熊本地震から6年、当時の振り返り。おまけを添えて。

おはようございます、今日も変わらず目覚まし時計いらずの起床です。
でも、昨日は1時(25時)に起きてそのまま眠れずに超極早朝活動していたので、まだ今日はマシですね。

さて、今日で熊本地震から6年になります。
正確にいうと、2016年4月14日の夜に発生した前震から6年です。
最大震度7の地震が起こって、最初はそれが本震、その後の余震に注意してくださいということでした。
そして、4月16日の深夜1時半頃、再び最大震度7の地震が発生、気象庁はこちらを本震とし、14日のものは前震であったと訂正しました。

熊本地震の怖いところは震度7の揺れが2回来たこと、その間にも6強、6弱の地震が発生していたことです。
前震で建物の耐久性が下がってしまった後、震度6台の地震が2回、そして本震が来たことで建物が耐えきれなくなり多くの建物が倒壊しました。
あの地震で亡くなった方々に、謹んで哀悼の意を表します。

14日の地震後、政府は車生活を送る住人に自宅に戻るように指示を出しました。
熊本県知事は逆に「恐怖心があるなら車生活を続けていい」と安心を優先するよう表明しました。
結果、政府の指示に従って自宅に戻ったところで本震が来て、自宅が倒壊し亡くなったという事態が起こったのです。
確かに政府の指示に従うかどうかは住人の判断です。ですが、「国が家に戻れと言っているから」と恐怖を押し殺して自宅に戻った挙句に亡くなった方もいらっしゃったと思います。そのことが本当に可哀そうでなりません。

さて、我が家はこの地震の数年前にリフォームを行っており、また、隣家の叔父夫妻の家(元母方の祖父母の家)も我が家のリフォームを見て「うちもしよう!」と耐震性も含めてリフォームしていたため、壁に多少の日々が入った程度で済みました。ですが、地震発生後は自宅周辺は半壊した家も多く、また近くのマンション2棟は人が住める状態ではなくなって、取り壊し。今でも更地のまま放置されています。

自宅は無事でしたが、16日の本震では私は寝ているところを倒れてきたメタルラックの下敷きになり、頚椎をメタルラックの木板で強打、その上に乗っていたオーディオが肩甲骨を直撃し、しばらく手先がしびれたような動かしにくいような感じがありました。ですが、その程度の症状ではトリアージ(医療優先度)は低く、どれだけ待っても診察してもらえないか最初から帰されるかのどちらかだったので、最初から受診を諦めました。もう少し当たり所が悪かったら、下半身不随や脳死状態になっていたと思います。布団を頭まで被って寝る癖があってよかったと思っています。

私はこの頃就職活動を行っており、たまたまこの14日の昼間に第一志望の企業から内々定をいただきました。そしてその夜に被災。企業には無事であることをメール連絡しましたが、16日の本震で交通網が完全にマヒし、内々定後に福岡で予定されていた面談を期限未定で延期していただくようお願いすることになりました。また、他にも受けていた企業があったのですが、地震で就職活動を続けられる状況ではなくなったため、その旨を伝えて就職活動を終了しました。
ちなみに、被災して大変なことになっている最中に「○日に一次面談を行います」と連絡してきた大企業がありました。居住地を気にせず、ただ登録メールアドレスに一斉送信したのでしょうね。熊本なんて田舎、都会(大阪)には地震が発生しても関係ない事なんだなと思いつつ、「被災したためそれどころではありません。エントリーを取り消しさせていただきます」と返信しました。大阪なら阪神淡路大震災を経験しているはずなのに、他人事なのだなとしみじみと思いました。

さて、自宅は幸いにも無事、電気やインターネット回線は無事でしたが、唯一ダメになったのが水道(とガス。我が家はオール電化にしていたのでガスに関しては問題なし)。
本震後、熊本市内で一番最後まで断水が続きました。
しかも、徒歩圏内に給水場がないという最悪の事態。車での移動は道路の破損状況が酷かったため難しいですし、緊急車両のために自家用車の使用は自粛するように通達がありましたので、車でどこかに汲みに行くこともできません。
困っていたところで、ご近所さんがご厚意で自宅の水まき用の井戸を開放してくださいました。煮沸すれば飲用としても使えるとのことで、雑用(トイレを流したり、手を洗ったり)と飲用に暇さえあればバケツやペットボトルを持って井戸まで水を汲みに行きました。その方のご自宅は被災して住める状況ではなくなり、たまたま近所にできたばかりだったアパートを借りて生活なさっていたのですが、落ち着いてからお礼に伺いました。あの井戸水がなければ、我が家は立ち行かなくなっていたところでした。
お風呂はバスタブに貯められる量の水を汲んでくるのが難しかったため断念。水道が復旧するまで、途中で1回遠方の地震の被害がなかった地域まで温泉に入りに行った以外はお風呂はなしでした。昨日もそうでしたが、この時期の熊本は時折夏日(25℃以上)になることもしばしば。しかも日中は暇さえあれば水汲みに出かけるので汗をかきます。身体を拭くことはできましたが、髪が洗えなかったのはツラかったですね。

また、地震の数日後に父の肝がんの手術の予定が入っていました。余震が続いているため、延期の希望も受け付けていますと病院から連絡が来ましたが、食い扶持が1人減るだけでも食料の確保が楽になるので、そのまま予定通り入院、手術となりました。父はなんというか……あまり器用な方ではないので、地震の後片付け要員としてはほぼ戦力外。力仕事で母と私では持ち上げられないときくらいしか活躍していなかったので、入院して食事つき、トイレもお風呂もある快適空間でゆっくりしてもらった方が良かったのです。母と2人なら最悪数回食事を抜いても問題なかったですし、母が父の見舞いに行ったついでに病院で弁当などを買ってきたりと助かる面もありました。

父が退院して帰ってくる頃には自宅の片付けも終わり、水道も復旧して、なんとかいつも通りに近い生活が送れるようになっていました。
日本のインフラ復旧速度は本当にすごいですね。ありがたいことです。

あれから6年。
地震の翌年に私は就職して熊本を離れ、そして仕事を頑張りすぎて身体を壊し身体障害者になりました。3年弱で仕事を辞めて地元に戻りましたが、その頃はまだ自宅周辺も空き地が目立っていました。
その後少しずつ自宅を再建するところが増え、平屋建てに形を変えて家を建て直して戻ってきた方も多くいらっしゃいます。

地震から6年、離職から2年半。
私は再就職することが決まりました。
熊本地震の発生もあって、前回の就職の際はお祝いされることもほとんどなかったのですが、今回の再就職が決まったと各所に報告したら、多くの方にお祝いの言葉をいただきました。本当にありがとうございます。
そして、決まってついてくるのが「無理はしないように」という一言。
私自身自覚があるので、「頑張らないように頑張ります」と答えています(笑)。
熊本城の復興を心待ちにしつつ、無理をしないように社会復帰します。
まずは週3日、1日4時間からの勤務。身体が大丈夫そうなら少しずつ伸ばしていけばいいと、企業が言ってくださったので、体調最優先、継続勤務を目標にぼちぼち進んでいきます。