025 知らなかった国の知らなかった人の家で一人暮らし(ブダペスト)

アムステルダムから、飛行機でハンガリーの首都ブダペストに向かう。チケット代を節約するため深夜のフライト。しかも雪のためか出発が遅れる。

空港で出発を待つこと自体は何でもないのだけど、ハンガリーでは友人宅にお邪魔することになっている。あまりに遅くなると、迷惑をかけてしまう。ならば、電話のひとつでも入れておけばいいのだけど、国際電話は高いし、電話したところで何時に着くかわからないしなあ、などと思いながら待つ。

2時間遅れで飛行機はブダペストに着いた。空港からの公共のバスは最終便の時刻を過ぎていたため、タクシーに乗る。

タクシーの運転手に友人宅の住所を見せると、「OK」と言って走り出す。外は吹雪になっている。「明日は積もるぜ」みたいなことを運転手が言う。

「もう一度住所を見せてくれ」

だいぶ走ってから、運転手が言うのでメモを渡す。

「この住所は存在しない」

「え?」

番地か通り名のどちらかが間違っているらしい。今さらそんなこと言われても、そのメモ以外、情報がない。どの辺だ?と訊かれるが、自分も初めての場所なので、さっぱり見当がつかない。「友人のアパートなんだけど……」と言うと、とりあえずそれらしき住所の場所に向かってくれる。

果たしてたどりつけるのか、不安になる。吹雪の真夜中、見知らぬ街に放り出されたらどうしたらいいのだろう。

鉄道の中央駅近くの大通りで、タクシーが止まる。

「ここだ」と運転手は言うが、そんなはずはないと思う。こんな都会のど真ん中に、友人のアパートがあるとは思えない。もうちょっと郊外というか住宅街ではないか、と思う。

「ここじゃないと思うんだけど……」と言おうとして、ふと上を見上げると、建物の窓から友人が手を振っていた。

友人宅はとても良い感じのフラットだった。建物の外見は古い感じなのだけれど、中は広いし、きれいだし、おしゃれで驚いた。

この友人はアイルランドの語学学校で同じクラスだった人。普段は同じくハンガリー人のボーイフレンドとともにアイルランドに住んでいるが、年末なので2人でハンガリーに帰省している。

フラットには、さらにその友人の友人も来ていて、「準備いい? 今からパーティーよ」と、近くのクラブに連れていかれる。地下にある狭いスペースが多くの人で賑わっていた。彼女たちはオシャレでよく目立つのか、しょっちゅう男に声を掛けられている。

「あんたも女の子に声掛けなさいよ」とか言われるが、全然無理なので、とりあえずウオッカを飲んだら酔っぱらった。

* * *

早朝フラットに戻ると、彼女と同居しているボーイフレンドが戻っていたので言葉を交わす。いきなり訪れて、ちょっと気まずいかと恐縮していたけど、いい人そうで安心した。彼の仕事の都合で2人はアイルランドに住んでいるのだ。

リビングルームのソファベッドに、しばらく居候させてもらうことになる。

昼すぎまで眠って、午後から友人の案内でブダペスト市内を観光。雪化粧の建物が美しい。

ブダペストの街はドナウ川を挟んで、ブダ地区とペスト地区に分かれている。友人宅のあるペスト地区からブダ地区に路面電車で移動して、丘の上の城を見学。その近くの国立美術館にも入ってみる。

絵画には詳しくないけど、ハンガリーの美術はひと味違う気がする。よくある昔の宗教画も、シーンの選び方や光の加減などが一般的なイメージとちょっと違っているように思うのだ。闇を効果的に使っているというか、簡単にいうと夕暮れとか暗い場所の絵が多い。友人に訊くとそういうスタイルなのだそうだ。

建物の最上階が現代美術のコーナーになっていて、ここもおもしろかった。感覚が違うからか、何がひねりで何がストレートなのか、何でこうなるのまったく分からなくて、おもしろい。酔っ払って、何がおかしいのかわからないけど笑ってしまう感じに似ている。今まで見た美術館の中で、一番おもしろかったかもしれない。

