002 ウラジオストクと3匹のハエ

ウラジオストクでは、船で一緒だったバイク乗りのTくんと、ホテルのツインルームをシェアすることにした。ロシア旅行には外国人登録という制度があって、ちゃんとしたホテルに泊まらないとその登録をしてもらえない。1人で泊まると宿泊費が高くつくから、シェアできるのはありがたい。

ひと息ついたあと、Tくんと海のほうへ散歩に出かける。ちょっとしたビーチがあり、そこらじゅうでビールを売っているので、とりあえず昼間から飲んだ。500ミリリットルの瓶ビールが、安いものでは25ルーブル(約100円)くらいで買える。腹の調子が悪いし、そもそもあまりお酒を飲むほうではないけれど、安いのも手伝って思わず飲んでしまう。たばこもマルボロが100円くらいで売られている。ビールとたばこ以外は、日本とそれほど変わらない値段のようだ。

そのあとは宿で昼寝をしたり、洗濯をしたり。また町をうろうろしたり。

夕食をどこで食べようかと店を探す。カフェを名乗る店では安く食事ができるという話なので、「カフェ」というロシア語の文字を覚えて看板を見ながら歩いた。しかし、それらしき店があるにはあるが、どこも外からは中が見えないようになっていて、入るのに勇気がいる。うーん、と優柔不断な感じでいたら、

「ここにしましょう」

とTくんが決めてくれた。男らしいやつだ。やっぱりバイク旅をする男は違う。

ボルシチと黒パンを食べた。80ルーブル(約320円)。Tくんが食べていたカツレツがうまそうだったが、それは200ルーブル(約800円)くらいしていた。

スーパーマーケットで、またビールを買って宿に帰る。店員は驚くほど愛想が悪い。お釣りを客がいるのと全然違う場所に置いて黙っていたりする。愛想が悪いというか、愛想という概念がまったくないようで、それはそれで清々しい気もする。

夜、部屋の電話が鳴る。うわさでは売春婦からの電話らしいので取らないでおく。話のネタ的には取ればよかったかもしれない、とあとで思った。

* * *

快晴。9月のウラジオストクは昼はまだ暑いけど、朝は肌寒い。緯度でいうと札幌と同じくらいの位置にある。

Tくんはバイクの手続きをするために通訳を手配していて、今日はその人と待ち合わせ。面白そうだからついていってみる。

やって来たのは若いロシア人男性だった。ロシアの大学で日本語を勉強した後、日本の大学に留学していたのだそうだ。日産のプリメーラに乗ってやってきた。見ると街を走っている車のほとんどが日本車だ。結構いい車も多い。バイクの手続きは、何か入手できない書類があったようで、明日に持ち越しになった。

街行く女性は抜群にスタイルがいい。

「おしりが自分の顔の高さにあるみたいですね」

とTくん。旅に出ていきなり目の保養だ。

ウラジオストク駅に、鉄道のチケットを買いに行く。翌々日のイルクーツク行きの切符を買った。英語は全く通じないので、あらかじめ地名をロシア語で紙に書いて伝える。窓口の女性は、無表情で怖い。と思っていたら、勤務時間が終わってブースから出てきたとたん、にこやかになって、迎えに来た恋人といちゃいちゃしていた。

自力で切符を買えて得意な気分になる。その間にTくんはスケボーをしている若者と仲良くなってきたらしい。興味のあるところに、ひるむことなく近づくことができるのはさすがだ。

ホテルの窓を開けっ放しにして戻ってきたら、ハエが3、4匹飛び回っていて驚いた。3匹以上集まると大群に見える。

* * *

サマータイムのせいで、夜は21時ごろまで明るい。そのかわりに朝は8時ごろまで暗く、なかなか目が覚めない。でもいったん起きてしまえば、早朝の空気を味わえるのが気持ちいい。

今日も午前中はTくんのバイクの手続きについて行く。あっちこっちたらいまわしにされている感じで、ロシア語が話せたとしても煩雑そう。

「ロシアだから」

と通訳のロマンさんは苦笑い。手続きが終わり、Tくんはようやくロシアでバイクに乗ることができるようになった。

ロマンさんに教えてもらったカフェテラス形式の店で食事。ここなら好きなものを安く食べられそうだ。店員の女の子もちょっとだけ愛想が良い。冷たい人が多いなかで、少しでも笑顔があると好感度はぐっと高まる。

夕食後、散歩するのが日課になった。海に夕日が沈んだあとの夕焼けがきれい。でもTくんと一緒なので、あまり感傷にひたるわけにはいかない。

ホテルのテレビはNHKが映る。日本にまた台風が来たらしい。1週間後のフェリーだったら、ここまで来られなかったかもしれない。Tくんと過ごす最後の夜。部屋でビールを飲んで、アドレスを交換する。

* * *

怖い夢を見た。そのイメージが自分の中から発生しているのかと思うと恐ろしい。朝まであまり眠れず、明日から1人旅になるのが急に不安なった。イルクーツクまでの鉄道の切符を買ったけど、途中のハバロフスクまでに変更してもらおうかなと考える。そこでTくんとまた合流できるかもしれない。

朝から天気があまりよくない。台風の影響からか風が強い。今日バイクで出発するTくんはやや不安そう。出発を見送りに行って、握手をして別れる。バイクで旅立っていく姿を見ると、やっぱり度胸があるなあと思う。バイク乗りというのは常に危険と隣り合わせの分、芯の強さを持っている気がする。

自分も今日がウラジオストク最終日なので、博物館やら水族館やら展示されている潜水艦やら、観光スポットを回った。用もないのに、バスや路面電車にも乗った。巨大なアイスクリームを食べ、有料トイレに駆け込んだ。

鉄道の行き先を変更してもらおうと思って駅に行ってみたが、話がうまく通じてないのか、らちが開かなかった。列車は今日の夜行なので、今さら遅すぎるのかもしれない。切符はそのままでも途中下車すればいいだろう。

列車の時刻まで待合室でひたすら待つ。Tくんは無事に進んでいるだろうか。

バイクには常に闘いがあるような気がする。自分も挑むべき何かを得るために、バイク旅などしてみたほうがいいのではないか。受動的なハプニングを待つだけのような旅ではだめなんじゃないか。めし、宿、移動以外の何かが必要なのではないか。

もしかしたら自分の欲求は、旅に出発した瞬間に満たされてしまったのかもしれない。この先、何にも感動しなかったらどうしよう。でも始まったばっかりで帰るわけにもいかないし、とりあえず先に進むことにする。 

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