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読むと☆少しだけ\\元気が出る//そんなコラムを掲載します。書き手は、いろいろ。いろんな人の想いが、あなたに届きますように♪「たらちねの 母がなりたる 母星の 子を思ふ光 吾を照せり」(正岡子規)→この句が\tarachine/の願いです。

最近の記事

コラム【もやい】41回目「責任転嫁の罪」

 「戦争が終わったら、まるで自分一人『戦争には反対してきたんだ』と偉そうなことを言う人がいる」。あのテレビ視聴率50%台という明治生まれの女性の苦労を描いたNHKの朝ドラ「おしん」(1983年)◆その脚本家・橋田壽賀子さんが亡くなって来月4日で1年になる。明治の初め、山形の貧しい小作農家に生まれた「おしん」が、口減らしのため年季奉公に出たところから始まる◆奉公先から逃げ出す途中で、日露戦争に嫌気をさした脱走兵に救われる。投獄された農民運動家との出会いもある。結婚し、大学生の息

    • コラム【もやい】39回目「貧しき者への施す心とは」

      軽妙な風俗関連のエッセイストで知られる嵐山光三郎さんの本を図書館で借りた。「人生勝率五割」◆江戸時代、褌(ふんどし)に銭を包み、道端にわざと落として厄払いをした。光三郎さんによると、「ささやかな厄災を自身で用意して落とす」のです。こと厄年のかたは是非◆井原西鶴の「日本永代蔵」では、なんと、400両を厄落としに大奮発した大名もいたそうです◆豊臣秀吉にいたっては目に入れても痛くないほど溺愛した嫡男の秀頼の幼名を「拾丸(ひろいまる)」と称し、生まれてまもない愛児をいったん往来に捨て

      • コラム「もやい」38回目「悲しみ」ではなく「希望」を

         一年の心を洗うとき、「悲しみ」が浮かぶのではなく、「希望」が浮かぶようにと念じつつ◆散歩がてら見かけた親子連れの鹿、至るところに四季の草花が。小川の上を明滅しながら飛ぶ蛍などコラムの素材に恵まれた京都・京北の地での生活◆思えば、記者時代から、文字をならべ、言葉を紡ぎながら文章にしてきました。でも、文字をみるのも書くのも嫌になる時があります◆近々では大阪・北新地での放火事件。誕生日を間近に控えた娘さんら、最期の言葉さえも家族や恋人らに残せず逝った25人◆残された遺族らの声や映

        • コラム【もやい】37回目「[ I Love You ]の訳は?」

           「アイ・ラブ・ユー(I love  You)を『愛する』と訳して日常的になったのはそんな昔からではない」。こう教えてくれたのは北海道・旭川の高校生時代の英語の教師です。石田先生。白髪の奇麗な品の良い先生でした◆では昔はなんと訳していたのだろうか?石田先生によると、夏目漱石は「死んでもいいわ」と。なるほど漱石の方が何か胸にぐっときますね。でも、「入試で『死んでもいいわ』と訳したらパスしないだろうな」と笑っていました◆そういえば小学生の頃に流行った歌謡曲に「骨まで愛して」という

        コラム【もやい】41回目「責任転嫁の罪」

          寸言3回目「天国はもう秋ですか?」

           数年前のことです。HNKのラジオ深夜便でお坊さんが、「心に響く俳句」について語り始めました。その中で取り上げたのが交通事故で父親を失った三重県の女子高生の句でした。「天国はもう秋ですかお父さん」◆読み上げて後、しばらくそのお坊さんの言葉がラジオから消えたのです。僅か5、6秒でしたが、とても長く思えました◆その後のお話を。5歳の時にお母さんが病気で亡くなり、以来、お父さんと3歳の弟との三人暮らし。娘さんが、高3の時でした。お父さんが、稲刈りを終えてトラクターで帰宅途中、飲酒運

