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がんばってみる


当時、まだ全然売れていなかったその友だちは10代で、小さな風呂無しのアパートのうっすい壁を隣人に殴られながら、炬燵こたつの前でギターを弾いて自作の歌を歌ってくれた。
すごく歌うことが苦手で自分の声にコンプレックスがあると言いながら歌い出したその声色を聴いた瞬間私はあまりにも驚いて、「すごいよ!すごいよ!もっと歌って欲しい!絶対歌った方がいい!」と静かに大興奮した。その時の、血がふつふつとして鳥肌が立つような、目がパッと開くような衝撃を、今でもはっきりと覚えている。これが才能というものなんだと、彼よりは年上だったけどそれでもまだ若かった私は心底思い知った。彼は照れたように、小さな声でありがとうと言った。
私はノートに歌詞を聞き書きし、忘れないようにメロディを何度も口ずさんだ。そして帰り道、一人でその歌を繰り返し歌った。

やがて時が流れ、道が違え、彼との交流がなくなって久しい頃、私が書いた詩が公募誌に小さく載った。佳作だったけど、色々ともがいていた私にはそんなささやかなことがとても嬉しくて、アドレス帳に載っていた人全員に「ぜひ読んでください」と勇気を出して一斉メールを送った。するとすぐに「よかったね!おめでとう!」と彼から返信が返ってきた。ずっとやり取りをしていなかったしその頃彼は売れて忙しくなっていたので、返事が来たことにびっくりした。それは適当な社交辞令ではなくて、まっすぐで、力強い握手みたいに力のこもった「おめでとう!」だった。その一言で、彼がどれだけ悔しい思いをして努力して頑張って今の場所に行ったのかがすごく伝わってきた。結局、詩が掲載されたことに返信をくれたのは、彼だけだった。私も彼のように本当に人のことを喜べる人になりたいと思った。だから。

だから、あれからずいぶん時間が過ぎてしまったけれど、あの頃のわたしや彼に恥じないように、今からでもがんばってみようと思う。
「よかったね!おめでとう!」って自分に言えるように、がんばってみようと思う。












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