008 モスクワでなるだけ厳しい顔をして歩く
シベリア鉄道でモスクワ駅に到着したのは朝の4時だった。あたりはまだ真っ暗。メトロに乗って移動しようと思っていたけど、まだ駅も開いていないようだ。道端に腰を下ろして、夜が明けるのを待つ。
「今何時か?」
中年の女性が近づいてくる。時刻を教えてあげると何か言う。私を買わないか?と言ってるみたいだ。その女性をかわしたら、また次の女性がやってきた。放っておくと体を触ってきたり、だんだんアプローチがエスカレートしてきた。仕方なくその場から退散する。
モスクワの初日は、宿探しに翻弄された。
この日くらいは、まともなホテルに泊まってもいいと思っていた。風呂に入って、ちゃんとしたベッドで一眠りしたい。そう思い、ガイドブックに載っているホテルへ行ってみる。メトロを乗り間違え、道に迷いながら、ようやくたどり着き、部屋はあるかと訊いたところ、満室だとの答え。
仕方がないので、別の安いホステルにトライする。こちらもメトロを乗り継いでたどり着いたところ、 8時オープンと書いてあるのに、受付に誰も人がいない。ひたすら待って、10時ごろようやく人がやってきた。
「今のところ空きはない」
チェックアウト時間の12時にもう一度来るように言われる。
念のため、別の宿を探すことにする。モスクワ五輪のときに建てられた巨大なホテルがあり、興味半分で行ってみた。高層ビルという感じの巨大な建物だ。部屋は5000室以上ある。値段を訊くと高かったので、ここに泊まるのはあきらめる。
12時を過ぎたので、先ほどのホステルに戻ってみるが、やはり空きはないそうだ。彼らは親切にも別のホステルを紹介してくれた。そこに行くことにする。かなり遠く、メトロと徒歩で1時間くらいかけて到着した。
「部屋はある?」
「イエス」
やった、ようやく落ち着ける、と思ったが、チェックインのためにパスポートを見せると、
「レジストレーションに不備があるから、うちでは泊められない」
なんと、ここに来てもレジストレーション問題。宿にも拒否されてしまうのか。ホステルの人が言うには、警察で罰金を払って問題をクリアにすれば、泊まってもよいとのこと。
「それが嫌なら、別のホステルを紹介するので、そこに行ってみてくれ」
自ら警察に罰金を払いに行くなんてシャクだ。自分が悪いことをしたわけでもないし。 と思い、別のホステルを紹介してもらう。
重い荷物を背負ってまた移動。今日3つ目のホステルにたどり着く。ホステルは安い代わりに、駅から遠い不便な場所にあることが多く、歩くのが大変だ。
この宿でも、チェックイン時にパスポートを見せると一瞬考え込まれたが、なんとか泊めてもらえることになった。もう夕暮れである。宿探しで1日が終わった。
レジストレーション問題はやっかいだ。外では旅行者だと思われて警察に止められないように、なるだけ厳しい顔をして歩くことにする。
* * *
ホステルには各国の旅行者が集まっている。1人だけ日本人のおじさんがいた。年齢は聞かなかったけど50歳くらいだろうか。日本からヨーロッパまで自転車で旅行している。
「すごいですね」
「いや正確には、日本から自転車でヨーロッパまで行くつもりで中国まで渡ってみたら、列車に自転車を積んで移動できるっていうじゃない。だからついつい列車でモスクワまで来てしまったんだよ」
憎めない人だ。
おじさんは若い頃はアフリカをバイクで旅したり、青年海外協力隊にも参加していて、最近も技術協力員としてブータンで働いていた。昔の写真を見せてもらったりする。
* * *
宿にいたドイツ人の男の子とフランス人の女性と仲良くなり、一緒にクレムリン観光に行く。
彼らは英語をぺらぺらと話し、言ってることの半分も理解できない。自分の言いたいことは10分の1も言えてない。英語がわからないからしゃべらないのではないかと気を使われるのは嫌だから、がんばってしゃべろうとするが、それがかえって空回りする。
「さすがモスクワまで来ると英語が通じる」と喜んでいたのだけど、それもつかの間、自分は英語が大してできないのだと思い知ることになった。彼らと共通の話題が少ないということもネックだ。ヨーロッパ人同士はそもそもの共通認識のようなものがあるように思える。
クレムリンと赤の広場を見学。広いな、という感想。レーニンの遺体が安置されている廟にも入る。遺体は蝋人形のように見える。でも厳重に警戒されているから本物だということか。
近くにある百貨店に入ると、ブランド店が揃い、とてもおしゃれな雰囲気だった。ただ賑わっているとは言えず、この場所に根付いたカルチャーになり切っていないように感じる。
モスクワの地下鉄は見応えがあった。駅ごとに手の込んだ装飾やデザインが施されている。とくに気に入ったのは照明。ユニークで凝ったデザインが多い。地下鉄は日本顔負けの短い間隔で運転されていて、次の列車が来るまでの秒数が電光掲示板でカウントダウンされていた。
***
朝起きると、のどが痛い。空気が乾燥している。
今晩の夜行列車でサンクトペテルブルグに向かうことに決める。午前中に荷造りをしてチェックアウト。宿に日本語の文庫本があったので、自分の読み終えた本と交換する。
置いてきた本は、米原万理著「ロシアは今日も荒れ模様」。ウオッカ(ウォトカ)にまつわるロシアの格言がおもしろい。例えば、
「あんた、ウォトカをとるの? それとも私を取るの? はっきりしてちょうだい」
「その場合のウォトカは何本かね?」
無人島にアメリカ人、フランス人、ロシア人の3人の男が漂着した。やがて神が現れて言った。
「それぞれ2つだけ願いを言いなさい。私がそれをかなえてあげる」
アメリカ人「金をくれ。それと帰国だ」
フランス人「女をくれ。それと帰国だ」
ロシア人「まずウォトカ。それと飲み仲間だ。そうだ、あの二人を呼び戻してくれ」
何はともあれ、ロシアの男にとってウオッカが大事ということである。
露店で、焼きジャガイモのファーストフードが売られていた。ツナやらコーンやらをトッピングをして食べる。夕食代わりに食べるとホクホクでおいしかった。 醤油があればなお良いと思う。
深夜0時発の列車でサンクトペテルブルグへ。寝台に横になると、線路のカーブや勾配が感じられた。
(サンクトペテルブルク編に続く)
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