007 シベリア鉄道とクールな女性車掌

逃げるようにイルクーツクを後にして、モスクワ行きの列車に乗った。4日間の列車の旅の始まりだ。イルクーツクまでの列車は3等寝台を使ったのだけど、今回は2等の4人用コンパートメントに乗った。3人組のロシア人が同部屋だ。

と、ドアがノックされ、警官が入ってきた。おもむろにパスポートをチェックされる。イルクーツクでのこともあったし、緊張が走る。パスポートに目をやりながら、警官が何か言う。それに対して、同部屋のロシア人たちが言葉を返している。僕の代わりに何か弁解してくれているようだ。そのままパスポートを返され、警官は出て行った。

列車が動き出すと、 同部屋の3人組は持ち込んできた食料をテーブルに並べた。宴会の始まりだ。さっそくビールやパンをごちそうになる。

彼らは機械関係の会社で働く人たち。イルクーツクで展示会があり、その帰りだそうだ。クラスノヤルスクという街まで帰る。32歳のリーダー格の兄さんは英会話を勉強していると言い、英語でいろいろ話をする。興味があるのは日本車の値段とか、1ヶ月の給料とか、お金や商売にまつわることだ。

彼らはバイカル湖にも行ってきたようで、撮った写真をノートパソコンで見せてくれた。
「バイカル湖は深さが2000メートルもあるけど(あとで調べたら最大水深は1600メートル)、透明度が高いから船から湖の底まで見通せるんだ」
ああ、バイカル湖、やっぱり行けばよかったかなと思う。おいしいという噂のバイカル湖の魚(オームリ)も食べずじまいだった。

そういえば1週間ほど風呂に入っていない。気休めにウエットティッシュで足を拭いたりする。体や身なりは、できるだけきれいに保っておきたいと思う。 とくに足元は重要で、靴を見れば生活状態がわかってしまう。現地の人たちもすれ違うとき、文字通り足元を見てくることが多い気がする。

* * *

10月になった。列車の寝台で目を覚ます。その瞬間、今どこにいるのかわからなくて不思議な気分だ。昨日の夜は星がきれいだった。でもはっきりとは見えない。乱視だからだ。視力が良かった子供のころ見た夜空を思い出した。

昼過ぎに同室の3人は列車を降りていった。みんなで記念写真を撮って別れる。残った食料を置いていってくれた。

コンパーメントに1人になった。ロンリープラネットを読んで、この先のヨーロッパの旅程を考えようとしたが、すぐ飽きてしまう。その後、コンパートメントには役人風の2人客が乗ってきたが、2時間ほどで降りていった。彼らはずっと眠っていたので、言葉は交わさなかった。

また、コンパーメントに1人になる。たまに女性の車掌が部屋の掃除に来る。車両ごとに担当の車掌がいて、コンパーメントの車両はたいていが女性だ。この女性車掌、普段はかっちりした制服を来ているのだが、掃除の時はかっぽう着のようなユニフォームに着替える。長身で眼鏡をかけており、めったなことではにこりともしないのが、なんだか格好よく思える。

制服姿が魅力をかもし出すために重要なのは、プロテクト感だ。たとえば日本のスチュワーデスは、かっちり守られている感じがしない。だから制服的な魅力は今ひとつである。一方、ロシアの鉄道の車掌の制服には、かっちりとしたプロテクト感がある。にこりともしないルックスにもプロテクト感があり、鉄道員という職業が持つ硬質なイメージも、そこに相乗効果を与えているのである。

1人になるとそんなことを考えたりする。

夕方ごろ、コンパートメントにまた別の客が乗ってきた。今度はおじさんの1人客。彼もビールと食料を持ち込んできていて、乗り込むや否や、乾杯。当たり前のようにビールをごちそうになる。乗客はみんな、相部屋になる人の分まで多めにビールを持ってきているのかもしれない。

コイのような魚の干物をつまみにビールを飲む。この干物は骨が多いし脂っこいけど、コクがあってなかなかおいしい。おじさんは英語はまったくしゃべれない。こちらが片言のロシア語で会話を試みるけれど、ほとんど通じていない。でもビールのおかげか、 お互い言葉が分からないまま笑い合い、不思議な盛り上がりをみせた。

