見出し画像

優しみ


朝、急に気になり、台所や壁や冷蔵庫などにペタペタと貼ってあるシールや子どもの絵などを全て剥がした。
とてもスッキリした。
あのとき嬉しくて貼ったものが、今は剥がすとスッキリするなんて。
そんな些細なことひとつ取っても、いつのまにか色々なことが変わっていくということ。

子どもがとても小さいころ、私はある出来事や人に対する怒りと憎しみと悲しみと、一人で子どもを育てなきゃという責任の重さと不安と、その全てを肯定したい一心での頑張りと、その裏で全部を自分のせいだと誰よりも自分を責め続けていた結果、鬱病になって寝込んで何も出来なくなった。
自律神経がおかしくなり、止まらない冷たい汗と目から自動的に流れる涙を拭きもせず横になったままただ空を見ていた。
鬱病とパニックを繰り返しながら病院やヘルパーさんにお世話になり、やっと私はここで、地球で死ぬまで生きることを本気で決めた。
あれから何年経っただろうか。
壁はスッキリした。
子どもたちが母の日にくれた絵は貼ったままにした。

カラテカ矢部太郎さんの『大家さんと僕』を買ってきて子どもが寝たあとに読み始めたのだけど、なんともたまらない気持ち。早く読みたいけどゆっくり読みたいとも思い、途中で閉じる。
矢部さん優しいな。大家さんも。
二人とも優しい。愛しい。
昔の人は愛しいを〈いとしい〉とも〈かなしい〉とも読んだそうで。
美しすぎるものを見ると切なくなるのは、終わりの記憶が身体の中にあるからなんだろうと思う。
全ては一秒も留まらず変わり続ける、子どももどんどん大きくなっていく、同じ日は二度とない、いつか小さな子どもたちも私の背を追い越し彼らの人生へと道は別れていく、やがて肉体としての自分も終わりを迎える、そして二度と会えなくなる。
その全てが美しく、愛おしい。
哀しくて、愛(かな)しい。

矢部さんの描く大家さんの絵がとても可愛らしい。いくら実話とは言え一言一句違わないことは無いだろうし、あくまでも一人の人間のフィルターを通したあれは創作作品なのだけど、作り物ではないその人個人の底にある優しさから描かれていることが滲み出ているから、あの本は、矢部さんの視点は、とても優しいのだと思う。

優しみ、可笑しみ、哀しみ、愛しみ。
他の誰にもなろうとせずひたすらにその人として生きていれば、それだけで人は、本当はきっととても豊かなんだと思う。





この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

より良い表現ができるように励みます。ありがとうございます🌷