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DAYDREAM


noteを久しぶりに書いたそばから、真逆のことを思ったりする。
雨の中、自転車を漕ぎながら気付いたら歌っていた歌は、フィッシュマンズの「DAYDREAM」だった。

声高らかに明るさを歌うこと、
その後ろの影を人はどうしているんだろう?
その後ろの影をも大きな声で、これが俺だと強く打ち出すやり方もあるし、そういう人もいるけれど、
声にならない声や、風に消えていく音を黙って見ていることのほうに、私は安らぎを覚える。

眩しさに目を細める人の顔が好きだ。

光はあるから、無理に目を開けて見つめなくてもいいじゃないか、
多分そんなふうに、どこかで思っている。

ネットの上では誰もがキラキラしているように見える。
そう見せるから?切り取るから?
じゃあ見せない部分は?
眩しい光も、眩しくない光も、等しく光。

私は今まで生きてきて何者かになったことがない。
肩書きがあったことがない。
何をしてる人ですか?と聞かれて答えられたことがない。
今も昔も変わらず私には何もなくて、ただこうして何もない自分だけがいる。
最近そういうことをよく考える。
刺し子みたいに、タペストリーを作るみたいに、土の上で黙々と日々の点を打ちながら、
同時に宇宙からそれを眺める。
そして子どものオムツを替えたり、床を拭いたり、怒ったり、ドラゴンボールを見たりしている。

突然だけど今思ったこと。
生きているうちに、会いたい人には会いに行ったほうがいい。
生きていても、縁がない人とは会えないものなんだろうし。










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