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媒介する身体 24.1.2 生きるうた(谷川俊太郎)/お雑煮/お母さんヒス構文

「伝えたい」ことがある。
これからこれを言おうと決めて、母に話かける
(母に限らず、あらかじめ心の中で練習したセリフしか話せない時期がある)

すると母は見ているテレビの話をしだす
「すごいよ。青学お見事だった」と、駅伝の話をしだす

私の両腕は、誰にも気がつかないくらい小刻みに震える
力が入らない
開けた襖をすぐに閉めたくなる
このストレスから逃げなければ

居候のように寄せてもらっている母との関係性はこんな感じ
1日会話もしない日も、というかそういう日の方が多い
顔も合わせない。色々やばいとは思って入るけれど
どこから手をつけてよいのか、わからない

いや、わからなくはない。こうして、現状を変えるために、お雑煮をつくったのではなかったのではないか


でも「伝えたいこと」があったはずなのに、駅伝の会話になってしまう
もういいやと思ったけれど、言いたいことがあって話かけたのだから、言うだけ言おうと
「お雑煮が美味しくできたよ」と、かすれた声で言った



昆布と鰹出汁
大根とキノコ、蓮根、にんじんを別で煮る
鶏でも出汁をとり、透明なすまし汁ができた


ここまでは良かったのに、焼いたお餅が気持ち焦げすぎた。それを煮込んだら、焦げがお澄ましにひろがり、透明感は台無しになってしまった


それでも、味はそれぞれの素材の味が染みててよかった

そういうプロセスも含めての「美味しくできたよ」の一言を伝えようと思って、襖を開けたのに、出鼻をくじかれた

それでも、「言うと決めたから」と申し訳程度に「お雑煮が美味しくできたよ」と伝える。すると「あら、そう」とそして、また駅伝の話が始まる

また、逃げたくなる。そんな話は今は聴きたくないと思ってしまう。けれど、話が一段落するまで待って
「よかったね。明日も楽しみだね」と、伝える。疲れた

これでも、話しかけられたことはよかったと思った
そして、こんな会話でもいいやと思う

谷川俊太郎の詩と出会って、ちょっと心が変わった

母に対しても「いつも、自分の話ばかりしてくるから嫌だな」とは考えないことも増えた。そして、「自分の話ばかり」の母でもいいや、とも思った



友だちが夢の話をするんです
目をかが痩せて
聞いてる私は退屈なんです
そう言ったら びっくりして
黙り込んでしまいました
私も私の夢の話をすればよかった
たとえうそでも

そんなとき隣に詩がいます ~鴻上尚史が選ぶ谷川俊太郎の詩 『生きるうた』より一部抜粋 


この詩のように。生きればいいなと
私は退屈なんですではなく、私も私の夢の話で返せばいいのだ

文字に書き起こしたら全く噛み合っていない会話だとしても
たとえうそでも(できるならうそはつきたくないけれど)
それで、いい。一時期、「ちゃんと聴く」ブームがきていたけれど、それも、おしまいにしよう。今の自分にはどちらにせよ、難しいのだから

とある日は、夜リビングに、焼いた餃子が冷めた冷凍餃子が、置いてあった。食事は一緒には取らない

母の料理は、炒め物が多いので、太ってしまう

自分はビョーキのように、目の前のもの全部食べないと気が済まなくなってしまう時がある。つくりおきのお米とかも、腹ちぎれそうになっても、食べるのを止められないことがある

だから、自分で作るしかない。それに、料理をすること自体がセラピーだとも思っている

餃子が置いてあった時は、今日感じた、緊張とストレスからくる震えとは違う、怒りと悲しみから、両腕が震えた

「だから、作らないでっていってるのに。なんでわかってくれないんだろう、炒め物、揚げ物食べないってあんだけ言ったのに。」

すでに寝ている母の部屋の襖の「バンっ!!」と開けて、
「そうなのね、早く高血圧と糖尿病になって、苦しんで死んじゃえばいいんだね。引きこもりで鬱で社会的技能が何もないおじさんになっちゃったもんね。油と炭水化物まみれで生活習慣病になって早く死んじゃえばいいんだよね。」

ラランドのお母さんヒス構文のように、母でもないのに、子育てと仕事に忙しくもないのに、ヒスってしまいたい衝動になった。というか、ヒスっていた。こころの中で。変わりになる言葉はないので、黙る。


そう言ったら びっくりして
黙り込んでしまいました

きっと、そうなると思うから、黙る

私も私の夢の話をすればよかった
たとえうそでも

ここは、とても難しい。夢なんてないから、目の前にあるものの話をしよう。お雑煮の話をしにいった今日のように。母は駅伝の話に夢中で、でも、それはそれでいいことにしよう

「〜〜が美味しくできたよ。」それだけで、未完成のまま、返事がなくとも、それで完成としようと思う。



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