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2020年現在夢ジャンルの定義やらを考える

※読み返してみたら夢小説にどっぷり浸かっている人にしかわからないような文章になっていました。

夢の定義、何をもってして夢というジャンルになるのかを私はかれこれ16年ほど考えています。

2017年漫画
https://twitter.com/tappa_suzuki/status/850405795015475204

2020年漫画
https://twitter.com/tappa_suzuki/status/1222403788968824832

ラジオ
https://radiotalk.jp/program/13556

しかし世界の速度は速い…今も延々と考え続けています。
その中で行きついた結論——夢ジャンルの定義、それは
「オリジナルキャラクターを使い、自己投影、感情移入を読者に許し許されたもの達の二次創作」です。

私は夢小説だけでなく"夢創作"として表現方法が多彩になってきた現在

公式+目的+夢主=夢創作

と全てを分解して説明しています。例外もありますが、小説やイラスト関わらず夢創作の構造はほぼこの式で説明出来るのではないでしょうか?

夢創作をしている人間を私は夢者(ゆめもの)と呼んでいます。
しかし、近年では夢女子(ゆめじょし)という言葉の方が広く知られているようです。

夢女子という言葉は夢ジャンルの界隈内ではあまり見ないのですが(自分の周りだけかもしれません)
界隈外の人からは夢小説を好む人間として夢女子、と呼ばれ
二次元版ガチ恋リアコシスヘテロ女性(体も心も女という認知の女性)という認識が強いようです。
そしてシスヘテロ女性の男女の恋愛を主にしたもののみと思われているのが現状です。

!!!男夢主の存在を消すな!?!?!!!

といつも思っているのですが、その話をしてもそれは特殊嗜好なので、マイノリティなので、と流されることが多いようです。
不定形夢主とか触手夢主とかモブおじ夢主とか何にでもなれるのに……。


それは置いておいて、夢小説やら夢創作やら夢ジャンルという言葉、発している人間は深く気にしていないようですが指している意味がバラバラ。
夢小説と言いながら夢ジャンルのことを指したり、夢女子と言いながら特に夢創作をしないアイドルのリアコ女子のことだったり……ここらで意味をみんなで考えてみたくもありますね。

※ここらへんの細かなことは別の記事にまとめます。


近年における名前変換機能とはなんなのか?

夢ジャンルとは何かをずっと考えている中で夢ジャンル界隈の人(一部)に言われるのが

・名前変換がなければ「夢小説」ではない
自己投影ができないものは「夢小説」ではない
・夢主の姿があれば「二次オリ」
・夢と認めるのは一人称視点の絵だけ
・だーからたくさん種類あるのはわかったから個別に名前つけろっつってんダルォ!

あたりですね。

ナンデェエエ!名前変換って夢小説では重要だけど!!夢ジャンルの概念に求めるのは難しくない????
自己投影出来ないものはってそれもう読者の暴論でしょう???
姿があれば二次オリって、小説以外はおよそ無理じゃない?????
一人称視点のイラストや漫画しか許さんの!?やってみ??表現がワンパターンになって金太郎飴みたいになるから。表現方法に関しては技術の差もありますけれども……。
で、夢主の描写について周りを見回すと人によって白ハゲは許すだの手までしか許さん目が描いてなければ大丈夫だの言ってることバラバラなんだ。
こんな状況で新しい基準を考えるのはなかなかに骨です。
名前変換でもうまい名前が思いつかなくて「みょうじ なまえ 」さんで読んでた名付け下手くそ十段に新しい名前を求めないで……!
っていうかい゛っ゛じ ょ゛に゛がん゛がえ゛て゛よ゛ぉ゛ぉ゛゛!!!!

友達がいないので一人でずっと考えていましたが、名前変換を執拗に推す方々……
もしかして夢小説を愛するあまり夢絵という文化を受け入れたくない勢なのかな?
夢絵を異端だとするのは数が膨大になった今では生き辛そう。

ここで過去話。
今でこそSNSで夢イラストや夢漫画はたくさん見られますが、サイトが全盛期だった頃、夢絵は村八分迫害の対象でした。まあ「夢"小説"」が主だったので夢概念として時代的に認められなかったのかな、とは思いますが。

夢主含めわざわざ可視化して自己顕示欲が強いだの、絵が下手だから小説だけ書いてろだの、お話が作れないうちのこ厨だの、原作を借りて自分が気持ちよくなりたいだけのメアリースーだの、一次創作でやればいいのに、だの凄まじい叩きを内外で見ました。
俺はインターネット老人会夢小説支部に所属してるから詳しいんだ。
私はこの意見が怖くて絵が全然描けませんでした。


そういう意味では今のツイッターの〇〇プラスタグでのオリ主のせるな紛争も「夢小説しか認めない、夢絵はなんかキモくてやだ」の昔からある村八分と地続きなのかもしれませんね。絵での表現は小説に比べて受け取り手の自由が制限されやすいので難しいところです。

小説はどこまでいっても自分の頭の中で情報を整理して想像出来るという自分に気持ち良い最高の創作物です。自己投影、感情移入に特化しています。しかし、書き手の伝えたい詳細な描写が読み手に伝わっているかは読み手の脳力次第です。

