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デキる私を超えたい|27歳 もうすぐ親になる副業ワーカー

弱さを見せられない

”正直な性格”が私の良いところだと思っていた。

昔から、周りの人に感謝や愛をうそ偽りなく伝えることが得意だった。小学生の頃は、母が仕事の用事で出張があると、前日の夜に「いつもありがとう、お仕事がんばってね、お母さんのこと大好きだよ。」という手紙を渡していた。高校生の頃に女子ハンドボール部のキャプテンだった時、チームメンバーへ積極的に良いところを伝えていたら退部0名のチームになった。大学生の頃、オーストラリアへ1年間の留学に行く前に、お世話になったゼミの教授やゼミ生、家族・当時の彼氏に感謝を綴った手紙を渡したら、受け取り手が恥ずかしがった。感謝や愛を言葉にして伝えることができる自分が好きだったし、誇らしかった。

一方で、正直でいれない自分を隠し持っていた。感謝や愛といったポジティブなことは周りの人に積極的に伝えられるのに、私自身の出来ないところ・ダメなところを伝えることは苦手だった。この作文を通して、「弱さを見せられない私」と向き合いたい。

弱さを見せられなかった過去の経験

高校生の頃に女子ハンドボール部のキャプテンだった時、あるメンバーが練習を休みがちになった。どうやらキャプテンの私は避けられてるらしかった。当時はかなり悩んだが、監督にも副キャプテンにも相談せずに一人で抱え込んでいた。”キャプテン”なんだから、クヨクヨ悩まずに前に進まなきゃ!と自分に言い聞かせていた。

大学生の頃にオーストラリアに留学していた時、英語が話せなくて授業についていけず苦しい日々を過ごしていた。家族や友達には「いや〜、やっぱ最初は大変だね〜。」と笑いながら話すだけで、本当は苦しいことを伝えられず、ただ時間が過ぎるのを待っていた。ダメダメな自分を見せたくなかった。

大学卒業後に入社した会社で働き始めて3ヶ月経った頃、営業として全く成果が出なかった。ただ、「大学時代に営業をした経験があるから同期よりはできるはず!」と根拠のない自信があり、リーダーにアポ同行を依頼せず、一人でなんとかしようとした。結局、初受注の会社で大クレームを起こし、それがきっかけで”全然できないんじゃん、私”と弱い自分を受け入れられた。

入社して3年目の頃、社内プロジェクトのプロジェクトリーダーになった。メンバーのほとんどは先輩で、リーダーなのに指示出しができず、タスクを抱え込んだ。プロジェクト終盤で、”やばい!”となりメンバーに役割を渡したが、プロジェクトの進行スピードと質を下げてしまった。

入社して4年目の頃、立ち上がったばかりの組織のチームリーダーになった。社内の中では早い年次での昇進だった。メンバーは首都圏・関西圏・東海圏エリアを超えて20名以上、私よりも社歴が長い方・年上の方が多かった。立ち上がったばかりの組織であったこと&メンバー数が多かったことから、仕事が回らなくなっていた。それなのに「助けてほしい」と言えず、一人で抱え込んでしまった。結果として、メンバーや組織全体の成長スピードを遅くしてしまい、期待されていた成果を出せなかった。

大学時代から活動を続けてる副業先のNPOにて新代表として経営を引き継ぐことになった頃、今後の事業計画や組織計画についてメンバーに相談せずに一人で抱え込んだ。”代表なんだから自分で決めなきゃ”というプレッシャーを自身にかけていたが、もともと答えのない社会課題に取り組む団体だったからこそ、出口が見えず悩んでいた。あるミーティングにて、メンバーから「未来が見えなくて不安、モチベーションが下がっている」という声が出た。やばい、代表なのに何をやってるんだ、早く決めなきゃ、とまた相談するのを先送りにした。

弱さを見せられない背景にあるもの

なんで、こんなにも”できない私”を見せられないのだろう・・。何回も何回も失敗を繰り返してるのに、どうしても”できない私”を周りの人に共有できない・・。

その背景にあるものを考えてみた。

きっと「強い役割意識」があるのだ。女子ハンドボール部の”キャプテン”だから、会社の”プロジェクトリーダー”だから、”チームリーダー”だから、NPOの”代表”だから。

また、私の中には「固定化されたリーダーシップ像」があるみたいだ。”人の上に立つリーダーは強くあらねばならない。弱さを見せたらいけないんだ。”という強い思い込みがあった。

強い役割意識や固定化されたリーダーシップ像の根底に「デキる私でありたいというプライド」が根付いているのだと思う。キャプテンになった優秀な私、留学をしている優秀な私、入社3年目でプロジェクトリーダーをしている優秀な私、入社4年目で責任あるポジションを任されている優秀な私、NPOの代表にチャレンジしている優秀な私。周りの人からそう思われていたいし、私自身もそう思っていたいというプライドがあった(思い込みや願いに近いようなものである気もする)。

そんなプライドはいつ形成されたのだろう。

人生を振り返ると、私は「姉二人や同級生と比べて褒められる」という経験がいくつかあった。姉二人と同じところに通っていたピアノの先生から「(姉二人と比べて)一番音感があるね。」と褒められた。小学校の時に算数が得意で先生からも友達からも「すごいね」と褒められた。中学校の頃にバスケットボール部に所属していたとき、左利きが有利に働いてスターティングメンバーに選ばれた。高校生の頃にハンドボール部にいたときに、これまた左利きが有利に働いて1年生の時から試合に何度か出させてもらっていた。大学生の頃に学外で積極的に活動をしていると、社会人から「大学生なのにすごいね」と褒められることが多々あった。

褒められると、嬉しい。
褒められると、私はデキるのかもと感じた。

そんな経験が積み重なり、「デキる私でありたいというプライド」が形成されたのだと思う。

デキる私を超えたい

弱さを見せられないことで何度も失敗し、何度も苦しんだ。もう嫌だ。

でも、私自身に根付いてしまった「デキる私でありたいというプライド」はなかなか捨てられなかった。「デキる私でありたいというプライド」を受け入れて、活かすことはできるのだろうか。

”プライド”という言葉にはマイナスなイメージを持っていた。しかし、大人のじぶん探究部の活動を通して「Pride=誇り」という自分らしさの資質としてのポジティブな見方を知った。私は誇りを持って精一杯生きている。そう思えると、なんだか素敵なことに思えてきた。

私らしい誇りを生かして、これからちょっと前に進むために、トライしてみたいことがある。目の前で取り組んでいることの先にある”ほしい未来”を言語化することだ。

私が尊敬している複業先の団体の創業者や、勤めている会社の上司は、答えのない取り組みの先にある”ほしい未来”を自分の言葉で言語化し、周りの人と共有していた。”ほしい未来”を描けたら、私の中にある「強い役割意識」「固定化されたリーダーシップ像」「デキる私でありたいというプライド」にこれまでとは違う視点で、前向きな意味を持たせられるのかもしれない。

私は1ヶ月後に親になる。
初めて子育てというものを経験することになる。

きっと、これまでと同じように弱さを見せられないことで壁にぶつかると思う。でもそんな時に、この作文を思い出したい。

デキる私を超えた先に、”ほしい未来”があるはずだから。

Season 1 - 作文集credit


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