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"The LEPLI" ARCHIVE 126/ 「バイ、バイ、the 20's Fashions!!—その壱、"JUNYA-WATANABE"

文責/ 平川武治:
初稿/ 2014年9月27日:

"JUNYA-WATANABE"/
  君はあの、”ポリーマグー、お前は誰だ!”を知ってるかい?/
 
僕は今朝のJUNYA WATANABEの新作コレクションを愉しく読ませてもらった。
そこで想い出したのが、あの“ポリーマグー、お前は誰だ!”だった。
確か、’68年(?)、W.クラインの第2作目の映画だった事を想い出す。
’60年代を代表する否、この時代には早すぎた映画だった。
その後、この映画は“戦後のアヴァンギャルド”の多くのオリジナルになった。
映画は無論の事、グラフィック、アート、流行、アイロニィーそして、モードも。

 時は丁度、この街、巴里ではあの、パコ-ラバンヌが登場した時代だった。
この街で、メタルを使い、プラスティックを使いクチュールモードの世界へ一撃を
強烈に投げつけたパコ-ラバンヌを撮ったフォトグラファー、W.クラインの快心の一作だ。

 実は、この名前のバーが未だ、オデオンに存在しているのもこの街らしく面白い。
全く持って、全編が当時の巴里-モードを皮肉った映画。
服、モデル、ジャーナリストそして、会場や音楽までもがその対称になり、
アメリカ人がこの街の文化を多いにアイロニーとユーモアでクールに讃歌し、
「大衆文化」をきわだてた映画だった。

 冒頭のシーンは僕には『21世紀版ポリィーマグー』だった。/
 
『全て、タギョール!!、もう20世紀のモードを引きづっていても
何も、“新しいもの”は出て来ないよ。』と言わんばかりのメッセージから始まった
今シーズンの彼、JUNYA WATANABEのコレクションは僕はもう歓喜の十数分だった。

 この街の連中は、アート・ディレクターのJ-P-グールドを思い浮かべるであろうが、
その彼のオリジンにはこの“ポリィーマグー”がある。
マレーヴィッチ、S.ドローネさえも出て来る。
実に、こゝろと頭が豊かなバランスで次から、次へと素晴らしい教養と感覚のバランス。
これは、真に教養深く、センスがいい1冊の『書物』、ありがとう、淳弥さん!

 どうなるのだ、これからのモードは?/
 
そろそろ、僕が提言して来た『Without Sewing]』と言うコンテンツが
この世界でも見え始めて来たので余計に嬉しい。
 『今の時代、こんなに沢山のものがある時代、何を創作するか?
そこに“エモーション/感情”が感じられそれが共有出来るものであること。』
 これは昨日のUNDERCOVERを見ても想った事。
そして、今朝のJUNYA WATANABEも然り。
しかし、残念な事に、Anrealageには感じられなかった。
「見せてやるぞ!!のコレクションはもういらない。」

文責/平川武治。
初稿/ 2014年9月27日。

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