マガジンのカバー画像

タペストリー 大人の等身大作文集

17
TAPESToRYの部員のみなさんの作文を、こちらに文集としてまとめています。
運営しているクリエイター

記事一覧

折り返しじゃなくて、中間地点のわたし|42歳 人材育成職

そろそろ章が変わる時だなと思っている。 そう思うようになったのは、数年前から。いつかは帰ろう、と思っていたそのいつかは、私が動かないことには少しも近づいてこないと気付いたから。 英語を生活言語として使い始めて、15年になる今年。気付いたら42歳。何をしてもしなくても、誰と過ごしても過ごさなくても、寝ても寝なくても、笑っても笑わなくても、毎年確実に月日は過ぎて行って、私も家族も誰もが平等に、分け隔てなく年齢を重ねていく。小学生になった娘の縄跳びが連続100回を超えたと思えば

「自分の幸せの形」を見つけることの大切さ ~ Define your happiness ~|40代 自営業

幼い頃から、祖父母や両親の幼い頃や若い頃の話を聴くのが好きだった。 母方の祖母は当時60代で、父方の祖母は当時50代。どちらも自分から話すわけではなく、「そんな話、聞いてもおもしろうないやろうに」などと言いながら、記憶を手繰り寄せて話してくれた。 と言っても、語り継がれるような話ではない。夏は家のそばにあったきれいな川で泳いでいたとか、砂糖が貴重だった時代に母親が鍋一杯に作った餡子を全部食べてしまって怒られたとか、山歩きが好きでアケビやタケノコや山菜を取って食べたといった

自分のアップデートを認識する|33歳 フリーランス

2022年の私は「随分遠くにきたものだなぁ」という感覚である。10年前の22歳、大学卒業した頃には想像すら出来なかったフリーランスで多種多様なお仕事に巡り合わせてもらっている。そして、当時はまだ出会っていなかった人と家庭を持ち、1歳の女の子を育てている。 社会人になって多くのことを経験し、自分が少しずつアップデートされている感覚がある。きっとこれからの10年もそうだろうと思う。何せ私は変化や挑戦することが大好きで、この性格はきっとこれからも変わらない。だからこそ、等身大の自

探し物をしていた自分へ|47歳 ホームスクールママ

気が付いたらここまできたんだ。 私は、3年前にも作文を書いている。 あの頃の私は、息子がこの先どうなってしまうんだろうと、不安と苛立ちがいっぱいの靄に包まれていて、それに飲み込まれそうになる度に必死にもがいた苦しい時だった。 そんな時に作文を書く機会があった。 あれから3年。ホームスクーリングも3年目になった。 あのころの自分に伝えたい。 息子の心の声をもっと早くきちんと聴いてあげていたら良かったのに、と自分を随分責めていたけど、ちゃんと息子の心の声を聴けたじゃない。

静かなる情熱|40代 企業戦士

最近の世の中の傾向は、頑張らないというか、自分に正直というか、なんでもいいというか。それって、私の場合はどうなんだろうか?がんばっちゃ。。いけないのか?がんばることも自分に正直なんだったら、それでもいいはず。私はいろんなことに、がんばりたい。強制されてはいない。でもかんばりたい。自分の精一杯をいつもぶつけていたい。 最近、よく歌を歌ってる。それも昔の歌を。当時の自分は、がむしゃらに、がんばってた。今と違う意味で、がんばってた。はねた前髪、制服、模試の結果、バイト、友達、何も

幸せになるための処世術|59歳 フリーランス

「それは処世術ですね。」 第1回セッションで気づかされた。 そうか!今まで私が考えたり実践したりしてきたことは処世術なのか。 思えばずっと、来た球を打ち返すだけで精いっぱいの人生だった。 * * * 最初に入った旅行会社では、平日朝8時から終電まで手配などの仕事をし、土日祝日は添乗。昭和の時代だったため、お決まりの社長のセクハラ・パワハラ。9ヶ月で体を壊して転職。 次に入った旅行会社では、取引先の人と出会い結婚。第一子妊娠中に相手は海外赴任となり、生まれたばかりの娘

自分らしく生きるとは|46歳 広告代理店 Business Producer

2020年2月末から止まった感覚で2年間。予期せぬパンデミックによって世界から隔絶された気がした。仕事や生活も一変。オンラインで自宅にて仕事、誰とも会わないまま、ただただ単調な毎日を過ごした。いろいろとモノの見え方も、考え方も以前のままではいられなかった。TransformationとかNew Normalとか洗脳されて違和感だらけ。人との強いConnectionを感じることなく、一人で生きている感覚。同時に、自分の生き方に自信が持てなくなっていた。 そして、年齢を意識せず

