033 ブラックアフリカにやってきた(モーリタニア)

モロッコ(西サハラ)からモーリタニアへ。サハラ砂漠を縦断するのでどんな道かと思っていたら、ほぼ舗装路で快適だった。ただ外が見えないのが残念。ワゴンの後部の空間に詰め込まれて、不法入国をしているような気分になった。夕方、国境に到着。

到着間際、同じ車に乗っていたハンガリー人とモーリタニア人がもめて、険悪な雰囲気になる。率直に言って、そのハンガリー人には、相手を理解しようという気持ちが足りない。もっと率直に言うと、どこかアフリカの人を見下しているような感じを受ける。そういう態度は言葉がわからなくても伝わるものだ。強気の交渉術と人を見下すのは違う。なんて、アフリカではそんな甘いことを言っていられないのだろうか。

* * *

モーリタニア最初の街、ヌアディブを歩く。ついにブラックアフリカにやってきた、という印象。砂だらけの街と道行く肌の黒い人たち。またひとつ別の世界に入ったと思った。

昼食に軽食屋でサンドイッチを注文。フランスパンにフライドポテトと肉と卵と野菜が挟まれたものが出てきた。タマネギを煮詰めたような甘めのソースで味付けられている。

ここから砂漠の中にあるイスラムの聖地、シンゲッティに向かうことにする。丸1日がかりの移動だ。

まず列車。鉄鉱石を運ぶ鉄道が走っていて、空の貨車に乗ればただで移動できるとのことだった。駅、といってもコンクリートの小さな小屋以外何もない砂地に列車が到着すると、人々はみな一斉に貨車によじ登る。全長2キロを越す果てしなく長い列車だ。

貨車とは屋根の無い箱である。乗り込んだときは青空の下の旅もなかなか気持ちよさそうだなと思っていたけど、甘かった。走り出すと、列車がまき散らす砂埃が吹きつけ、砂嵐の中にいるような状態になる。慌てて布で顔と頭をぐるぐる巻きにした。

この列車で12時間の移動。砂と風と列車の揺れで、用意してきた食料を食べる余裕もない。とくに恐ろしいのが、遥か前方の貨車から順番に伝わってくる衝撃波。ブレーキをかけるタイミングなのだろうか、前の貨車から順番にガタガタガタガタと音が近づいてきて、それが自分の貨車に到達すると、ガッチャーンと立っていられないほどの衝撃を受ける。

日が落ちると、気温が急激に下がってきた。できるだけ服を着込み、寝袋に入って横になる。降ってくる砂を避けるため小さく閉じた寝袋の隙間から、満点の星空が見えた。

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真夜中に列車から下車。降りるといっても、暗闇の中、駅なのか何なのかわからない場所。
「本当にここで降りるの?」
「動き出すぞ、早くしろ」
降りそこなったらどこまで連れて行かれるかわからない。そう気がついて、貨車から飛び降りる。

そこから車で移動。ピックアップトラックの荷台に荷物ともども詰め込まれる。人と物がギュウギュウ詰めで、だんだん足がしびれてくる。

その車で4時間。さらに車を乗り換え2時間。途中パンクしたりしながらも、目的のシンゲッティという村に到着した。

シンゲッティはイスラム第七の聖地とされている。かつては交易の街として栄えたが、今は砂に埋もれつつある村だ。枯れ川の両岸に集落が広がっている。枯れ川は広大な砂地で、まるで砂の川が流れているようだ。独特な風景に、聖地と呼ばれる理由もわかる気がした。

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砂丘を歩く。砂はモロッコの砂丘よりも、ややピンクがかっている。空の青さもこちらの方が濃い。

ハエが多い。蚊はいない。

夕方、少年が砂上でサッカーをしていて混ぜてもらおうと声をかける。でも彼らは真剣にサッカーをやっていて、ゲストだからといって試合には出してもらえなかった。

夕食は民宿の家で食べる。米にトマトソースがかかったような料理。そこにいたイタリア人女性と話す。モロッコ人と結婚してモロッコに住んでおり、夫は砂漠ツアーの仕事をしているのでその下見に来たという。
「私たちは子どもはいないけど、モーリタニア人の知り合いは12人も子どもがいるのよ」
モロッコでは50万円くらいで買えるので、家は何軒も持っているそうだ。

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砂漠の村シンゲッティから、ジープに乗ってモーリタニアの首都ヌアクショットに移動。ペンライトを宿に置き忘れてきたことに途中で気づく。

ジープで、ピースコープ(アメリカの海外ボランティア組織)で活動しているアメリカ人の女性と一緒になる。その女性がトイレに行きたいと言うので、だだっ広い真っ白な砂地で停車。砂には白くなった貝殻が混じっていた。湖が干上がった場所なのかもしれない。

ヌアクショットではそのアメリカ人女性が利用している宿に行ってみるが、思ったより高く、安いドミトリーに変更。蚊がいたので、蚊帳を出して眠る。サハラ砂漠以南はマラリアの流行地域だ。

* * *

モーリタニアのヌアクショットから、セネガル国境に向けて移動。

途中で日本人の男性に出会う。50歳くらいだろうか。これまで150カ国以上を旅したという。会社勤めをしている今も、休みを作っては旅行をしているらしい。

「旅で鍛えられた」
とその人は言う。
「大変なことに耐えた経験が、その後のつらいことを乗り越える力になっているし、旅で学んだ語学や知恵は日常生活にも役立っている」。

このような旅の効果についてはしばしば聞く。でも、これまでの自分の旅を考えてみると、鍛えられたと実感できることはとくにない。

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