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タヌキの親子見聞録 ~萩往還編⑤~ 瑠璃光寺五重塔~鳴滝

第1章 もう一つのゴールへ

 2022年の夏休みから始めた萩往還の旅も、山口市から萩市のルートが完了すると、一段落してしまい、子ダヌキたちにとっては終了した旅となっていた。しかし、親ダヌキたちは正規のルートを知っているため、残りのルートを歩いて、すべての行程を完了させたいとずっと考えていた。暑い夏が終わり、歩くのに最適な秋がやってきたが、母ダヌキの仕事が忙しく、土日祝日を利用して歩くことが難しかった。そうしているうちに寒い冬がやってきた。寒さが苦手なタヌキたちは、冬に萩往還を歩くことのはやめとこうと、暗黙の了解としていた。そのため、とうとう2023年の春がやってきた。1月は行き、2月は逃げ、3月は去り、桜が満開の4月1日となった。しかも土曜日であった。「もう、今日しかないんじゃない?残りの萩往還始めるの」と母ダヌキが言うと、父ダヌキも、インターネットでルートを確認しながら、「どこから始める?」と、聞き返してきた。萩往還に関しては『つうかあ』の仲である。「やっぱり、熊とか出ると怖いから、五重塔あたりから始めようか」ということで、親ダヌキたちの意見は一致した。萩往還第5弾となるルートは、山口市の瑠璃光寺五重塔から鳴滝のバス停までを歩くことにした。香山公園前観光案内所でもらったパンフレット「歴史の道 萩往還 ルートマップ」の13・14ページを見ると、少しわかりにくかったので、初日は車で下見をして、明日本番を歩くことにした。「明日からまた萩往還始めるよ!」と子ダヌキたちに伝えると、弟ダヌキは「うん」と答えたのみだったが、兄ダヌキは「え~、また歩くのぉ~」とあからさまに嫌そうな顔をした。「萩往還制覇できなくてもいいのならいいよ。私たちは歩くから」と母ダヌキが伝えると、「わかった、わかったよ!歩くよ!」と、どっかの芸人のする受け答えのように、いったん拒否して、萩往還制覇の提案にのってきた。
「歩くからさぁ、マックのポテト買ってよ。」

鳴滝公園の桜
譲渡会で出会った猫と戯れる子ダヌキたち

第2章 パンフレットが有料になった⁉

 4月2日日曜日、山口市の瑠璃光寺五重塔を起点に、鳴滝のバス停までの第5弾萩往還を再開した。ブランクが空きすぎて、兄ダヌキは怒っているというより、寝ぼけたような顔をして猫背だった。春休みの3月中は家の中ばかりで、なかなか外で運動するということもなかったので、昨日下見に出たのが久しぶりの外出であった。兄ダヌキが今日ここに立っているのは、マックのポテトのためだった。「山口IC近くまで行けばマックのポテトにありつける」という思いだけでここに立っていた。五重塔をバックにした記念撮影もそこそこに、「早くポテト」と言いながら出発した。五重塔の周りには、お日柄もよく、観光の人たちが風景を写真に収めたり、ボランティアガイドから説明を聞きながら境内をまわったりと、コロナ禍明けがもう目前かという風に、人もまあまあ増えてきて以前よりにぎやかであった。

瑠璃光寺五重塔をバックに記念写真

五重塔を出ると萩往還第1弾でお世話になった香山公園前観光案内所があった。昨年の夏からお世話になっているパンフレット1号がもうボロボロになってしまい、第2号を手に入れるため少し寄り道してみた。観光案内所はこじんまりしているが、清潔で各種パンフレットやチラシがそろっており、きれいなトイレもある、観光客には心強い味方である。案内所の方に萩往還パンフレットをもらいたいと伝えると、「今は有料になってしまって、竪小路交差点近くの『やまぐち萩往還語り部の会』で売っています。それか無料で萩往還のHPからダウンロードできますので、そちらをご利用ください」と言われてしまった。どうやら観光案内所では手に入らないものになってしまったらしい。仕方なく、萩往還の途中にある『やまぐち萩往還語り部の会』でパンフレット第2号を手に入れることにした。上竪小路交差点の地下道を通ると、萩往還の全行程の絵が壁面に書いてあった。何度か通ったことがあったが、萩往還の絵があるとは気づかなかった。興奮してムービーを取っている母ダヌキを、自転車を押して地下道を通る通行人が不審な人を見る目つきで横を通り過ぎて行った。

