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たとえ過去がどんな色だったとしても、これから何色にでも塗り替えられる

一昨日の疲れに心労。今朝夫に思い切って胸の内を話した。義理の息子と娘が私の事良く思ってないのではないかと。それは私の過去の経験の影響もあり、彼らをレンズ越しに見ているかもしれない事も。

『もしもあいつらが貴女を受け入れないなら、とうに俺にそう言ってるはずだ。だが、もし2人でこそこそ貴女の悪口言ったりしているのなら、あいつらを俺は許さん。だから、大丈夫。何があっても俺が貴女を守るから。』

「1番冴えないのは、貴女に『ここに来るんじゃなかった』と言われる事だ」

夫は私にそう言った。

その過去の経験とは

私は兄妹仲が良くない。
弟は私を無視しても、その理由を教えない。
だけど私の事を何故か母親に陰口。
暴力もこれまでたくさん振るわれた。
過去はご近所から通報された事もある。
背後から蹴られた事は、しばらくトラウマになりいつまでも私に重くのしかかった。
妹には父の転院の際に言い合いになった末、一方的にLINEをブロックされた。
未だ音信不通。

例え私に原因があるとしても。これらはあの2人が選んでやった事。その事に私は一切責任はない。

父の延命措置をする事についても、決まってから私に話をされた。ますます彼らからの疎外感は否めない。私が止めてあげようと言ったらどうだっただろう。

延命措置中の父には申し訳ないが、私はこの先あの2人とは顔を合わすまい。そう私は決めている。父を毎月、病院へ見舞っている。私にはもうそれで十分だ。弱り切った父の姿を見るだけで胸がいっぱい。将来的な弔いは、式に参列しなくともできる事。私が居なくても今の時代ならば回る。これからは犠牲にしてきた自分を守るのが大事。まして今、ようやく過去の悪夢からすでに幸せな人生にすべく自分を塗り替えていってる最中なのだ。誰にも邪魔なんてされてたまるものか。なのだ。

熟考に熟考を重ねて随分苦しんだ果てに決めた事だ。私は後悔はしない。

幸せかどうかは、お金やモノの量ではない。「自分のこころが幸せがどうか」、だ。


時代は変わった。
これまでの常識が覆ってきている。

"わたしの時代がきた!"

そう感じている。

私は家族神話はもう捨てた。
増して、サザエさんなどは漫画で読むから面白いのだと思っている。

また、お金やモノは見えるから幸せとされやすい。
が、心が幸せでなければいくらそれらに満たされようとも永遠に幸せではないのだ。
心こそ、幸せの原点なのだ。

夫が実家での私を見かねて、お義母さんに掛け合い、予定よりも早く私の実家から抜け出させてくれた。あのままでは私が壊れてしまうという危惧からだった。おかげで心身の健康を取り戻しつつある。お義母さんはじめ、ご家族の皆さんの温かな理解には感謝している。



人生のキャンバスの塗り替えに遅すぎるなんてないのです。のびのびとマイペースで。


この世と身体とお別れするまで。これからは他人の言う色ではなく、自分の好きな色を好きなだけのせていく。
時々、鈍い過去の色が出てきたとしても大丈夫。
後でいくらでも好きな色に塗り替えできるし、もしかしたら新しい見たことも無い色に変わるかも知れない。

人生のキャンバス。塗り替えに遅すぎるなんて事は無い。だから、世間体も人生には関係ない。世間体なんて切り捨てて。のびのびと自分の好きな色に塗り替えよう。





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