緑の革命は、現地の人にとって良かったのか悪かったのか

緑の革命とは、1960〜70年代ごろ、世界銀行やアメリカの財団の主導により、新しい穀物の品種を導入するなどの技術を用いて、発展途上国の農業の生産性を上げようした試みである。まずメキシコやフィリピンで成果を上げたあと、インドではパンジャーブ州が実践の場所として選ばれた。

具体的には、小麦の場合、矮性品種の種が持ち込まれた。矮性品種とは背が高くならない品種で、肥料をたくさん与えても倒れることがなく、実の部分に効率的に養分を与えることができる。

ただ、肥料を多く与える分、病害虫の発生も起きやすく、そのために農薬が必要になる。病害虫の発生は、複数の作物を一緒に育てる混合作から、生産効率を上げるための単作に切り替えられたことによっても生じやすくなった。また、作物を集約的に生産するために灌漑設備も作られたが、それが水利用のバランスを崩し、塩害が発生したとも言われている。

こういった緑の革命のネガティブな面を指摘したのが、インドの環境活動家、ヴァンダナ・シヴァさんが書いた『緑の革命とその暴力』である。

このネガティブな影響によって、パンジャーブ州では農民の暮らしが荒れて、それが政府とシーク教徒が衝突した1980年代のパンジャーブ危機につながった。この出来事は一般には宗教紛争とみなされているが、その背景には緑の革命があったというのがシヴァさんの見方である。

とはいえ、緑の革命には少しは良い面もあったんじゃないだろうか? とも思う。実際、緑の革命の父と呼ばれたノーマン・ボーローグ氏は1970年代にノーベル平和賞をもらっている。この本でも、インドでは1965〜1980年の間に米の生産が約30万トンから300万トンに、小麦の生産が約200万トンから750万トンに増えたと書かれている。緑の革命によって、それだけの食糧生産が増えたことは間違いないようだ。

問題は、食糧を生産した人と、増産の恩恵を受けた人が違うということなのかもしれない。

シヴァさんの主張からは、農民にとって良いことは何もなかったように読める。生産量が上がったことで作物の値段が下がったし、農薬の購入による借金を苦に自殺する人が多く出た。野菜が植わっていた場所が小麦畑になり、ビタミン不足で失明する人もいた。

また、化学肥料と農薬で収量を上げる方法では土地がやせていき、年々効きが悪くなる。生産量を維持しようと思えば、さらに多くの肥料を入れなければならなくなる。かつては1カロリーの作物をつくるのに1カロリー以下のエネルギーで済んでいたが、今では10カロリー必要なのだという。エネルギー収支としてはかなりの赤字なのだ。

つまり、緑の革命は現場を見ない革命だったのである……と言いたくなるところだけど、ウィキペディアを読んでみると、ボーローグ氏の方でも「現場で生活してみれば、誰だって肥料や灌漑が必要だと叫ぶだろう」と言って、緑の革命を批判する人は現場を知らないと主張しているようだ。

そうなってくると、現地の農民にとって良かったのか悪かったのかも、またわからなくなってくる。次はボーローグ氏の本も読んでみたいと思う。

緑の革命とその暴力

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