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蝶と蜂


時々、無音が聴きたいと思う。
その人の命の生きている音だけが見たいときがある。
そういうものは私を遠くへ連れていき、同時に曖昧だった私の影をここに力強くくっきりと現す。
そして私はその時、ひとりになる。
でも淋しくはない。
目の前のその人もひとりきりだから。
同じ空間にいながら、別々の、それぞれのひとりきりの場所で、私たちはその時だけ、本当に出逢うことができる。
本当のひとりきりはまるい。淋しくない。時々、そういう表現をする人たちがいる。
そういう人たちの表現は、私をとても安心させ、勇気づける。
10代の頃見に行った舞踏、20代の頃に聴いた音楽、30代になって出会った友だち。
今もみんな、そのまま、まるいひとりきりで生きていることを表している。
そういうのがいい。
そういうのが私は一番面白い。
黙ってるときの人の顔が一番饒舌だったりするように。
その人がその人でいるときが一番面白い。
そういうものを見たとき、私は細胞がプチプチ湧き立つようになり、生きてて良かったなぁ!という気持ちになり、感動する。
でも、この静かな感動を抱えて一人きりで内にこもってるよりも、外に向かって放ち、波紋みたいに広がって、みんなの細胞が震え出したらもっともっと面白いことになるんじゃないだろうかと思うのだけど、一体どうしたらいいのか分からずに、どうにもできずに、取り止めもなく、あてもなく書いている。道筋が無いからといって、まだ諦めたわけじゃない。
人生を蝶のように遊び、蜂のようにも遊びたい。








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