023 クリスマス・パリ・キムチ

ベルリンから夜行列車でパリへ。最初は安いバスで行こうかと思っていたけど、満席だったので電車にした。電車は快適でよく眠れた。同じ車両の陽気なトルコ人と話しているうちにパリに到着。

パリでは韓国人の友人に会うことになっている。そして彼と一緒に韓国人向けの宿、コリアンホステルに泊めてもらうことになっている。携帯もないので待ち合わせがうまくいくか心配したけど、 幸いにも駅でうまく合流できて、そのホステルに向かった。

コリアンホステルは、特別な表札も出ていない普通のアパートの一角にあった。インターネットに情報が出ているらしく、韓国人の若い旅行者はこういう宿を泊まり歩いているようだ。中に入ると、広くない部屋に、外からは想像できないくらいの数の韓国人の若者がいて、ちょっと異様。でも管理人のおじさんはいい人そうで、歓迎してくれた。

しかし、なんとなく居づらい。自分だけが日本人なのだけど、見た目ではわからないので、他の韓国人たちはたぶん認識できていない。わざわざこっちから「日本人です」と名乗って回るのも変だし、かといって挨拶もせず終始無言なのも失礼だ。2泊3日の滞在予定だけど、ここでの生活に耐えられるか不安になってきた。

キムチとご飯とラーメンで腹ごしらえをしてから、友人とパリの街に出かける。エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通りなどを観光。

彼からたびたび「次はどこに行きたい?」と聞かれて、ちょっと困る。 いつもは適当に歩いて、面白そうなものがあったら見てみたり、勘に頼って道を選んだりという、行き当たりばったりのスタイルをとっているから、先に行きたいところを決める習慣がない。でも「どこでもいい」と言い続けた結果、意思のないやつだと思われてもいやだな……などと思いながら、一通りの名所を巡る。

そういえば今日はクリスマスイブだった。宿で焼豚とキャベツのキムチという夕食の後、夜の街を歩いてみる。

イルミネーションはきれいだけど、とても静か。町の中心も人通りは少なくて、やっぱりクリスマスは家庭で過ごすものなのだろう。シャンゼリゼ通りはそこそこ賑わっていたけど、そこにいる人の多くは旅行者なのではないかと思う。

宿に戻ると、泊まっている韓国人たちが全員集合して、床に車座になって飲み会をしていた。20人以上の人がいる。これはもう避けられないと覚悟を決めて、そこに混じることにする。幸いにも管理人のおじさんが「彼は日本人だ」と紹介してくれて、打ち解けることができた。気さくでいい人が多くて安心する。

大量のビールが用意されていて、酔っ払って楽しくなる。深夜0時には、宿の人がクリスマスのお菓子を持ってきてくれて、楽しいパーティになった。

* * *

コリアンホステルは基本的に朝食と夕食付き。大きなテーブルを囲んで、みんなで一緒に食べる。この日の朝食は白ご飯とスープとキムチだった。スープは辛い。韓国の人はほんとに朝から辛いものを食べている。

引き続きパリ観光。モンマルトルなどに行ってみる。大きな教会でクリスマスのセレモニーをやっていて、しばし教会音楽に浸る。

しかし、とても寒い。パリの街並みも、やや見飽きてきた。一人だとさっさと帰ってしまうところだけど、友人と一緒なのでがんばって観光する。道連れがいると、だらけてしまわないので良い。クリスマスなのでルーブル美術館をはじめ、博物館が閉まっていたのが残念だった。

パリの街はたしかに美くてラブリーな感じだけど、なんとなくグッとくるものがない。単に寒かったからかもしれないけど、住みたい街かというとちょっと違う気がする。

タコのコチュジャン和えの夕食の後、宿では今夜も飲み会が開催された。大量のビールを真ん中に集め、そのまわりに座って飲むのが韓国流。

結構みんな英語ができる。イギリスに留学していて、冬休みでパリに旅行に来ているという人も何人かいる。「ビミョーナサンカクカンケイ(微妙な三角関係)」とか、日本語と韓国語の間で似ている単語の話などで盛り上がった。

* * *

コリアンホステルでは食事の準備や片付けなど、みな自主的に手伝っていて、アジア的というか日本人にも通じる感覚だなと思う。兵役を経験している男子も多いから、その影響もあるかもしれない。

韓国人の男子は2年間の兵役が義務付けられている。さぞかし苦痛なものなのだろうと思って訊いてみると、「良い経験になった」という人が多かった。大学を休学して兵役に行くパターンが一般的なのだそうだ。

この次にスイスに向かうという若者のグループが、ダンボールに韓国の食材を詰め込んでいた。箱ごと持って移動するのだという。

韓国の人の韓国料理へのこだわりは、日本人の比ではない。今回一緒に行動している友人は、アイルランドの語学学校で一緒だったのだけど「韓国料理が食べられないのが苦痛でホームステイをやめた」と真顔で言っていた。そういうことも含め、韓国の人の愛国心の強さに驚かされることが多かった。

次の目的地、オランダのアムステルダムに向かうために、昼前に宿を出る。多くの韓国人と知り合ったけど、とくに連絡先を交換したわけでもなく、名前さえもよくわからない。たぶんもう2度と彼らと会うことはないのだろう。旅では人に会えば会うほど喪失感も増えていく気がする。

友人が「列車で食べろ」とおにぎりを手渡してくれた。「これも」と韓国ラーメンも持たせてくれた。管理人のおじさんはビールを1本持ってきた。

(つづく)

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