時は、仲が良かった映画人たちが死んでいき、今はひとりぼっちだ、と語っていましたよ。
少し、今日の感想を挟むと、ここ(出町座)はきれいな映画館です。今、私はビールを飲んでいますが、アル中ではないですよ。
〈「血」について〉
堀:「血」という映画はレファレンスにあふれた映画です。映画の世界の海の中で沈むような感覚を覚えます。「私はゾンビと歩いた(監督:ジャック・ターナー)」「顔のない目(監督:ジョルジュ・ フランジュ)」などの多様な引用がありました。「血」と「溶岩の家」について、映画史に対する観点に違いはありましたか?
PC:「血」はたくさんの映画を取り入れた作品です。フランシス・レイ、フィリッツ・ラング、アメリカのフィルムノアール(1930〜50年)の古典的な映画を取り入れました。夜の、ロマンティックな映画です。その頃は自分も暗い映画館でずっと時間を過ごしていました。
一方で、「溶岩の家」は参照は少なかったですが、火山を撮るのにロッセリーニに思いを馳せずにいることが難しいのは、宗教を撮るのにブレッソンを思いを馳せずに撮るのが不可能であるのと一緒です。
「溶岩の家」を撮影している時に考えたことは、自分が本当は何が好きか、ということです。自分にしか作れないものは何か、ということです。そのため、他の映画について考える余裕はありませんでした。そして、撮影場所も遠い島であり、電気もないところで、ラディカルな場所であり、何かを変えないといけない映画体験でした。
自分は、風景やフィクションは好きではないこと、そして家や人々、ドキュメンタリが好きであることに気がつきました。
〈「溶岩の家」のスクラップ・ブックについて〉
堀:「溶岩の家」にはスクラップ・ブックがあります。ポルトガル語で書かれていて、女性のポートレートや写真、絵画、セリフ(シナリオ)の断片、新聞の切り抜き、などが載っています。さながら、ゴダールの「イメージの本」みたいです。撮影中にはどのように役立ちましたか?
PC:このスクラップブックはゴダールのやっていることと近いです。ゴダール自身コラージュのシナリオ、切り抜きを作っている。しかし、ゴダールもアンドレ・マルローからアイデアを借りてきたものです。「沈黙の声」や「想像の美術館」です。あらゆるものを並べること。北斎とマン・レイ、ミケランジェロとストローク、ラスコーの壁画とピカソ。芸術は今日のものです。古いものがあるのではなく、全てが今日的なのです。
中のノートは方眼紙で生徒の使うノートのようなものです。そこに貼り付けてあります。これは秘密のノート、自分のノートです。
「溶岩の家」を作る際、古典的なシナリオも100ページくらいのものがありました。しかし、常にリュックに入れているスクラップブックは、真のシナリオでした。
また、古典的なシナリオは、お金を得るためには必要です。しかし、イメージのシナリオは仕事、観念にイメージを与えるために重要になります。若い映画作家がこういったイメージでプロデューサを持てれば良いと思っているけれど、実際は、言葉やセリフをプロデューサは求めています。
〈非職業俳優について〉
堀:「溶岩の家」は島の住民が登場します。主要な人物をどうやって選びましたか?
PC:当時プロの俳優に疑問を持ちはじめていました。自分が好きになれない何かが職業俳優にはあり、非職業俳優が、プロの俳優に抵抗できるものは何かを考えていました。そして、島の現地で会う人は強いものを持ち、抵抗しうるものを持っていました。自分が望んだのは、硬い芯のある人、岩のような人、溶岩のある土地のように、物静かだけれどNonと言える強さのある人を選びました。
〈ポルトガル語とクレオール語〉
堀:映画はポルトガル語とクレオール語が混在しています。エディットはクレオール語しか話さなくなったポルトガル人です。主人公のマリアーナはゆっくり話すならクレオール語はわかるといっています。プロの俳優にクレオール語を喋らすことについてはどうでしょうか。
PC:クレオールはラテンアメリカやアフリカに、あらゆるクレオールがあります。抵抗の言葉です。植民地を支配するスペイン、ポルトガル、フランスに抵抗します。カーボベルデで撮影する以上、全ての俳優がクレオールを学ぶ必要があると考えました。面白いエピソードとしては、エディットはクレオールを3秒で覚えて、島に溶け込んだけれど、イサックは学ぶことに対して抵抗しました。彼は非常にパリ化、フランス化した黒人だったのです。
〈トラベリングについて〉
堀:アリアーナは常に歩いています。躊躇なく歩く人物として描かれています。トラベリングの使用が多い。カーボベルデの病院から市場へ行く時や重そうにレオンの押す車椅子のシーンなどが印象的です。一方、「ヴァンダの部屋 」では固定のショットが多くなります。トラベリングの軽さ、軽快さについてどう思いますか?
PC:カメラの移動にはプロデューサーなどの準備が必要となってきます。「ヴァンダの部屋 」以降は1人で、お金がない状態で撮ることが多く、固定のショットも多くなります。トラベリングはカメラの動きではありません。そういうことではなく、人々の動きであり、1つのショットの動きで導き出だせます。しかし、カメラをつけ、ポーズをつけるのが良いという考えに至りました。
〈タラフェル強制収容所について〉
堀:映画の中のエディットは、タラファル強制収容所に夫が収容された未亡人であることが手紙のやり取りからわかり、看護婦のアリアがその施設で大量の食事を作っていたエピソードなどが出てきます。その2人が夜に屋上でダンスをするシーンに字幕では「青春バンザイ」直訳すると「動いている若さ」というセリフがありました。2人の女性の協働が良いシーンです。タラファル収容所が映画にもたらすものはなんでしょうか。
PC:この収容所はナチスの収容所みたいなものです。世界で一番初めのものです。カーボベルデで撮る以上、収容所に触れずにいることは不可能でした。私はラディカルで左翼に振れているのもあります。エディットはかつての囚人の未亡人です。レジスタントに関わったあらゆる故人に思いを馳せながら物語を作りました。

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