戦争というレイヤーが背景に下がった

 写真家の橋口譲二さんによる『ひとりの記憶 海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち』を読んだ。20年かけて作ったというライフワークのような本だ。

 橋口さんは、戦後も現地に残って暮らした日本人を訪ねて話を聞き、ポートレート写真を撮影した。インドネシア、台湾、中国、韓国、サイパン、ロシア、キューバなど、各地にそういった歴史を持つ日本の人が住んでいる。もう高齢になっているこの人たちのために何かしなければという思いで、橋口さんは現地へ足を運んだ。この本のために経済活動がストップしたそうだ。お金をもらうための仕事というより、ライフワークといえるものだろう。

 戦争という言葉を聞くと、そこで思考が止まってしまう感じがある。なんとなく「戦争時代」というカテゴリーかジャンルみたいなものがあって、その枠の中の話だと決めつけてしまうのだ。

 橋口さんも、まさにそのことが気になっていた。「僕らは戦争という単語に慣れ過ぎたことで、そこで生きた人たちの中にある人間としての喜怒哀楽を感じたり想像したり考えたりしてこなかったのではないか」と。

 今と同じ時間の流れにあるはずなのに、「戦争」というパッケージに入れてしまうことで、その時代に生きた人を単純化された登場人物のように感じていた気がする。そのことに気づかせてくれる本だった。

 意外な話も次々と出てくる。終戦後インドネシアに残ったある日本兵の人は、インドネシア独立戦争に独立軍として参加するようになる。実際、スマトラ島の独立軍の指揮者はほとんどが元日本兵だったそうで、ジャングルのなかでしばしば同じような日本人と、ばったりと出会ったりしたという。そんなことがあったとは、想像したこともなかった。

 日本兵が現地に残るということは、つまり日本軍から逃げ出すことである。終戦というと、みんな戦争から解放され、良かった、助かったという安堵感に包まれたイメージがあったが、国外の戦地にいた人は事情が異なる。これまでは支配者側として現地にいたのが、一瞬にして敵の中に取り残された存在になるのだ。 

 この人も終戦後、朝鮮人の慰安婦を国に帰すための船に乗るリーダーに任命されたが、送り返したあと無事に生きて帰れるとは思えなかった。そのため、脱走してインドネシアで生きようと決める。命の危機が迫ったのは、むしろ終戦後なのだった。

 他の場所でも、終戦時に国外にいたばかりに、家族が生き別れる運命になった人もいる。引き揚げ船が送られたが、現地に生活基盤や家族がある人にとって、日本に帰るかどうかは簡単な決断ではない。実際、それが家族との永遠の別れになった人もいる。「引き揚げ」という言葉は知っていたけど、初めて実感を伴って理解できた気がした。

 この本を出すまでに20年かかったのは、語り口を見つけられなかったからだ、と橋口さんは書いている。「戦前・戦中・戦後を生きた人たちなんだね」という一言で片付けてもらわないための表現方法を見つけたい。今の時代にもつながる普遍的なものを見つけたい。そのポイントは一人一人の感情に寄り添うことだった。

 橋口さんはこれまで、インタビューするときは会話を俯瞰するように聞き、作品をまとめるときは規定の枠に収めることに神経を使い、そのため一人一人と感じ合うことをしてこなかったことに気がついた。作品を意識するあまりに、その場での一瞬一瞬を感じていなかった。

 わかる気がする。体裁やアウトプットへのプレッシャーが高まると、現場にいながら、頭のなかでは別の計算が始まり、目の前のことはうわの空になってしまう。その場を感じる集中力が削がれてしまう。

 一般的な仕事としてなら、それは「仕事ができる」ために重要なことだろう。ポイントを押さえ、先読みし、そつなくアウトプットする。無駄な時間や労力をセーブして、結果を出す。でも、その工程では拾えないもの、それが橋口さんがこの本で伝えたかったことだと思う。

 橋口さんは、インタビュー起こしの原稿を改めて声に出して読んだ。そうすることで、皆の感情が自分の体の中に入ってきた。そうして、この本を作る糸口を見つけた。

 インタビューを書くときは、相手の発言に自分をどう絡めていくかが、表現としての考えどころだ。一問一答形式では、なにか持っているものを見せてくれ、と迫る感じだし、一人称での独白スタイルも、すべてのことを聞き出せない以上、どこかで創作が入ってしまったり、足りない部分が出てしまったりする。相手の言葉や雰囲気と、自分が感じたことや想像したことがひとまとめになって、ひとつのストーリーとなっていく。そのときに相手が体のなかに入ってくるような感覚が必要になるのだろう。

 そうやって同化することで、対象となる人の存在を感じさせる文章になるし、聞き手が文中に登場しても違和感がなくなる。対象と距離を取って客観的に報道するジャーナリズムとは、逆のアプローチだ。

 ただ、この本の場合は、写真で客観的な距離を感じさせてくれる。掲載されている写真は、どれもその人が暮らす場所で撮られたもので、まっすぐにこちらを見たポートレートだ。まさに「生き抜いた人」を感じさせてくれる写真。どの人にもヒストリーがある。

 最前面にあった戦争というレイヤーが背景に下がって、ポートレートのように人物が浮かび上がってくる。そんな本だと思った。

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