          寸言3回目「天国はもう秋ですか?」

          コラム【もやい】36回目「人は愛するために生れてきた」

           作家の瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。99歳◆晩年は骨折、がんなどの病と闘いながら、東日本大震災で悲しみの中にいる人に寄り添い、反戦・平和のために体をはりました◆小説家として売れっ子の51歳の時、突然、出家し尼僧に。「お金も地位もいらない」。まだ若いころに、幼子を残して若き書生と恋に落ちて家をでました。それを、「わが身の煩悩と家族への責任。それが書くことだった」のです。  寂聴さんとのことを2つお話します。初めてお会いしたのは22年前、京都・嵯峨野の「曼陀羅山 寂庵」を訪

          コラム【もやい】36回目「人は愛するために生れてきた」

          コラム【もやい】35回目「歌おうか!『夕焼け小焼けで~』」

           「夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘が鳴る~からすといっしょに かえりましょ」。作家の浅田次郎さんが2010年2月に開かれた「新日中友好21世紀委員会」のメンバーとして北京へ行った。2日間の会議の後には、迎賓館で温家宝国務院総理との面会もあり緊張の連続だったそうです◆だが、それよりも浅田さんの心に帰国後も残ったことが他にありました。中国作家協会主席の鉄凝(テイエニン)さんが挨拶のなかで、かつて訪日したときのことを話しました。「東京の街を歩いていたら聞き覚えのある歌が

          コラム【もやい】35回目「歌おうか!『夕焼け小焼けで~』」

          コラム【もやい】34回目「慈しむ少女の姿から見えるもの」

           秋の夜長を読書?それとも澄んだ夜空の星座を?深夜には冬の星座も見られます。天頂近くに4つの星が四角く並んでいるのが「ペガスス座」の天馬の胴体です◆さぁーて・・今回のコラムは、江戸末期から明治初期にかけての話題を二つお届けしますね。心温まる人々が登場します◆江戸時代の風儀を残す明治の初めに来日し、東京帝国大学に招かれた動物学者のエドワード・モース。もう一人は、幕末の上総請西藩(現・千葉県木更津市)藩主の林忠崇です◆モースは、ある晩に、日本人の少女二人を連れて東京の夜店に出かけ

          コラム【もやい】34回目「慈しむ少女の姿から見えるもの」

          コラム【もやい】33回目「白鵬の母の言葉の重み」

           「古いアルバム~めくりありがとうってつぶやいた~励ましてくれる人よ」「晴れ渡る日も、雨の日も」「~会いたくて、会いたくて~」。15歳でモンゴルから相撲取りになるため日本に来た元・横綱がいます◆稽古や相撲のしきたり、古い上下関係、時にはいじめなど、辛くてモンゴルに戻りたいと夜になると部屋を抜け出し屋上や公園でご両親への想いを馳せながら涙を流した時にこの「涙そうそう」が心の支えになったというのです◆白鵬です。この秋場所で引退しました。私は相撲の事は、ずぶの素人。ですが、なんとな

          コラム【もやい】33回目「白鵬の母の言葉の重み」

          コラム【もやい】32回目「「墨を磨る」という効用は?」

           「もう秋か」。近くの小川で舞った蛍に思いをはせているうちにもう9月も中旬に。庭では朝晩、コオロギの鳴き声が。稲穂が実る田んぼには数百匹の赤トンボが飛び交っています。京都・京北に住んで1年半◆「夜の沈黙(しじま)の中でひとり静かに墨を磨れ かすかな反復音を確かめよ~心細かったら 今もどこかで同じように 生きていることの悲しみと苦しみを 織り込むような仕事をしている人が 間違いなくいることを信じて 墨を磨れ」。独自の書論を展開している書家・石川九楊さんが、京都市内で開いた書道塾

          コラム【もやい】32回目「「墨を磨る」という効用は?」

          コラム【もやい】31回目「見知らぬ人も私に拍手してくれたんですよ!」

           「先生、わたし、夢を見つけました。嬉しくてね」。数年前、ある知り合いの心療内科医から「心の病」にかかった患者さんのお話を伺いました◆患者(女性)さんは、検診の度に、「誰からも必要とされない」「誰からも愛されない」「所詮、私は生きている価値のない人間」。アドバイスした後は抗うつ剤や精神安定剤の処方を。長年通っていたクリニックへの音信も途絶えていました。それが急にクリニックに現れ、先生に冒頭の言葉を◆その患者さんは、若いころ、どの職場でもいじめにあい、解雇、転職を繰り返し、「中

