003 アムール川と必要以上に深いスリット

25時発の列車がウラジオストクを出発した。向かいの席にはスキンヘッドの男。発車前からビールを飲んで、すでに酔っ払っている。ちょっと関わりたくないなと思っていたけど、眠りだしたのでよかった。

…と、安心してたら、急に起き上がって、話しかけてきた。サーシャという名前で清掃の仕事をやっているそうだ。27歳。英語はできないので、「指差し会話」を出してコミュニケーションする。

彼は先月結婚したばかりで、再来月には子供が生まれる。ってことは、10ヶ月さかのぼると……と言うと、彼は苦笑いして、ビールをすすめてきた。マリファナらしき紙巻きを見せて「やるか?」とも聞かれたが、こちらは遠慮しておく。

「子供ができてからは家ではやらないようにしてるんだけどね」

日本で暮らしてるときには、話す機会がないタイプの人だ。旅行は日常の中にある層のようなものを取っ払ってくれるのかもしれない。

気がつくと、車内には母子連れが多く、なんだか保育園みたいになっていた。シーツを車掌から買い、眠る。ベッドは縦方向が小さく、足を伸ばすと通路にはみ出してしまった。でも寝心地はいい。サーシャは途中で下車したようだ。

翌日14時ごろ、ハバロフスクに到着。目星をつけていた宿をいくつか回り、泊まるホテルを決めた。バイク乗りのTくんはまだこの街に来ていないようだ。

* * *

ハバロフスクの街の端にはアムール川が流れている。川べりが公園になっていて、夕暮れ時にぶらぶらと散歩するのが気持ちいい。男の子がバラの花を持ってベンチに座っているところに、女の子が現れる光景を見たり、サッカーや、野球みたいなスポーツをして遊んでいる人がいたり、ローラーブレードの集団がいたり、道に迷っているとジョギング中の女の子が道を教えてくれたりした。みな余暇を楽しんでいるように見える。冬が厳しいから、暖かくて日が長い今の時期を精一杯楽しんでいるのだろうか。

アムール川は大きな川で、河岸が海のように砂浜になっている。大きな海や川を見ると、つい石を投げ込んでしまう。青春のバカヤロー的な石投げではなくて、フォームを意識した本格的な投石である。近くの親子連れに、ちょっと不審に思われたかもしれない。

スーパーで買い物をして夕食にする。また思わずビールを買ってしまった。日本ではめったに飲まなかったのに、こっちにくると飲みたくなってしまうから不思議だ。

* * *

川の近くにある教会に行ってみた。ちょうど礼拝の時間で、神父がなにかを朗読し、参加者は祈りをささげている。そのあと、賛美歌がどこからともなく聞こえてきて、その歌声に鳥肌が立った。吹き抜けの高い天井いっぱいに声がきれいに響く。聖歌隊はおそらく2階部分で歌っているのだが、下にいる自分たちからは見えない。まるで天から声が降ってくるように聴こえる。姿が見えない分、声の美しさが際立つのかもしれない。高い声、低い声を混ぜあわせてコーラスをしているのだけど、それが一つの声として聴こえる。音がよく響くと、場の空気も違うような気がした。

お祈り中、もぐりだと思われたらいやなので(もぐりだけど)、他の参加者に合わせて十字を切ろうとするが、タイミングが微妙で難しい。上下のあとは、左から右なのか、右から左なのかわからなくて、ぎこちなくなってしまった。周りの人がこちらを見ている気がする。サイン出すのを失敗した野球の監督みたいな気分になった。

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シベリア抑留者の慰霊碑があるという日本人墓地に行ってみた。市内から20分くらいバスに乗ると、その墓地に着いた。墓地の一角に入ると、ロシア人のおじさんが掃除をしていて、目が合うと

「こんにちは」

と日本語であいさつをしてくれた。緑に囲まれてとても静かな場所。日当たりがよく明るい。墓地内を散歩していると「自決」という言葉に目が留まる。蚊が多い。墓に蚊が多いのは日本と同じだ。

「さようなら」

と帰り際にも、さっきのおじさんがあいさつしてくれた。

バス停で盲目らしき女性が立っていた。言葉ができないことで躊躇してしまい、何もできなかった。いや、言葉ができたとしても、何かができたとは限らない。

季節がらなのか、あちこちで結婚式をやっていて、花嫁をよく見かける。花嫁はたいていウエディングドレス姿で、煙草をプカプカやっている。ロシアの喫煙率はきっと高い。

公園などで、老カップルがデートしているのもよく見かける。チャーミーグリーン的なさわやかさだったら微笑ましいのだけど、けっこう濃厚にからんでいるので、何かものすごいものを見てしまったという気になる。

