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"The LEPLI" ARCHIVES-49/ PARIS HOMME COLLECTION '12 S/S-4/「まとめのようなもの」

文責/平川武治:
初稿/2011年7月 2日:
 
 前書きに変えて『いわゆる、トレンド』とは?
誰が着るのか解らないしかし、”売るため”にまとめられた
そのシーズンの”売れるデザイン”のモノを言う。
 これは”プレタポルテファッションビジネス”における
ビジネスの基本的な根幹である。
 それぞれのプレタポルテ・デザイナーのコレクションの
創造性と鮮度を決定付ける迄の影響力を
構造化されている”情報”も“トレンド”と呼ばれている。
 大半のデザイナーが此の”売るための情報”をシーズンの”フレーム”とし、
その中で、デザイン-クリエーションが絞り込まれ、
ビジネスの拠り所としている迄のビジネス価値を構築化されているのが
”トレンド”と呼ばれている”ファッション情報”である。

 誰がこの”トレンド”と言う情報を発信するのか?
此の”トレンド”は元々が、世界の素材メーカー とその団体が
自分たちのビジネス上、1年先の素材を企画開発し、
サンプル織りをしなければならない”リスク・ビジネス”の構造上で
考え出されたシステムである。
 そこで、多くのデザイナーたちが出来るだけ、
サンプル素材を最大公約数的に使ってもらえる素材に囲みこむためと、
素材メーカーたちが自分たちの”リスク”を最小限に絞るために考えられて
生まれたプレタポルテ・ファッションビジネスの根幹構造であり、
情報でもある。

 クチュールビジネスが発端のモード産業は、
いつも着る人が決まっている”顧客ビジネス”であること。
即ち、オーダーする人が目の前にいて、
その人のために”採寸”し、素材も色もデザインも
すべてその顧客の要求に見繕って仕立て上げる世界の
”奢侈産業”である。 
 この特定の階級層のためのファッション産業が時代の変革によって、
さらに多くの当時の”新たな市民階級者”のために、
彼らたちの”新しい顧客”のために、
”クチュールメゾン”のイメージングとテイストやクオリティを
”数量限定の既製服”として考え、構造化された
”プレタポルテ/高級既製服”ビジネルが誕生した。

 60年代終わりからはこのモード産業も,
出来るだけ不特定多数のしかし、沢山の人の”趣味とセンスと欲望”に
委ねられる事が即ち、多くの”儲け”へ繋がると言う
ビジネスの仕組みへと構造改革がなされた。
 これも当時の時代の変革にチューニングされた新しさの一つであり、
続いて、’70年以降のファッションビジネスの発展の一つとして、
新たな”アパレル産業”と言うカテゴリーが生まれた。
 このようなプレタポルテと既製服の時代になってからは、
あらゆる”リスク”が最小限に回避されてこそ儲かる、
或いは、ある程度の”リスク”を張る事で高粗利で儲けられるという、
ビジネス構造が登場した。
 これが”オートクチュール”の世界から進化発展した、
”アパレル産業”の由縁と発端になる。

 この戦後の”アパレル産業”の登場と発展とともに、
“トレンド情報”は重要なビジネスの根幹となった。
 素材メーカーは半年から1年先のための売り物であるサンプル素材を
使ってもらえる確率の高い素材にまとめるための
”リスク管理”の変換構造と情報システムが“トレンド情報”である。
 “リスク”が少ない素材又、売り損ねないための素材を
より多く生産が出来る情報をビジネス発想でまとめられたのが
”トレンド/トレンド情報”であり、構造化され生まれた。
 従って、”トレンド”とは元々、素材を生産し、売る側の仕組みである。

 従って、プレタポルテファッションデザイナーは”トレンド”を生まない。
ここでもうお判りであろうが、
デザイナーたちは“トレンド情報”そのものを造ったり発信するのではなく
素材メーカーや団体から与えられ提案された”トレンド情報”を
ビジネスの安全な”フレーム”として
その中で各デザイナーらしさをデザインするだけである。
 これがいわゆる、
プレタポルテデザイナーの”素材とデザインとビジネス”の
“トレンド情報”を介した関係性である。
 ”アパレル”と呼ばれるもう少し、その企業規模とビジネス規模が
大きな産業構造においてはこの”トレンド情報”を
デザイナーのために専門的に収集編集する業務が誕生する。
それが「MD」と呼ばれるセクションである。

