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日本酒は、炊きたてのお米と同じ。

冷やした日本酒が飲めなくなってしまった。
すべて、ガッツのせいだ。
最近通っている(といってもまだ2回だけど),

熱燗しか出さないBARがある。

それが、ガッツだ。

「日本酒は炊きたてのお米と同じ」

マスターのその一言で、僕の人生は変わった。といって3週間前に、はじめて行ったので、ガッツのことなんて、すぐに忘れるかもしれない。もしかしたら、本当に人生が変わる体験かもしれない。どっちでもいいけれど、この3週間だけでも、人生は変わった。すごく楽しかった。

ガッツで日本酒を飲みながら、日本酒への愛を解かれた。

あなたは、日本酒を、生涯、愛しますか?
と聞かれはしないが、誓いをさせられそうな気分になる。
ここは、教会か!!という場所だ。

「日本酒は、炊きたてのお米と同じ」

それはどういうことなのか。

ここからは、僕の解釈がふんだんに入っているので、きになる人は、まず、ガッツに行って欲しいと思う。なるべくフラットに伝えたいと思うけれど、自分の感じた衝撃が強い分、それが滲み出てしまった。マスター、間違えていたら、ごめんなさい。

日本酒が炊きたてのお米と同じだとすると。
炊いたお米を冷蔵庫で保存したものを、そのまま食べたら美味しいか?そう聞かれたら、間違えなくノーだ。パッサパサの固いごはんは、どんな美味しいおかずにも合わない。せめて、レンジでチンして、温めてから食べたい。

日本酒も、保存のために冷やしていたとしても、熱燗(チンではなく、チロリで湯煎ね)にして、お米の炊きたてのように、そのお酒に似合う温度まで温めて飲んだ方が、お酒の味(=お米の味)がしっかりわかる。

日本酒自体が「精米したお米」というイメージでもいいと思う。
日本酒が「精米したお米」だとしたら、炊飯して食べるのが、道理だ。「熱燗」が日本酒における「炊飯」ということになると、「熱燗」以外の選択肢がなくなってしまう。

ガッツの伝えたいことはそういうことだ。


『冷酒を認めないなんて、あぁ、なんとも狭い考え!!!』


と思う人もいるだろうけれど。というか、僕もまだ、ちょっとその気持ちも残っている。しかし「熱燗道」とも言える、ガッツで飲む日本酒が大好きになってしまった。

「日本酒は精米したお米。飲むときは炊きたてのお米のように。」
一度、その観念ができてしまうと「冷酒」がおいしいとは、
おいしいかどうか、というよりは「冷酒」がその日本酒にとって
「愛のある飲み方」とは、思えなくなりつつある自分がいる。

これはもう、SMやフェティッシュの世界観だ。

痛みや、ハイヒール、赤い服のように、特定の「脳内トリガー」が弾かれないと気持ちよくなれないように。冷酒じゃ感じられない「身体」になってしまうような感覚だ。

M男が細いピンヒールで踏まれないと、愛を感じられない身体になってしまうように、熱燗じゃあないと、愛を感じられない身体になりそうなのだ。これは、幸せなことのようで不幸なのかもしれない。幸せな方を選べと言われても、これは自分で選べるものではない。
性的嗜好のように、それはもはや、自分で決められることではなく、経験、記憶、タイミングで、勝手に出来上がるトリガーだ。
「こいつ、やべーな」と思われるかもしれないが、経験、記憶、タイミングで、勝手に出来上がってしまうものなのだ。

「〜〜じゃなきゃ、だめな身体になる」というトリガーは、誰に、いつどこで何に覚醒するかしないかはわからない。


偏りすぎると「やべー奴」になる。
人に迷惑をかけなければ「趣味」でおさまる。
誰かに必要とされるトリガーだったら、
社会的な成功を収めることができるだろう。

熱燗がトリガーなら捕まらないが、
大麻だったら捕まるし。
女子高生の使用済みの制服でも捕まる。

トリガーは扱い方を間違えると誠にやっかいなものだが、うまく扱えれば、唯一無二の武器になるだろう。

と言い訳を用意して、今週もガッツに行きたくなってる自分がいる。果たして予約はとれるのだろうか。1週間始まったばかりなのに、全く気がきではないのだ。

来年は、一緒に、ガッツで熱燗を飲もう。




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