001 ルーシー号航海記

大阪を出発した特急列車は快調に進み、富山の高岡駅に到着。在来線に乗り換えて、伏木という駅に着いた。そこから徒歩で港まで向かう。

港に近づくと、乗るべき船が見えてきた。立派な船だ。名はルーシー号という。自動車が次々と船に運び込まれている。中古車を日本からロシアに輸出するのだろう。港にいるのはおそらくロシア人ばかりで、日本人はほとんど見られなかった。

この船でウラジオストクまで2泊の旅である。乗り込むと、船室は2人部屋。どんな人と一緒になるかで、この船旅の良し悪しが決まりそうだ。幸いなことにルームメイトは日本人だった。横浜から来た23歳の若者。ロシアにバイクを運んでツーリングをする予定だと言う。

彼は初めての海外旅行だそうだ。いきなり船でロシア。しかもシベリアをツーリングするなんて度胸あるなあと、いろいろ情報交換をしつつ、打ち解ける。彼とならストレスなく2日間過ごせそうだ。

船内で出国手続きを済ませる。船に乗り込んでいる日本人は10人もいないようで、乗客の9割方がロシア人のようだった。

船の料金には食事代も含まれていて、時間になるとレストランで食事となる。船内のアナウンスは基本的にはロシア語で、何を言っているのかさっぱりわからないのだけど、食事のときだけは日本語のアナウンスがある。船内の掲示によると、食事の時刻は、朝食9:00、昼食16:00、夕食20:00とのこと。昼食と夕食の間隔がやけに短いけど、ロシアではそういうものなのだろうか。

まだ出港前なのに、早くも食事の時間になった。初めての食事ということで、同室のバイクの彼(Tくん)とレストランに出向く。レストランではテーブルはたくさん空いているにもかかわらず、なぜか無理やり相席にさせられた。最小限のテーブルしか使わせたくないのかもしれない。4人がけの小さなテーブルに相席なので、ちょっと気まずい。

一緒になったのは、イギリス人旅行者のカップルだった。「変だね」とお互いに苦笑いして、場がなごむ。「この船にはスイミングプールがあるっていうから見に行ったら、車が入っていた」と言っていて、思わず笑ってしまった。

彼らも長期旅行者で、イギリスを出発して7ヶ月経つという。オセアニアやアジアを周ったそうだ。日本では野球の試合を見たり、お好み焼きがおいしかったりしたという。ロシアの旅が終わると、イギリスに帰らなければならない。僕は今日が旅の出発だと告げると、男性は「うらやましいよ」と言う。

「旅に出ると視野が広がるから、絶対に行ったほうがいい」

彼は7年勤めた金融関係の会社を辞めて今回の旅に出た。イギリスに戻ったあとはまたしばらく働いてお金をため、いずれニュージーランドに住みたいと言う。「ロンドンで働くのは嫌」なのだそうだ。

食事はロシア風の料理だった。船の食事なのでどうかなと思っていたけど、まずまず口に合って安心した。 食後は売店でビールを買って、Tくんと船室で飲む。ああ、いよいよ夢にまで見た旅行が始まる、と余韻に浸りたいところだけど、酒が回ってすぐに眠ってしまった。

* * *

2日目にさっそくお腹を壊し、食事を我慢しつつ持ってきたキシリトール入りの飴ばかり舐めていたら、パッケージに「食べ過ぎるとおなかがゆるくなることがあります」と書かれていた。下痢した原因はこれだったんじゃないかと静かに突っ込んだりしながらも、いたって順調に航海は進んだ。

海もおだやかで、船酔いに悩まされることもなかった。基本的には船室でごろごろし、食事の時間になればレストランにごはんを食べに行き、たまにデッキに出て海を眺め、ビールを飲んで眠る、といった生活。これといって他にすることはない。プールには車が入っているというし、夜ナイトバーに行ってみると、ロシア人のおじさんが1人でカラオケを歌っていた。

数少ないイベントである食事では、初日に相席になったイギリス人カップルと、その後もずっと食事をともにすることになった。外国へ旅に出るからには、外国人の友達を作りたいと思うもの。食事のたびに顔を合わせるというのは、友達になれる絶好のチャンスだと思われた。

あとあと記念に残るようにアドレス交換とかしたい。一緒に写真を撮ったりしたい。アプローチのチャンスを今日の夕食、つまり船で最後の食事のときに、と自分の中で設定し、そのときを待つことにした。

この日はお腹を壊したこともあって、食事の時間を前もってチェックしていなかったけれど、放送を聞いてから行けばいいやと思っていた。しかし、8時になっても9時になっても、放送がない。嫌な予感がしてレストランに行ってみると、案の定、すでに食事の時間は終了していた。

ショック。大いにショック。

どうせ下痢なので飯が食えないのはしょうがないとして、イギリス人カップルと友達になり損ねたというショックでいっぱいだった。なぜそれほどそのカップルに執着するのか不明だけど、旅のはじまりという高揚感がそう思わせたのだろう。仕方がないのでビールを飲んで、ふて寝した。

* * *

そんなこんなで2日目も終わり、3日目の朝ウラジオストクに到着。ずっと四方が海しか見えないところを進んできた後に陸が見えて、ああ、ほんとうに日本海の北には大陸があったんだな、と思った。

港が近づいてくると、朝もやの中に軍艦が見えてきて、いかにもロシアらしい風景。港に接岸する瞬間はさぞかし感動するんじゃないか、と期待していたにもかかわらず、 デジカメをいじったりしてよそ見している間に、船体は岸壁のタイヤにバウンドしていた。

まあ無理に感傷的になる必要もないかと気を取り直していると、船内放送で「食事ノ 準備ガ デキマシタ」 なんと。すでに港に着いているのもかかわらず、朝食が出るのか。これは願ってもなかった。昨日の晩ろくに食べてないので、腹ペコだったことはもちろん、例のイギリス人カップルとまた会えるじゃないか。

その席では、ひそかにラブコールを送っていた甲斐があったのか、イギリス人カップルの方からアドレス交換しようと持ちかけてくれて、「イギリスにお越しの際にはぜひ連絡してくれよ」と社交辞令かもしれないけどありがたいお言葉もいただいた。いっしょに写真も撮って友達の証もゲット。もうこの船には思い残すことはない。

と言いつつ、別の日本人旅行者がロシア人のかわいい女の子と仲良くなっているのはどういう展開なのだろうと横目で気になったりもしながら、ともかくロシア上陸を果たしたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?