こんなふうに、列車に乗っていると、入れ替わり立ち替わり手土産をもったお客が訪れる。なにか自分がホストになったトーク番組みたいだ。

* * *

列車3日目。列車内では食っちゃ寝してるだけで、とくに何もしてないのだけれど、「ああ、おれはダメ人間だ」などとは思わない。列車が確実に前に移動しているからだろうか。

下車した人が置いていった大量のひまわりの種を、内職のように食べ続ける。おじさんは眠っている。

となりのコンパートメントに中国人の男性が乗っていて、顔を合わせるたびに笑顔で声を掛けてくれる。同じアジア人として、親近感をもってくれているのかもしれない。別のコンパートメントにはカザフスタン人もいて、彼にも握手を求められた。サッカーワールドカップのアジア予選に、カザフスタンやウズベキスタンが入っているのはどういうことかと思っていたけど、こちらに来て、なんとなく納得できた。

同室のおじさんは昼過ぎに降りていき、またコンパートメントに1人になった。

延々と列車に揺られていると、ほんとに何もすることがなくなる。仲の良い友人たちでコンパートメントを借り切って、1週間の列車の旅をしたら楽しいかなと考える。明けても暮れても、飲み会みたいなことになるのだろうか。

女性車掌は今日もかっぽう着で掃除。しかしロシアの鉄道の車掌は厳格で、客に文句など言わせない雰囲気がある。 このような「締める」仕事に女性がいるというのは、悪くないことだ。日本も駅員や車掌に女性が増えているけど、いい傾向であろう。ただし飛行機のスチュワーデスなどは、へりくだり過ぎな感がる。もっとビシッと締めたほうが、ギャップがあって魅力的なのに。

1人になると、そういうことを考えたりする。

夕方、今度は2人組の男が乗ってきた。そのうちの1人はスキンヘッドでサングラスをかけている。やっかいな人たちだったら嫌だなと思う。これまで相部屋になった人たちはみな良い人で、楽しく過ごせたけれど、そういう人ばかりとは限らない。

兄貴分のような男から、よろしくと握手を求められる。話し始めると、2人ともたいへん陽気で、怖い人だったら、というのはまったくの杞憂だった。

ご多分にもれず、さっそくビールをいただく。そしてついに、ロシア名物のウォッカが登場。

ウォッカは一気飲みが基本である。一気飲みできる量をコップに注ぎ、みんなで乾杯して、グイッと飲む。その後しばらくツマミ類を食べる。そしてまたウオッカをコップに注ぎ、乾杯!グイッ! その繰り返しである。ウオッカはアルコール度数が40度もある。一気に飲まないと、のどが焼けそうだ。

彼らはモスクワから車を運転して運ぶ仕事をしていて、今はその帰りなのだと言う。運転中は眠れないし、飲めないしでつらかったらしい。ようやく酒が飲める喜びからか、ピッチが早い。

4,5杯グイッとやったところで、僕は眠ってしまった。ビールとウオッカのチャンポンがきつかったようだ。ふと気がつくと、2人も眠っていて、兄貴分が大いびきをかいている。巨体から発せられるそのいびきは、猛獣の咆哮のようであった。

* * *

朝9時に起床。

シベリア鉄道は異なる時間帯の地域をまたいで移動するため、到着時刻はすべてモスクワ時間で表記されている。朝、列車内で目覚めると、まず自分の時計を今走っている地域の時刻に合わせるのが、日課になった。ウラジオストクからモスクワまでは7時間の時差がある。飛行機で一気に移動すると時差ぼけを起こす距離だけど、列車だと少しずつ時差が修正されていく。

トイレの洗面台で髪を洗う。今日も天気が良い。列車に乗っている間はずっと晴れている。

「二日酔いにはビールが効くんだ」

相部屋の男たちはまた酒を飲みだした。ビールだけでは止まらず、またウオッカがグラスに注がれる。僕はいったんは遠慮したものの、断りきれずに飲むことになる。ビールと一緒だと酔いが一気に回ってしまうけど、ウォッカだけならなんとか大丈夫そう。量が少ないから、トイレが近くならないのもいい。

列車は明日の早朝モスクワに着く。

「明日は仕事?」

「明日はポーランドからトラックが来るんだが、税関の書類に問題があってな。ガッハッハ」

と、男たちはさらにウォッカを飲み続けていた。

車窓の風景が、平原だったから農場に変わってきた。コルホーズとかソフホーズとか社会科で習ったのを思い出す。モスクワが近づいてきた。

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