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日本を創った偉人

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日本を創った偉人達のあまり知られてない偉業をまとめたマガジン
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#東洋思想

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた①

白状します。 ワタクシ、まったく見誤っておりました。あの偉大なパイセンのことを。 誰のことかって?🤔 厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと聖徳太子パイセンのことです。 何を見誤っていたのか学生時代、日本史を全力でスルーしていた私にとって、正直「聖徳太子」と言われましても ぐらいの認識でした。 「冠位十二階」とか「十七条の憲法」を作ったことぐらいはさすがに覚えてますけどね。第一条の「和を以て貴しと為す」は色んな場面で言及されますし。そんな感じで、旧一万円札の顔になる程度

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた②

前回の続きです。 我らが聖徳太子(太子パイセン)が、内憂外患だらけの日本を、超人的オペレーションでどう立て直したのかを紹介するシリーズの2回目。 今回は「内憂」です。当時の国内がどれほどマジヤバな状況だったかを紹介します。 そもそも太子パイセンの立ち位置って?日本の「内憂」がどんなものだったのかを紹介する前に、まず太子パイセンの立ち位置を改めて確認しておきます👇 太子パイセンは第31代天皇「用明天皇」の長子です。現代でいえば「皇太子」的なポジションなんですよね一応。

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた④

前回の続きです。 これまでの内容を簡単におさらいしますと、聖徳太子が推古天皇の摂政に就いた時代(7世紀)の日本はこんな内憂外患を抱えていました👇 この難局を太子パイセンがどのような施策で乗り切ったのか、そしてそこから現代に活かせる教訓はなにか。個人的には政治家だけでなく、全ての日本人が知っておくべき大偉業だと私は思っています。 今日は「外患」に対して太子パイセンがとったオペレーションを紹介します。 聖徳太子パイセンの国家構想日本の外患を取り除くために太子パイセンは数々

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた⑤(最終回)

「問題だらけの日本を立て直した聖徳太子(太子パイセン)の偉業を紹介する」シリーズもいよいよ最終回です。 おさらいすると、太子パイセンが推古天皇の摂政に就いた当時、日本はこんな難局に直面していました👇 前回は2)について紹介しました。今回は1) つまり「内憂」をどのように立て直したかを紹介します。 聖徳太子パイセンの内政立て直し構想日本の内憂を取り除くため太子パイセンは数々の施策をやりましたが、各施策の背後に一つの通底した構想がありました。その構想を一言で表すとしたら、こ