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音楽理論に支配されるな

今宵の担当:noriです。

「それは音楽理論的に間違ってる」とか言う人いますよね?

こう言う方は音楽理論の本質を理解されていない、とワタシは思ってます。

音楽は音楽理論から生まれるものではありません。

ある種の自然の現象(人間が意図的に作り出しているとは言え、古代より人種、地域を問わず存在したのだからそう理解もできましょう。リベラルアーツ自由7種では、算術・幾何学・天文学と並び、音楽は理系にカテゴライズされていました。)である音楽がどのように成り立っているのか?を後追いで体系化したものが音楽理論なはずです。

さらに所謂「楽典」はクラシック音楽目線で体系化されているため、クラシック以外ではそぐわない点も多く、分かっている方は「ポピュラー音楽にはそぐわない場合もあるので注意!」と喚起していますが、「楽典」の理論は全て正しい、そぐわないものは間違ってる!と主張する貴兄が多いのも事実です。これは寛容性、柔軟性の欠如した日本の音楽教育の弊害とも言えるでしょう。

ポピュラー音楽の理論は、かの「バークレー・メソッド」が集約し、ハーモニーを記号数値化したコードをはじめとして、クラシックだけでカバーできない部分を網羅しておりますが、大筋はクラシックの「楽典」と同じです。

余談ですが、ワタシの在籍したペンギン大学では対位法を何年も学習して、作曲の度に一からハーモニーを紡ぐことをオーダー・メイドと言い、既成のコードの取捨選択によりハーモニーを構成すること吊し売りと服に例えていました。

結果、縦軸で見る限り構成されるハーモニーはオーダー・メイドでも吊し売りでも大差ないのですが、横軸であるメロディラインと総合的に俯瞰した場合の作曲、あるいは編曲は、コードを学習しただけでは対応できない、例えば弦の編曲は書けないと言うことになります。

閑話休題

かのバークリー・メソッドでも、ブルーズに関しては「ブルーノートっていうのがあってぇ、使うとブルージーになるよ!」くらいの説明しかないように思います。「楽典」でバッサリと二分したはずのメジャー/マイナーを決定づける3度に長3度と短3度がなんで共存できるのか?など、その本質を理論的に説明できないまま20世紀の大半が終わってしまいました。ジャズ、ロックをはじめとして20世紀のポピュラー音楽の根幹をなすブルーズに関して、ちゃんと説明できなかったことは音楽理論のアキレス腱だったと思います。

音楽理論的に間違ってる」は正しく言い直すのであれば「現在の処、音楽理論的に良しとされていない」だと思います。結局、ポピュラリティを得たものが正しい音楽とされ構造の傾向を体系化し音楽理論の中に取り込むのです。ポピュラリティを得ないものは「あれは間違っている」とか「めちゃくちゃやっているだけ」と言われ理論からは見向きもされないでしょう。例が良くないかもですが、アインシュトゥルツェンデ・ノイバウテンとか阿部薫の音楽は、分析されることがあったとしても理論体系化されることは(多分)ないのでしょう。どちらもその筋からは人気があるのですが。

繰り返しになりますが、そうにも関わらずポピュラリティを得たはずのブルーズを理論体系化できなかったのです、この辺りは音楽理論の限界でしょうか?

現在の処、ブルーズを唯一理論で解明したのは、濱瀬元彦氏というジャズ・ベーシストにして、80年代の半ばよりチャーリー・パーカーの研究に専念すべく演奏活動を休止してしまったミュージシャン(現在は活動再開中)による「ラング・メソッド」のみです。

これは実際に存在しない下方倍音列を虚数のように想定し導き出した難解な理論なのですが(ワタシはよく分かりません)、現在の処カウンターがないのでこの理論に対する是非は保留されている状況のようですが、日本人のミュージシャンによって、そして1990年代になって、ブルーズの解明が行われたのです。

表題の「音楽理論に支配されるな」はワタシのサキソフォンの師、音川英二氏の言葉です。

音楽理論的に間違っている、という発想がクリエイティヴィティを下げる。音楽理論は常に自分の支配下に置き、『そんな理論があるなら使ってやってもいいぞ』くらいの意識でいるべき

音楽理論的に間違えようが、毒ガスが発生するわけでも、食中毒が起こるわけでも、パンデミックになるわけでもありません。

音楽理論に支配されずクリエイティヴでいたいものです。

今日の一曲:Donald Fagan / Snowbound (1993/Warner)

ペンギン大学理論科でアナライズの対象になった一曲。主幹講師の菊地成孔氏をして、これ以上複雑にするとポップスの体を成さなくなる限界の一曲だそうです。何も考えないで聞けば普通にいい曲なんですけどね。

コードトーンにない音でコーラスアレンジする。

昨日のシホさんからの宿題です(笑)

これはアッパーストラクチャー・トライアドの話なのですが、一番シンプルと思われる例で説明します。

キーGにおけるC△7に、コードトーンにない音だけでコーラスの音を入れてみましょう。

C△7の構成音はC,E,G,Bなので、コードトーンにないD,F#,Aをコーラスで歌ってみます。

キーGにおけるC△7はディグリーで言えばⅣ△7、横にスケールに並べると、C ,D ,E ,F# ,G ,A ,Bとなります、Cリディアンですね。

コーラスで歌うD, F#, AはC△7のコードトーンに使用されなかったCリディアンの残りの音、というか間の音になります。

この3つの音はDのトライアド・コードを構成するので普通にハモりますし、C△7に対してもテンションノートの9th(D)、#11th(F#)、13th(A)となり、前述のリディアンスケールの7音全てが鳴るだけなので、キーGにおけるⅣ△7の機能も失われません。

という話でした。

今宵の担当:nori


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