私へ|47歳 UXデザイナー

とても小さい頃、お父さんが怖くて、お父さんがお母さんに怒鳴る度、自分の幼さを呪ったね。かわいそうにね。でも、よく一人で苦しさ受け止めたね。 そんな私にこれ、言いたいです。そんな風だけど、あなたは守られているんだよ。そんな彼らに、彼らなりのやり方で愛されている。お父さん今ではすっかり丸くなったよ。お母さんは強くなって。ふたりとも元気だよ。だから大丈夫だよ。 10代の頃、私は言われる程賢くなくて、でも、がっかりされたくないから、これからはそれを隠して誤魔化しながら生きて行くし

タフな愛情をもって愛することを誓う|30歳 娘

この作文は、私の選手宣誓だ。 「幸せな」家族日本には従来こうあるべき、みたいな「家族」に対する固定概念が存在すると思う。家族は分かり合えるもの、幸せなもの、ずっと変わらないもの…。 私の家族はまさにそうだった。 社長令嬢だった母はちょっと世間知らずなところはあるけれど、家族が大好きで愛情たっぷりだった。大学病院で医師をしている父は、とにかく研究が楽しそうで、そしてよく遊んでくれた。4歳下の妹とは対等に仲が良かった(私はお姉ちゃんと呼ばれたことは一度もない)。小さな頃から

デキる私を超えたい|27歳 もうすぐ親になる副業ワーカー

弱さを見せられない”正直な性格”が私の良いところだと思っていた。 昔から、周りの人に感謝や愛をうそ偽りなく伝えることが得意だった。小学生の頃は、母が仕事の用事で出張があると、前日の夜に「いつもありがとう、お仕事がんばってね、お母さんのこと大好きだよ。」という手紙を渡していた。高校生の頃に女子ハンドボール部のキャプテンだった時、チームメンバーへ積極的に良いところを伝えていたら退部0名のチームになった。大学生の頃、オーストラリアへ1年間の留学に行く前に、お世話になったゼミの教授

前職の呪いと現れた熱帯魚|36歳 作文係

Career definingな仕事。そういう仕事を割と最近したことがある。年をとったら、孫に「おばあちゃんは若い頃こんなことをしたことあるのよ~」といった風に、自慢できるようなこと。国家元首と有名な大富豪と一緒に収まった写真を見ながら、将来そういうふうに懐かしく語るのかもしれない。そんな仕事。 Dream job。間違いなく、ああいう仕事のことを言うんだろう。やりがいがあって、高給で、社会的認知度も高くて、自分の目指していた方向や専門性と、ぴったりあうものだった。 だけ

2021年夏 私への約束|38歳 留学生

言い訳を、やめてみようと思う。 何か聞かれるたびに、必ず枕詞をつけていた。 「英語が苦手なので」 「頭いい方じゃないので」 「できるかわからないけれど」 「正しく理解しているかわかりませんが」 「私なんかでいいのかわからないけれど」 褒められれば、逆のことを答えた。 「アクティブだよね」「いや、実際は迷ってばっかりなんです」 「海外楽しそうだね」「でも、英語ができなくってしんどくて・・」 何なら、リスクヘッジになる賢い選択だったり、謙虚さの表れとして良いものだと思

何者でもない(ときを楽しむ)|34歳 フリーランス

「何者でもない」ときを楽しむ。 情報過多社会では難しいことなのかもしれない。 望んでそうなったわけではなかった。 しかし、人生の神様はいとも簡単に、大好きな仕事を奪い取り、社会に放り出す。 今となっては、その「何者でもない」ときに、自分自身を見つめ直す時間をくれた神様に感謝してやまない。 (来年、何を言っているかはわからないけれど) 起:はじめての「何者でもない」とき「なんで皆と同じことをしないといけないの?」 幼稚園に通い始めた私が、母親に投げかけた疑問らしい。小さ

働く組織との関連性|38歳 ソーシャルワーカー

みなさんは、今いる職場は好きですか?嫌いですか? あなたとその組織はどんな関係性ですか? 私は10年、同じ会社に勤めています。「10年の付き合い」ってまあまあ長くって、「つながりが強まる」だけではなくって、楽しかったことや嬉しかったこと、悲しかったことや苦しかったこと。認められたこともあれば、自分が大事にしていることを軽んじられたようなこともあって、悔しい想いや怒りを感じることもたくさんありました。 そんな感情がこんがらがって、「愛着」「愛情」と「憎しみ」みたいなものが同