 最近の『トレンドの現状とはの例を。』
改めて、最近のモードの”トレンド”と称されるカタマリの動きが
実際に、こんなにも”スロー”になった事を,
「先シーズンの”トレンド”と比較してみよう。 
 先シーズン、'11~'12A/Wのまとめを再読する。
—PARIS HOMME COLLECTION A/W '11~'12のレポート;
「コンセプトとしてのモードと時代性」;
『 先月行なわれたメンズコレクションでの一番のテーマは、
時代の傾向として”ジェンダー”の影響であろう、
”男もの、女もの”の際が無くなる迄のコーディネートファッションがより、一般的なトレンドへと流れ始めた。
やはり現代と言う時代性が
モードの世界で表現すればこのようになるのだろう。
現実の日常も若い世代は
どんどんと”性差”が無くなり始める傾向。
男が弱くなった、女が強くなったと言うような
二元性での比喩ではなく、
多分、全く新しい感覚での”男/女”が
自然発生的に現われている事への
”モードの眼差し”かも知れない。
 もう一方では,出来るだけ波風立てずに済むのであれば、
少しの”リスクある自由さ”を棄てても
”安心と安全そして、健康と快適”を選択した方がいい。
と言うまでの昨今の豊かさを充足し始めた世代たちの
”無難さを求める”保守主義的生活観の現れもある。
ここではもう、“斬新さや特異性”又、”革新的”等と言う言葉が
全く見当たらない世界、何時迄、続くのであろうか?

 この影響とともに、次に控えているのが『uniformizm』。
「国民みな、何らかのユニフォームを
お洒落として着始める時代がもう、すぐに。」
この眼差しに気がついてください。
 この兆候は日本においても日常のTV番組を見ると明解である。
派手さを、目立つ事を目論んでいるはずのタレントたちの衣裳が
少しずつ、ユニフォーム化され始めていること。
または、ユニフォームを敢えて着てしまっている
グループタレントも多くなっている。
 男女の性差がビジュアル的な視点で無くなり始め、
生まれてからそれなりの豊かさの中で育った
彼らたち世代が望む”自由”とは、
もしかしたら、自分たちらしさを表現出来る
”ある集団の中に融和する事”で心地よい
又、安心そして、楽だと言う考えが
多数を占める時代性になるのだろう。
 従って、彼らの世代の”自由”とは
どのような自分らしいカタマリを選ぶか?
もしくは、自分らしい他人に出会うか?
”作り出すことより、選ぶこと”が、
彼ら世代が選んだ”自由度”であろう。
 その為の出会い系サイトからフェイスブック迄は
彼等たちにとっては恰好のハイパ-ライフギアーであろう。
 みんなと同じものをどれだけ自分流に着るかが
彼らたちが選んだ自由さ。
 巴里へ経つ前の東京では、あのCdGの“PLAY"ブランドが
”オムプリュス”の売り上げを抜いたデパートも出て来たと言う。
ここにもこの兆しが読み取れる。
 “安心安全無難さそして、ブランドもの”と言う
ゲットーの中に入ってしまったファッショントレンド? 
 
 此の花園を”Le Jardin des Mode”と呼ぶ。
従って、今シーズンも多くのデザイナーたちが
ショーによって素晴らしい世界を見せてくれた。
 彼らたちのショーの目的は“ビジネスの潤滑化と発展性”である。
即ち、”儲けたい”だけである。
 これが究極のこの世界でしかない。
ここに、”夢”と言う虚飾の世界の具現的集約化が、
センスよく、カッコ良く少しは芸術的に
そして、自分も美しい、女にも持てる、かわいい男にも持てる
”花園”をショーと言う世界で構造化しているに過ぎない。
此の花園を”Le Jardin des Mode”と呼ぶ。
 この世界の全てが既に、僕が言ってしまった、
"The Fashion is always in fake."と言う世界である。
 
 此の”花園”には集まって来るのは蝶だけではない。
蜂もいれば、蛾もいるし蜘蛛もいる、毛虫もいる。
そして、此の花園を守っているデザイナーと呼ばれる”庭師”がいる。
 これが、フランス、巴里という”Le Jardin des Mode”。 
“トレンド情報”とは此の”花園”を守るための大事な”肥料”の一つである。
だから、此の”花園”で競いあうには
”巴里の肥料”が大事でありそれを使って、
R.オーエンも、Ann.も、あのCdGも、トムブラウンたちや、
古くは、LANVANもDior.H.でさえ、
それぞれにとっての華を
ここ、”巴里の花園”で咲かせているに過ぎない。
 美しいのか、エレガントなのかシックなのか、
艶やかなのかそれとも前衛的なのか?
黒マジックが効いたものなのか?
パロディッたのもなのか?アイロニックなものなのか?
マジシャン的な面白さを持っているのか?
アースティックな戯れが在るものなのか?
それこそ、”百花繚乱”の世界。

