舞台「ボクコネ 〜 ボクはテクノカットよりコネチカット」:感想


私立恵比寿中学が主演を務める4年ぶりの舞台として行われる予定だったが、残念ながら中止となってしまい、配信として公開されていた。
今回はその内容を見て特に印象的でその中で思ったことを書いてみようと。

※以降ネタバレあり。


1.登場人物

 ・萬屋満(真山りか)
 ・日野さやか(星名美怜) 
 ・板垣恭子(柏木ひなた)
 ・宇宙少女(小林歌穂)
 ・田中柚子(中山莉子)
 ・山田(山口森広)
 ・佐藤(山田悠介)

 
2.後半の展開から思うこと

序盤はコメディ的に展開が進むのかと思いきや、後半はエゴやすれ違いが剥き出しに起こり、人間の負の部分が見えて衝突が起きていく。

極限状態の環境下でどう行動を取るのか、最終的に皆それぞれが取った行動は自分本意な方向に向かっていたかもしれないが、それが個々人の思いとはすれ違ったまま死を迎えてしまうという感じであった。
 


登場人物のなかに、「トリガーが引かれて切り替わる瞬間」の感情の露呈とセリフがあり、その人としてを端的に出していたと感じた。

萬屋は売れないシンガーソングライターであるが、その仕事にはプライドを持っていた。
また、非協力的である板垣や日野と比べると序盤は山田や佐藤の行動には好意的であり、協力的な形であったかなと。
後半、山田に否定され、佐藤が山田の前だと何も意見が出来ないことを察した時に日野の言っていたことを理解して怒り、佐藤の態度に対しても怒っていたのは認められていたと思っていたことが、違っていたのだなと。

日野は自分には夢や希望や才能がないという投げやりな言葉あったと言う印象。生活が乱れているためかそう偏見で見られているところもあったと思われるが、山田の怪しさを勘付いていたことや、感情を吐露するところで出した言葉が彼女の芯や彼女なりの正義を感じさせる場であった。
貢ぐことでの人より「優位性」を保つことで自分というものを維持してたものの、寄生されて体の優位性を奪われて支配され、シーンに出ないところに救われなさを感じてしまった。

3.利己主義と利他主義

ストーリーの中で出てくる話。
最後の展開まで踏まえると、人は極限状態(命に関わる状態)になった時に行動をするのか。というあたりがあった。そもそも地球が崩壊して宇宙を漂うしかなくなった時点で、極限状態ではあるのだが…。
あの環境で過ごす時に、「利他」であることを求められていた。

利他とはなにか?利己とはなにか?

個人的に、あの場で存在する「利他」というのは「利己」の上に乗っかったもの、と言う認識であった。
元々これらを求めていた山田の考えであるから。

宇宙に旅立った時のスイッチの決定で自分ではない、柚子が最適である、という決定を下している。
山田と佐藤の話に他の人たちはその同調圧力というか流れに争うことが出来ず、同意の拍手をしてしまう。山田は基本的に自分の考えを否定されたり反発されるのを極度に嫌がる傾向があった。

柚子にスイッチを押す役割になるのに一番反発していた板垣や、最初から非協力的であった日野に対して非常に冷たい目で見て扱っている。

山田と佐藤の話の中で、

山田は「傷つきたくない」と言い、最後のシーンでは「お前もか」「どうしてお前らは俺を裏切るのか」

と言っている。山田の中では自分が否定されること、認められないことは絶対に許せないことであったのだろう。
冒頭のシーンで山田の妻は山田に殺されているようで、佐藤がそのあとの対応をしている。なにか裏切りがあった中で感情的になって殺したのだろうかという推察と、何故妻も宇宙船に乗っているのかという疑問はあるのだが、おそらく本当は添乗員として妻もいたのか。

結局は「傷つきたくない」という言葉も含めて、
利他というものも、利己(自分の利益となる行為)が実現されている状態の上での主張であるのではないかとも感じた。

利己的・利他的という観点では、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」と言う話が頭に思い浮かんだ。
社会性・遺伝性という観点や種として生き残るには、という点で見ると、スイッチ押すか押さないか論も、人類として残るためという大義名分で決定を下している。満屋と言い争った際もそうであったが、このスイッチの役割を担うことが利他であるものの、そこを望まないのが、やはり利己があった上での利他なのではないだろうか。