現代アートというと、たいていモダンな建築の美術館だったりして、その雰囲気に飲まれてちょっと落ち着かなかったりするけど、ここは古い建物で、それも良かった。

美術館を出て街を歩く。吹雪になってきて歩くのがつらく、スニーカーが濡れて足先が冷たい。ハンガリー名物のホットワインを飲んで温まったあと、家に戻る。

夕食はボーイフレンドも加わって、3人でトルコ料理を食べに行った。濡れたスニーカーの代わりにと、そのボーイフレンドが靴を貸してくれた。カフェテリア方式の店で安くておいしい。

その後、デザートを食べにカフェに入る。

「この店はこれがおいしいのよ」

と出てきたのは大盛りのライスプディング。甘いものは好きだけど、ライスプディングだけは……

その後、近くのバーで飲む。このバーも雰囲気がよかった。ブダペストは旧共産圏の国の雰囲気というか、街並みは古くて一見暗い感じがする。でも、いったん中に入ると、とてもオシャレなところが多い。連れて行ってくれる彼らのセンスがいいのもあると思うけれど。

アムステルダムで買ったばかりのジャケットのボタンが取れた。

* * *

大晦日。彼らの友人宅で年越しパーティーがある。

その前にスーパーで買い物。ハンガリーではワインの生産が盛んで、スーパーで売られているのも、ほとんどハンガリー産らしい。

パーティーの前に競馬に行くことになった。年末の競馬というと日本の有馬記念みたいだなと思う。騎手が直接馬に乗るのではなくて、馬車を引っ張るタイプのレース。メインレースの馬券を買ったけど残念ながらハズレ。レース中は情報誌を丸めて振ってしまうのは世界共通のようだ。

友人の友人宅に移動してパーティー開始。ワイン、ビール、ウオッカを飲んで、かなり酔っ払う。10人以上の人が集まっていたが、みな親切で安心した。

0時になった。みんなで乾杯をして、ベランダから新年の花火を見る。

どの国で年を越そうかと考えていたけど、あっという間に新年が来てしまった。旅先では時間の進みが遅くなる、という効果もだんだん薄れてきたのかもしれない。

朝4時ごろに帰宅。眠い、気持ち悪い、トイレに行きたいなど、たいへん苦しかったことしか覚えていないが、友人に迷惑をかけてはいけないと 、なんとか耐えて帰宅した。気温マイナス4℃。

* * *

昨日、というか今朝まで飲んでいたので、今日はのんびり過ごす。新年はよくある二日酔いの朝で始まった。

3人の共同生活にも慣れてきた。最初はいろいろ気を使ったけど、しばらく時間を共有すると生活のリズムがつかめてくる。

夜、バンドのライブがあるというので見に行く。ANIMA SOUND SYSTEMというハンガリーでは人気のバンドらしい。ジプシーやユダヤ人など、マイノリティーをテーマにした歌を歌っているそうだ。

ビールを飲みながら、友人と将来のことを話す。27歳の彼女はジュエリーデザイナーをしている。おしゃれな仕事だなと思っていたけど、実際の仕事部屋を見せてもらうと、道具や機械がところ狭しと並んでいて、まさに職人の部屋という感じだった。なかなかたいへんそうな仕事だ。でもおもしろそう。彼女はアジアにも興味を持っていて、将来は香港に住みたいという。

ボーイフレンドの方はノキアのハンガリー支社に勤めるエンジニアだったが、英語圏で仕事をしたいと、アイルランドに渡ったそうだ。管理職になりたくないから、とも言っていた。アイルランドでの契約は3年間で、その後はわからないそうだ。

ライブが行われたクラブは地下にあって、パイプや壁がむき出しの作りになっている。廃墟っぽいデザインを好む傾向があるのだろうか。 街並みがダークで古いのも開発が進んでいないのではなく、じつは好きでそうしているんじゃないだろうか。