 それぞれのデザイナーらしさの”まやかし”を、 
どのようなイメージやこなし方や表現方法や
素材と素材感や手法、技術を使って
”トレンド情報”のフレームの中で
いわゆる、『自分らしさ/ブランドらしさ』を,
薔薇は薔薇らしく、パンジーはパンジーらしく、
自分らしさの美意識でそれぞれの”らしさ”を、
新鮮さを、太陽の耀く元で競いあっている世界が
「モードの世界」である。
 ここでは自分が薔薇なのか、パンジーなのかシダなのか
マッシュルームなのか、
自分で自覚していないと見てもらえない世界が
”巴里の花園”である事も忘れてはならない。

 このようなことを考えていると、
"INSTITUT NATIONAL DES JEUNES SOURDS"と言う
”未成年聾唖者たちの施設”の美しいガーデンで
陽が未だ、新鮮な光線を放っている時間に行なわれた
今シーズンのジュンヤワタナベのショーの会場選びには
結構な意味が感じられるが
中身を見てしまうとこれとて、
“儲ける”為の案外、安直な詭弁とその手法でしかない。

 僕が此の”巴里の花園”に魅せられて通った25年間は
変わったようで、その本筋は
しかし、何も変わっていない、”巴里の花園”/Le Jardin des Mode”。
 これからも、いろいろな國から
そのお国柄の新種の美しい花の苗が植え込まれるのであろうか?
 
 スローになっても”トレンド情報”が必要な世界とは?/'12-S/Sから。
最後にもう一度、今シーズンのHomme Collectionに戻って。
 P.Smithは丁寧なコレクションを魅せてくれた。
素材の縫い合わせによる色と質感の違いを
シンプルでスリム&ショートなシルエットの中に落とし込んだ。
シャツと共生地でのタイに好感を。
 LANVANはこなれた熟練のデザイナーの仕事。
変わらぬ立派さを感じさせる、トータルに手抜きせず巧い。
此のデザイナーの服に携わるこゝろの在り様が感じられるショー。
新しさも古さも丁寧にまとめている。
 北欧からのデザイナー、ACNEはここ巴里で見ると新鮮である。
色使いとカラーバリエーションそれに、ニットものの巧さが光る。
成熟したショーだった。
 後で、ショー写真を見ると意外に、
Dior H.は意外と新鮮にまとまって見える。
白をあくまでも基調とした4色のコレクション。
ナイーフな少年たちの世界を、
"男世界"へ持って来たゲイたちの巧さを感じる。
何か、自分らしさをその中で出そうとしているのが伺える。
その分、彼の自分のコレクションは
少し、安直でコマーシャルが匂うものだった。
 J.L.サリバンは気を使って構築し、
服が好きなものが造ったコレクション。
しかし、ここにも、『イエローマインド』が
見受けられなかったのは残念。

 見受けられた多くのテイストは、
エレガンス、ロマンチック、オーセンティックとエキセントリック、
ゆったりさと快適さと癒し感覚。
 そのための今シーズンの新しさとして、
初登場が”パジャマ&ベッドウエアー”。
 後は変わらぬ、
“ミリタリーのいろいろ”、“迷彩からフラワー”迄の
プリントもの。
 楽さとゆったりさのサンダルシューズのバリエーション。
 売りへのアプローチとして、シロ、黒、ブラウン、ベージュ、
それらに、オレンジ、イエローそして、タンとピンクの刺し色。
 コットン、レーヨンと麻の軽い素材、ドビィーなシャツ生地。
変わらぬデニムとレザー、
新しさとしてのエナメルとラバー素材が今シーズンも。
 そして、メタルアクセサリーが。
 
 「太陽の輝き」を求めた今シーズン。
サントロペ、ギリシャ、カルフォルニア、アメリカンインデアン、
アフリカンマサイ、
 D.ホックニーそれに、ピータービヤードも、
今シーズンも解り易さの為の”コード”としていろいろ出ましたね。
 
 最後に、オマケでは、
”来シーズンの兆し”の一つに
“服のパーツ”化が来るだろう。
結構、今シーズンの若いデザイナーたちや
ミュグレー、D.Doma等が近づいている。

文責/平川武治。
初稿/2011年7月 2日。
巴里市ST.-CLOUDにて。

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