そもそもとしては、地球が滅亡することなど考えていなかったであろう。だからこそ冷凍保存で眠った後の世界が幸せなのだろうか?
利他性を求めることで種がうまく残ることはない。結果的に生き残れるのは利己的な生物であるということ。

4.倫理的ジレンマ

上記で出てきた利己、利他の話で、「スイッチを押すのを誰にするのか」と言う話がある。

決定のシーンでのガガーリンとライカ犬の話が言及もされている
「私たちがガガーリンで、おばあちゃんがライカ犬」と言う言葉が板垣の言葉にあった。

板垣は最終的にはスイッチを柚子に委ねて、自分が冷凍保存されることを望むことになる。

スイッチを柚子に押してもらうことがガガーリンとライカ犬の例えになるのは、可能性にかけると言うことなのだろうか、と最初は思った。
人類が生き残るならばの選択肢が冷凍保存で生き残る「賭け」の選択が、ガガーリンが人類として宇宙に初めて行くことの「賭け」との重なりだろうか。

しかし、個人的には板垣自身には「人類が生き残るなら」という考えはないように感じた。ただあの場に居たくない、と言うそして本当の意味での引きこもりとなることを望んだだけかもしれない。


柚子と2人での葉書のシーンでの、過去の自分の祖母との話もそうであるが、柚子に対して心を開いていた。柚子を守ると言うかスイッチを押すのが反対の立場であった。
ただ、人類が生き残るとか自分が生き残りたい、ではなくみんなを失って逃げる場所が冷凍保存しかなかった、、だけなのかなと感じた。

ある意味ではこの誰かを犠牲にしてでも行動を選択しなければならない、と言う話であり、これは倫理的ジレンマの思考実験の中で、トロッコ問題という物があり、その中で論じられる話でこのようなものがある。

引用:https://ddnavi.com/news/321617/a/

(1)「正義」を数で決められるのか?
(2)手段によって「正義」は変わるのか?
(3)対象が誰かによって「正義」は変わるのか?

この問いかけは思考実験なので、回答は人により違うのだが、それと同様に、あの舞台の場では人の数だけ正義はそれぞれ違っていると言うこと。
それは舞台に限らない話かもしれない。


誰かの幸福のためには誰かの不幸が裏ではあるかもしれない。そう言うジレンマが目の前にある時に、誰かの選択した正義が正しいのか、と言うのは結局は決められないと言う難しさである。

拍手という同調圧力、決定ありきで反論してももう避けられなく仕方なく物事が進んでいったことは板垣の中で苦しめられていたのではないか。

5.ボタンを押したのか?最後の展開について

解釈の余地があるが、個人的にはあの時は柚子と宇宙少女はずっとあのまま永遠の10分間となっていたのだろうと感じる。

柚子はみんながいることが嬉しいと言っていた。何かしらの事情で家族と離れ、身寄りもない状態。そして誰もいなくなってしまった。しかし彼女は気づかないこと。10分は何ヶ月か、何年か、永遠に立たずにあのままなのではないだろうか。

でも、柚子は夢が叶って幸せだったのだろう。

セリフを日野代わりに読めていた柚子が読もうとしなかった葉書。表情も曇っていき、宇宙少女も何かを察して楽しいことしよう、と場を変えようとしていた。
柚子はわかっていたけれどもその現実を目にしたくなかったのではなかろうか。

6.最後に

まとまりなく印象的だったところをいろいろ考えて書いているため、とても長くなってしまったし、書いてないところで気になるところもあるので、そこがあったら追々。

自分はエビ中のファンであるためどちらかというとただ楽しい、と言うような話かと思っていたが、突きつけられた話が様々な解釈や考察をしうる内容であったのでとても興味深く各役割を見ていることができた。

解釈やら考察の余地を残して置かれる話は色んな見方が出来てそこからどう思うかとか捉えるかは受け手の考え次第なので、そういう話の広がりを考えて楽しい見方ができるなと思った。

またそれぞれがいろんな舞台などでも活躍できる機会があったらいいなとも。

あー、やっぱり生で見たかったな!!!

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