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ぼくが本当にやりたかったことと「トムとジェリー」

マサチューセッツの木之瀬です。
『地獄のアンバサダー』製作にあたって影響を受けたものの記事を書いたが、その際に敢えて省いたものがある。『トムとジェリー』だ。

今回の稽古の中でいえば、『シャイニング』と同様に福久聡吾a.k.a.そーちゃんが持ってきたネタだった。ネタというか、チャック・ジョーンズ期のエピソードがお気に入りだと言ってとあるシーンのパロディを披露していた。実際にそのシーンを皆で再現したりもした。結局活かされたコントはなかったが。

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今回に限っては活かされなかったが、しかしそもそもぼくは影響を受けている、ということに思い至った。
幼少期、ぼくはディズニー作品を観て育った。長編作品もいろいろ観たが、特におもしろいと感じていたのはミッキーやドナルドが散々な目にあったりまたは名もなき動物たちを散々な目にあわせるといった、本当に初期ディズニーの作品群だった。その流れで、『トムとジェリー』も好きだった。
アニメだからこそ可能なドタバタ表現と音楽に乗せたコミカルさ、ストーリーや台詞に頼らない現象そのもののおもしろさが好きだった。というより当時のぼくくらいの子どもでもわかるようにそういった表現になっているんだろうから、好きになったのも至極当たり前だ。

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ところが刷り込みとはおそろしく、そこそこの年齢になった今もそういったものがいちばんおもしろいと感じている。
その証拠に、あるときヨドバシカメラをそーちゃんと散策していた際、手に取った最新鋭のハンディクリーナーのあまりに勢いよく開くゴミ蓋でしばらく爆笑していたくらいだ。そしてなにを隠そう、マサチューセッツの活動再開を決めたのはその日だった。

そうか、これがマサチューセッツだった。
マサチューセッツを始めた当初から、「人が物のようになってしまう瞬間」が好きでそれを表現しようとしていた。意思に関係なく「そうなってしまう状況」やその現象をいかにして作り出せるか。答えはシンプルだった。というか答えなどなく、ただもうそういうものにする、ということだと気づいた。それはそう、掃除機の蓋のように。
そしてそんな表現をしている人はいない、というか表現するにあんまり値しないように思える。でもマサチューセッツならできる。できそうだと思う。実質活動を休止しているマサチューセッツを動かせるのはおれだけだ。ならばやるしかねえ。
そうして、活動再開を決定した。クリスマスイブのことだった。
(イブに男ふたりでヨドバシで遊んでたのか)

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かくして『地獄のアンバサダー』においては、すべての理由が存在しない世界を描くことにしたのだった。用意されているのは、ネコがネズミを追いかける、くらいの基本原則のみ。あとはもう現象がひたすら発生するだけの45分間。ぼくがいちばんやりたかったことだけを集めることができた。

理由や意味もおもしろい。
けど、理由も意味もないことがおもしろいことだってある。
赤ん坊だって笑うのだ。


あわせてどうぞ
製作後記 https://note.com/tanzwalzer/n/n414fc58464a1
全コント解説 https://note.com/tanzwalzer/n/n7e8e3d7c3712
影響を受けたもの https://note.com/tanzwalzer/n/n87c4e49aa213

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