* * *

ロシアのレストランはたいてい地下にあって、階段を下りて行って扉を開けてみるまで、どんな店なのか分からない。だから、その扉を開けた瞬間に、うまそうかそうでないのか、高そうかそうでないのかを判断しなくてはならない。やばそうなら、「あ、間違えちゃった」という顔して出てくることになる。

なので、レストランに入るのは面倒くさく、たいていフードスタンドで買い食いすることになる。ホットドッグとか、ピャンセという肉まんのようなものとか、ピロシキとか。ピロシキは揚げパンの中にポテトとかキャベツが入っているものを言うようだ。

ガイドブックを見たら、中華のバイキングを安くやってる店があると書いてあるので、行ってみた。やはり店は地下にあって、階段を下りたあと、ひと気のない通路を通っていく。ほんとにここが店かと不安になったころ出てくる扉を開けると、普通の中華レストランがそこにある。単に冬は寒いから地下なんだろうか。

500円くらいで食べ放題。この1食で今日の栄養素をすべてまかなう意気込みで食べた。思ったよりメニューも豊富でおいしい。中華料理はやっぱり安心して食べられる。ただ料理はすべて冷め気味だった。他のレストランでもそうだったけど、できたてを出すとかアツアツを出すことに、それほどこだわっていない気がする。

ちなみにウエイトレスのお姉さんは、みな必要以上に深いスリットの入ったチャイナドレスを着ていた。おいおい、いいのかそれ?って思ったけど、いいんじゃないでしょうか。そういえば、街を歩く女性もやたらセクシーな服装の人が多いような気がする。この国の人は見せるのが好きなのだろうか。それとも、これも短い夏のせいなのだろうか。それとも、自分が見たいものを見たいように見ているだけなのか。

雨宿りをしていると、足の不自由な男性が這うようにして横断歩道を渡っているのが見えた。見かねたおじさんが助けようとしたが、 その人は拒否したようだ。次にやってきた若者たちに抱えられて、その人は道を渡り終えた。最初、拒否したのは、どういう理由だろう。不自由な足が商売道具だという意味なのだろうか。

夜中、宿で眠っていると、突然外でバンバンバンバンと大きな音がした。「銃撃戦か!」と飛び起きたが、宿の裏手で打ち上げ花火をしていただけだった。日本のみたいに風流な花火でなく、銃みたいな音がするので(聞いたことないけど)、心臓に悪い。

そのほか冷蔵庫がブンブンうるさいことを除けば、今いる宿の部屋は気に入っている。

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泊まっているホテルの2階にある食堂に行ってみる。ホテルのレストランは高いと思って敬遠していたが、レストラン以外に安い食堂が別にあるらしい。昨日出会った日本人旅行者にそう聞いたので行ってみた。

ペリメニという水餃子のようなスープと、魚のフライなどを食べて300円くらい。場所は薄暗くて開放的とは言えないけど、味はまずまずおいしくて安い。スーパーでカップ麺なんか買わずに、早くここに来れば良かった。

ネット屋でメールを見る。パソコンによって日本語が読み書きできたりできなかったりするので、運次第。パリに住む友人からメールが来ていた。フランスに行ったら、彼のところに立ち寄るつもりだ。行かなければならない場所があるというのはありがたい。

字が読めない環境にいると言うのは、精神衛生的に良い気がする。インターネットで日本のあるサイトを見たとき、ゴシップ記事や大げさな広告文が目に飛び込んできて、ちょっとこれは見たくないと思った。日本語に飢えていて、読める文字は全部読もうとするからか、これまで気にしてなかったことが気になる。

* * *

なんだかんだで、ここハバロフスクに長居してしまっている。今の自分は旅に向いてないんじゃないか。仕事を辞めて、さあ旅に出ようというときに2ヶ月も実家に引きこもり、いざ旅に出れば早々に一所から動かなくなった。旅に出たいという欲求は旅に出ると決めた時点ですでに満たされているとすれば、これからは新たな欲求にしたがって行動しなければならないのだけど。

急に季節が変わった。気温は10度ちょっと。洗濯物も乾かない。フリースを着て外出する。

1日ひとつは新しいことをしようと決めたくせに、今日は特に新しいことをしなかった。早起きという目標を設定していたのだけど、早く目が覚めすぎて二度寝をしてしまった。

同じ場所にいると、根が生えたように、だんだん落ち着く方向へ、無駄のない最小限の動きしかしないような生活になってしまう。同じ道を歩いて、同じものを食べ、同じ本を読み、同じ人と話す。1ヶ所に落ち着いてはいけないという焦りを感じる一方で、何も変わらない1日というのも悪くないなと思う。

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