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E-a/マリ共和国徘徊記。 「午前4時のコーランから始まるバマコの朝,容赦しない灼熱の1日が始まる。   

文責/平川武治:
初稿/
2011年11月18日:

 コレクションが終わって少し落ち着いたところで今回の最後の旅,

西アフリカ、マリ共和国の首都、バマコで今年も開かれた
黒人写真家の為の写真ビエンナーレ/
Rencontres de Bamako,Biennale Africaine de la photograrhie/
ヘ出掛け、
その後,この地の秘境部落へ足を運ぶ予定だった旅。
このほぼ,1ヶ月の旅は大変な旅でした。

 「 いろいろな事があり、いろいろな事を気ずかされた旅。
非日常的なる行為の向こう側にあるのは
気づかないでいることの
怠慢な惰性に押し流されている自分。
年齢という大きな時間のうねりに気が付かなかった自分。
そんな自分を見せつけられた様な今回の旅でした。

 幾つかの,旅にはそんなに珍しくないアクシデントが
この旅という期間中に重なって起りそれに対処する自分と
その自分が持ち得た時間と現実、
存在の小ささとが見事に絡み合って
異境の,全く”湿り”と言う感触がない世界での
僕の五感は或る意味で,限界を知ってしまい
頼ったのはただ,自心のこゝろの有り様だけの旅でした。

 結局,予定した旅は出来ず,
今回もドゴン部落へは未踏の旅でした。
現地人とどれだけ同化出来るか又は、隔たりがあるのか?
彼らたちとの”距離”感を体験し
自らの立ち居場所を決断する旅となったようでした。

 沢山のことが憶い起こされ,考え,渦巻き、
太陽の激しさ故の怠慢になる身体とは反対に
僕の脳みそはまだ,ガタガタとエンストを起こし乍らも
働いてくれることが解る旅でもありました。
判ったことは体力の衰え。
これが認識された旅でした。
 
 起った幾つかのアクシデントも,
体力が無ければ,
それなりの時間と金銭的余裕があっての計画であれば,
何も起らない旅になっていたでしょう。
預けられた神からの残りの時間は
精神面だけではなく,
肉体と共に余裕ある生活を目指すことが
自分の生の責任でもあることに気が付く。

 救われるかの様な
十三夜と,十五夜の月,
この電気、ガス,水道の無い地では
その煌々たる、溢れるばかりの耀きが
より、堂々としたものに見え,
僕のこゝろは唯,浸るのみの月光浴
眠れなく、微睡みに委ねた夜。

 木陰で啼く鳥にさえ
さまよう山羊と羊たちにさえ
何かを気つかせてくれるかの様に
縋っているこゝろのひびきを。

 にほいとおと。
赤児の,子どもたちの,家畜の,労働の,
歩行と登校と下校時の,
バイクと車と
物乞いたちの
そして、あいさつを交わす
にほいとおと
賑わいのにおいとおと
静寂のにおいとおと、
おとは響き。
にほいは流れ。

 この街の孤児院を訪れる機会を持った。
友人にお願いして訪れたこの世界は
36人の天使たちのはしゃぎ戯れ,悲しむ晴天の世界。
その子どもたちの人懐っこさと
その笑顔と振舞い
確実に、僕の真こゝろを
遠くへ置き忘れていた自分へ戻してくれた
わずかな、わずかな数時間。
ここも、
“地図に載っていない場所” 
自分の生い立ちを憶う場所でした。

 巴里は初冬。
夜間飛行機は遅れることが当り前。
その大半が異郷人たち
飛行場へ着いての彼らたちが
出迎えの人との再会と
これからの”旅”への始まり。
その彼らたちの後ろ姿を見送り乍ら
僕も,これからの
がんばって死ぬためへの
”旅”への始まり
“地図に載っていない場所”をめざし、

 そして,ここでも”知ってしまった”ことに対して
どのように自分が向き合って生きてゆけるか?
ここに人間のすべてが帰するのでしょう。

 “地図に載っていない場所”を求めて。 」
ありがとう。
合掌。

Rencontres de Bamako,Biennale Africaine de la photograrhie/

 この黒人写真家たちのためのビエンナーレ展は
フランス文化庁が手伝って行われてきた写真ビエンナーレ。
僕が初めて訪れた時が第9回目であったので、もうかれこれ20年近く開催されているこのマリ共和国の文化的イベント。
若い写真家志望の青年たちを含めて、参加者の全てが純粋な魂の持ち主たちだったのが救われた。
 今回の会のチーフ ディレクターは僕が好きな写真家、確か、75歳の
マリック シディべでした。

文責/平川武治。
初稿/
2011年11月18日。

ビエンナーレの責任ディレクターを務めたMALICK SIDIBEと奥さん。
MALICK SIDIBEと奥さんの手。
熱心に参加するワークショップの彼らたち。
友人の写真家、ニギア共和国のNII OBODAI
MALIの泥建築。

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