実際、取り壊し途中のビルの中に、バーができたりするのだそうだ。そういう雰囲気はベルリンにも似ている。

* * *

友人カップルがアイルランドに戻る。当然、自分も別の宿に移るつもりだったのだけど、「しばらくここに居てもいいよ」と言われる。

「鍵は出るときポストに入れといてくれればいいから」

自由に使ってかまわないそうだ。ほんとにいいの?と思ったけど、信頼してもらっているようでうれしい。

全然知らなかった国の知らなかった人の家で、一人暮らしをするというのは、とても不思議な感じ。

友人カップルが空港に向かうのを見送る。次は日本で会おう、と言って別れる。もし彼らが日本に来たら、どこを案内して何を食べてもらおうか。その前に、彼らを招待できるくらいの暮らしをしていなければ。

洗濯機も使っていいと言われたので、さっそくたまっていた洗濯開始。衣類をひと通り洗う。

夕方、ネットカフェへ。年金だけでは暮らせない日本人がやむを得ずアジアの国に移住している、という記事が目に入り、暗い気分になる。

友人たちがいなくなると、急に街が怖く感じてきた。ずっと彼らについて歩いていたので、自分だけでは地理もよくわからず、言葉も全然通じないことに初めて気がついた。

* * *

昨日洗った洗濯物がすっかり乾いている。いい匂いになって、着るのがもったいない。

年越しのパーティーでも一緒だった、友人の友人たちとお茶をする。広告会社でグラフィックデザイナーをしているそうだ。

ハンガリー人と日本人は似ているのではないかという話になる。

ハンガリー語とフィンランド語は、ヨーロッパの言語としては特殊で、学問的には日本語と同じカテゴリーに分類されるらしい。そういえば、日本人とフィンランド人は性格が似ているという説をどこかで聞いたことがある。だから、日本人とハンガリー人も似ていると言えるのかもしれない。たしかに性格がシャイというのは共通している気がする。そして、自殺が多いというのも3国の共通点だそうだ。

ドラッグの話になる。ハンガリーでも入手は比較的簡単らしい。日本ではどんなドラッグが手に入るのか?と訊かれるが全然知らない。そういえば麻薬が合法のオランダから出国するときには、さぞかし厳しいチェックがあるのかと思っていたが、まったくフリーパスだった。 ドラッグに対する感覚も日本とヨーロッパでは違う。

そのほか、日本でも女性のシングルが増えているか?とか、社内イラストレーターとしての仕事の問題とか、いろいろ話をするが、なんか悩みどころはどこも同じだなと思う。

いろいろ話をしていると、地下鉄の終電を逃してしまった。深夜の街にちょっとおびえながら、歩いて帰る。

* * *

天気が悪い。ブダペストに来てからは、ずっと雪、雨、曇り空だ。部屋が快適なので、どこにも行く気がなくなる。今日はのんびりというか、ちょっとだらけモードになってきた。

ふと気がつくと、アパートの水が出ない。蛇口をいくらひねっても出ない。どうしたものかと思っていたが、しばらくすると復旧した。何かトラブルがあっても対応できないので冷や冷やする。

* * *

居候の家を出る日。鍵をポストに入れて、地下鉄とバスを乗り継いで空港に向かう。

途中、バスをただ乗りしてしまう。ハンガリーのバスや地下鉄は、クーポン券みたいな切符に自分でスタンプを押す仕組み。たまに監視員がいて、ただ乗りが見つかると罰金を取られてしまうのだが、常時チェックするわけではない。この日は時間がなかったので切符を買わずにバスに乗ってしまい、車内でドキドキしながら過ごした。

ブダペストは旧共産圏だからか、公共交通が充実している。地下鉄、路面電車、トロリーバス、普通のバスが縦横無尽に走っていて本数も多い。路面電車やトロリーバスが走っているということは、昔から街並みがずっと変わっていないのだろう。

路面電車やトロリーバスが走っている街は好きだ。風情がある、というのもそうだけど、それよりも歩行者フレンドリーな街で歩いていて楽しいのが大きい。

とくに路面電車はいい。地下鉄は便利だけど外が見えないし、バスは乗り間違えるとどこに連れて行かれるかわからない。その点、路面電車はルートさえ分かっていれば、乗り降りも楽だし、風景も楽しめる。

ちなみにハンガリーの地下鉄は100年以上前に作られたもので、ヨーロッパではロンドンの次に古いそうだ。ロシアと同じような古い車両を使っている。路面電車も同じく古い車両で、 使い込んだ感じに味があった。

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