イラスト、漫画は自分で想像しなくても全てを絵で表現してくれているのでシチュエーションに感じ入りやすいです。自分の想像の限界をも補完してくれます。一人称視点、三人称視点等表現も様々で夢主以外のキャラに自分を重ねることも可能です。
が、自己投影、感情移入をする際に自分の思う通りに表現されておらず入り込めないというノイズもまああります。

自分としてはただの表現媒体の違いだと思うのですが。
読み手をお客様かなんかだと思っているなら自己投影が出来ないものは「夢小説」ではないという言葉は納得できます。
読み手を楽しませるべき、という気持ちは見上げたものですが表現方法が多様化したこの時代にストイックすぎる……。
読み手を楽しませることを考えていなければ夢ジャンルとして認められないのか……(その夢叶えてしんぜよう、の原義ではそうですけど)
いいじゃん二次創作なんだからどんな動機でやったっていいじゃん……。
っていうか人様の力を借りて表現されたものに文句なんかつけらんないよ……夢って作者が言ってるから夢でいいじゃん……。

更にこの理屈だと読み手が「自己投影出来ません」と言えば全ての夢創作者を焼き払うことが出来てしまいす。イチャモンつけやすいですよね。
作者本人が言っていない創作の動機部分をあーだこーだ言い始めるのは無理筋なので形だけ見ましょう。

夢主(オリジナルキャラクター)が入っている二次創作は夢。
細かい部分を全て捨ててしまえばこれに尽きます。
しかし夢ジャンルと思わずオリキャラを入れた創作している人にも勝手に夢創作だ、と押し付けてしてしまうことになります。
二次オリと夢創作の線引きも考えなければなりません。
※二次オリとの線引きの話はまた別途記事を作ります。

更に厄介なのが自己投影、感情移入の話です。
先ほども>読み手が「自己投影出来ません」と言えば~と記述しましたが、読み手によって自己投影ができる、感情移入ができる、の振れ幅が広すぎて基準を作ることは完全に不可能です。
読み手側で無理なら書き手側で考えます。

「夢小説」では名前変換が出来る、という言葉でなんとなく夢の自己投影、感情移入の概念を説明できます。
「夢"創作"」ではどうでしょうか?
イラストや漫画での表現になった場合、名前変換の概念をどうするのか……


名前変換がなくなっても夢だと感じる概念とは何か?

名前変換がなければ夢小説ではない、と主張する方々も、夢絵を見た際も名前変換がなければ、とおっしゃる方が多いです。
私はここで、ん?小説以外でも「夢み」は感じてるんだ……なんなんだ名前変換……と考えました。

夢小説を起源とした夢の概念とは名前変換。つまり
「読者にオリジナルキャラクターの名づけの権利を与え、自己投影、感情移入を可能にすること」

現状イラストに入っているセリフを、読者側が任意の文字に置き換える等のシステムはありません。
更に言うと名前変換せずとも役職(お姉ちゃんお兄ちゃん審神者司令官プロデューサー等)のみで名前を出さないネームレス夢創作というのもあります。SNSの発達により名前変換の出来ない媒体での夢作品は多くあります。

名前は最悪重要ではない?

では何をもってして夢みを感じているのか。
思い返せば私は夢小説を読む際の名前変換で気の利いた名前が浮かばず「みょうじ なまえ」「ななしの ごんべえ」等々で読んできました。
私は根っからの夢者だったので夢小説でないものも勝手に自己投影しながら読んでいたことすらあります。
創作物を消費する際に、自分の身に置き換える楽しみ方は幼稚だ、やーいお前のカーチャンメアリースー!
このような文言がネットの海にははびこっていて自分はおかしいんだ、いつかこの趣味は成長してなくなるんだ、と思い込んでいました。
でもいつになっても消えませんでした。

そこで出会ったのが夢小説でした。
夢小説は許してくれます。名前を変換し、私や、私でない誰かとしての自己投影や感情移入を。
もし自己投影や感情移入を馬鹿にする人がいて、あなたが悩むのであれば一刻も早く屈強な筋肉を手に入れて私がそいつをぶち飛ばしに行きます。私が自己投影や感情移入を許します。
そう、私は自己投影や感情移入を許された物語を安心して読みたかった。

はい、やっと結論にたどり着きました。
近年の夢ジャンルの定義とは、


「オリジナルキャラクターを使った二次創作で、作者側から自己投影、感情移入が許可されているもの」

と考えます。

夢ジャンルを外側から判断する際は二次創作に夢主(オリジナルキャラクター)が入っているか、で判断できるが自己投影や感情移入を許されているか否かは作者次第
自分の作り出したオリジナルキャラクターの物語を消費されたくない人もいるでしょう。

だから、全てをふまえたうえで私は「作者が夢と言ったら夢」派です。

誰かが作り出した夢創作を見て、作者が自己投影している、していない、読み手として自己投影できる、できない等を外側から判断することは不可能である。

夢ジャンルは消費のうちの1つの形

書き手と読み手の立場がごっちゃになっちゃったかな。
でも今日はおしまい。また時間のある時に夢ジャンルについて書きます。


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