          コラム【もやい】31回目「見知らぬ人も私に拍手してくれたんですよ!」

          コラム【もやい】30回目「自分だけの魔法を探しませんか?」

           雨の日は楽しい本を・・コロナ禍の中で不安の日々を。そんな気にもなれない時もありますね◆童話作家の角野栄子さんとお話した時のことを書きますね。「魔女の宅急便」の著者です。絵を描くことが好きだったお子さんが、魔女を描きました。それを見た角野さんは「わぁ楽しい魔女ね」◆角野さんが学生時代に見た雑誌の写真。「鳥の目からみたニューヨークの風景」が急に頭に浮かび、お子さんの描いた魔女と鳥が結ばれ、生まれたのが「魔女の宅急便」。宮崎駿さんのアニメにも(写真/© 1989 角野栄子・Stu

          コラム【もやい】30回目「自分だけの魔法を探しませんか?」

          コラム【もやい】29回目「ニューギニアに降った雪」

           70数年前、太平洋南部にあるニューギニアにいた日本兵の頭の上に雪が舞った。まさかの雪に歓声があがり、そして深い悲しみに◆前進座の加藤徳之助さんが32歳の時に召集されその冬、敗戦濃厚な“生き地獄”とも言われたニューギニアに送られた。当時のニューギニア戦線の記録を読むと「ネズミやトカゲなど食べられるものは何でも口にし、マラリアやデング熱を病んだ兵隊の姿は骨と皮だけに」◆そこで、司令部は加藤伍長に兵隊を鼓舞しようと「演芸分隊」の編成を命じた。そこら辺の資材を使い小屋を建て、俄仕立

          コラム【もやい】29回目「ニューギニアに降った雪」

          コラム【もやい】28回目「かぁちゃん、行ってまいります!」

           東映の戦後70周年記念作「おかあさんの木」(原作・大川悦生・2015年6月公開)。戦争末期に召集で戦地に向かう我が子が、見送りにきた母親・ミツへ語った最後の言葉です◆ミツは、沢山の子宝に恵まれました。名前も一郎、二郎、三郎~六郎と。貧しい中でも笑顔の子育てが生きがいに◆しかし、戦争が始まり生活が一転しました。一郎に召集令状がきて、皆に祝福されながら喜び勇んで出征したのです。寂しさの中でミツは、桐の苗木を1本植えました。さらに、二郎、三郎、四郎にも召集が。ミツはその度、苗木を

          コラム【もやい】28回目「かぁちゃん、行ってまいります!」

          コラム【もやい】27回目「ばっちゃんを裏切りたくないけん!」

           「ばっちゃんと約束したし、よくしてくれるけん。僕、ばっちゃんを裏切りたくないけん」。ばっちゃんこと中本忠子(ちかこ)さんの頬に一筋の涙がこぼれました◆「ばっちゃん~子どもたちの居場所 広島のマザーテレサ」(扶桑社)の一節にあります。福祉ネットワークで知られるNHKディレクター・伊集院要さんが、広島の保護司の忠子さんと非行に走った子どもらとのふれあいの姿をNHKスペシャル(2017年1月)で放映した時のことを本にしました◆保護司とは、「暴行」「万引き」など、法律に触れる行為を

          コラム【もやい】27回目「ばっちゃんを裏切りたくないけん!」

          コラム【もやい】26回目「おもてなしのこころは『奉仕の心』

           「水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなへ人にもほどこし、吾ものむ」。茶人で僧侶でもあった松花堂昭乗が隠居所として建てた草庵[松花堂](写真=松花堂庭園提供・八幡市)の学芸員・川畑薫さんは、千利休の言葉を門人が編したと伝わる「南方録」を示してくれました。「神や仏を純粋な気持ちで敬い、奉仕のこころが生れ、そこからあふれたこころが、人にももたらされる。それが客人をもてなすこころの源なのかもしれません」と。  このコラムを書いていたら宮崎から「日本講演新聞」(7月

          コラム【もやい】26回目「おもてなしのこころは『奉仕の心』