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ChatGPTと学ぶ『葛飾北斎』

おはようございます、こんにちは、こんばんは!
思いのままに、気の向いたタイミングで色々投稿していこうかなと思います!

プロフィールには書いてあるのですが墨田区に住んでおり、住み始めて約4年が経ちます。そして墨田区がどんどん好きになっていきます。
歴史や文化、昔ながらの風景がある一方で、スカイツリーに代表されるような近代的な景観もあり、魅力しかありません。
ただ、墨田区について詳しいかと言うとまだまだなので、自分も楽しめる形で墨田区を知ろうと思い、ChatGPTと墨田区を学んでみようと思い立ちました。

そんな感じで、初の投稿は生誕地が近所の『葛飾北斎』をテーマにChatGPTと学んでみた、を投稿します。
今回は、世界に向けて葛飾北斎の魅力を発信するためのプレゼン内容としてChatGPTに頑張ってもらいました。
※説も色々あったり、内容を確認はしているもののChatGPTも成長真っ只中なのっで誤りがあるかもなのでその際はお許しを・・・

ChatGPTのプロンプト

葛飾北斎の生い立ちや功績などを世界に向けてプレゼンするためにまとめて下さい。

■構成
・起承転結でまとめる
・それぞれのパートにはタイトルをつける
・全部で1500文字程度
■ポイント
・記載内容については具体的に
・内容については事実ベースで

葛飾北斎について

幼年期と初期のキャリア

葛飾北斎は1760年、江戸(現在の東京)に生まれました。幼名を時太郎と言い、若い頃から絵画に強い関心を持ち、19歳で浮世絵師、勝川春章に師事しました。この期間、彼は基本的な絵画技術を習得し、その後も様々な師から学び続け、独自の芸術スタイルを確立していきました。

芸術家としての成長

北斎は生涯にわたり多くの異なる芸名を用いましたが、最も知られる名前は「葛飾北斎」です。彼は特に風景画や日常生活を題材とした作品で知られ、独特の構図と色使いで新しい浮世絵の地平を開きました。彼の代表作「富嶽三十六景」は、日本国内外で高い評価を受け、特に「神奈川沖浪裏」は世界的に有名な作品となりました。

逆境と晩年

北斎の人生は、常に順風満帆だったわけではありません。家族の問題や財政的な困難に直面しながらも、彼の芸術への情熱は衰えることがありませんでした。晩年には、「画狂老人卍」と自称し、70歳を過ぎてからも創作活動を続け、その期間にも多くの傑作を生み出しました。彼は「生涯学び続け、90歳を過ぎてようやく一端の入り口に立った」と述べ、絶え間ない向上心を持ち続けました。

遺産と影響

葛飾北斎の遺産は、日本のみならず世界中の美術に大きな影響を与えました。彼の作品は西洋の印象派にも影響を与え、ジャポニスムの流行に一役買いました。北斎は、日本文化と芸術を国際的に紹介する重要な役割を果たし、現代のグラフィックデザインやマンガに至るまで、幅広い分野に影響を及ぼしています。彼の探究心と創造性は、今日でも多くの人々にインスピレーションを与え続けており、葛飾北斎は時を超えた芸術家として記憶されています。

ChatGPTで作った葛飾北斎の人生イメージ

葛飾北斎の人生を表現する画像もChatGPTで作ってみたらこんな感じ。

葛飾北斎の人生イメージ

イメージの説明はこんな感じ

この画像は、葛飾北斎の人生と業績を象徴的に表現しています。中心には、情熱を持って作品を描く北斎の姿があり、彼の芸術家としての進化を周囲の風景で示しています。
左側は、彼の修業時代を表し、柔らかい色使いで彼の芸術の基礎を示しています。背景には「富嶽三十六景」から「神奈川沖浪裏」が描かれ、革新的な色使いと構成で知られる北斎の代表作を強調しています。
画像には、北斎が直面した逆境も描かれており、暗い色調で困難な時期を象徴しています。同時に、北斎の作品がヨーロッパの印象派や現代マンガに与えた影響を示す要素も含まれており、彼の全世界への影響を表しています。
この作品は、伝統と革新を融合させた北斎の遺産を、日本の美学と世界的な認識を織り交ぜて描いています。

終わりに

プロンプトを何度か変えてみながら最終アウトプットを出してみました。最終的には「内容については事実ベースで」とプロンプトで指定したのですが、しなかった場合は、内容自体は面白く迫力あるものが出てきたのですが、名前や時系列、内容に誤りが結構散見されました。事実ベースでと入れたことである程度間違いがなさそうな内容が出てきたのですが(それでも確認して少し修正)、内容としては面白みに欠けてしまいました・・・
Try & Learnで試行錯誤しながらやっていきます!



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