堅小路地下道入口
地下道内部
萩往還全行程のタイル一部

そこから八坂神社で見事に咲いた桜の中で大鳥居と一緒に記念写真を撮り、『やまぐち萩往還語り部の会』の詰所へ向かった。詰所には、高齢の男性が二人いて、おそろいの黄色い法被を着ていた。「すみません、こちらで萩往還のパンフレットがもらえると伺ったのですが」と、もしかしたら以前のように無料でもらえるかもと、ダメもとで言ってみたら、「ありますが有料となりました。一部100円です。この会の運営費に充てるんです。前は無料だったんですが」とすまなそうに言われた。ずっと萩往還を歩いてきて、これから防府に行くことを話し、これまで旅を共にしたボロボロのパンフレット1号を見せると、「それはそれは。これは持って行ってください」と語り部の会の方が新しいパンフレットを差し出してくださった。しかし、『やまぐち萩往還語り部の会』の運営費になるということだったので、ただでもらうわけにはいかないと、しっかり100円を支払っていただいてきた。この方たちにも活躍していただき、もっと萩往還を宣伝していただき、萩・山口・防府を活性化させて、山口県全体の観光業等を発展させてもらいたいと思うのだが、このパンフレットを無料から有料にしなければならないというのはどうだろう。もう紙での情報発信は古いというのか。しかし、駅や観光案内所などいろいろな場所で、パンフレットが置いてあったら、それまで萩往還を知らない人もその魅力に気づき、山口に行ってみようとか思わないのだろうか。ちょっと残念な思いであった。

八坂神社大鳥居

第3章 萩往還らしくない「歴史の道 萩往還」

 普段意識しないで山口市に住んでいるため気づかなかったが、あの萩往還を案内する青い看板が、萩往還のルートにちゃんと設置してあった。パンフレットと萩往還の青看板を見比べながら、山口市の商店街を抜け、山口駅のほうへ向かって歩き、山口地方裁判所あたりを右手に曲がり、また青看板に従って左に曲がると、山口線の線路を越して鰐石橋へ到着した。ここで父ダヌキは車を置いてきた瑠璃光寺前の駐車場へと歩いて引き返さないとならない。歩くのがあまり好きでない父ダヌキは、「ううっ。結構距離ある」と半泣きだ。「何言ってんの、こっちはその何倍歩くと思ってんだ」と兄ダヌキに嚙みつかれそうになるのを、素早く引き返して行った。ここからは母ダヌキと兄弟ダヌキの3人で鳴滝を目指す。

「札の辻」付近
山口市中心商店街
商店街から鰐石橋へ

鰐石橋を後にして初めてぶつかった交差点には、萩往還を示す青い看板が立っていた。すぐ近くに「福田屋ういろう跡」の碑が建っており、その通りをずっと歩いて行った。(福田屋は山口銘菓外郎の元祖といわれる。)
ところどころ石塀などに「歴史の道 萩往還」と青い看板が貼ってあり、次の地点まで何キロかかるということも書いてあり非常にわかりやすかった。ただ、これまでの萩往還と違うかと言うと、全く萩往還らしくないということだった。これまでは、山を越えたり、野原を歩いたり、石畳の道を行ったりと、当時の萩往還とはこういうものだったのかなと疑似体験できるような風景に出会えたのだが、今回の萩往還は、商店街を歩いたり、普通の住宅の裏道を歩いたり、今から行くところにはマクドナルドもある。全く萩往還という感じがしない。しかし、例の青看板がしっかり「歴史の道 萩往還」を示してくれているので、迷わずに今のところ進めている。「もうちょっと萩往還らしかったら、いろいろと観光するような気分になって、歩くのも楽しめるのかな」と少し不満に思いながら歩く母ダヌキであった。

福田屋ういろう跡
いたるところに青看板があり迷わない

第4章 やっぱりマックのポテトが一番だ

 時計が11時を回り、そろそろおなかの虫が鳴り出すころ、いつも行くマクドナルドへ向かう道に出た。「早くマックのポテト買おう。」本日はあまり文句を言っていない兄ダヌキが、マクドナルドの看板を見て言った。兄ダヌキの最大の目標の「マックのポテト」がすぐそこにある。これはもはや萩往還を歩くのではなく、ちょっと遠くのご近所へ散歩し、マックによってポテトを買う感じになっている。「なんかいつもと違うんだなぁ」と思いながら母ダヌキはマックのポテトLを3つテイクアウトした。ポテトの入った紙袋を大事に両手に抱え、マクドナルド前の横断歩道を渡り、国道262号線をくぐって柊神社方面へ向かう。もちろん持っているのは、兄ダヌキである。道端で車など来ないか安全を確認して、母ダヌキが紙袋からポテトの入った赤い紙カップを渡すと、おいしそうに食べ始めた。「おいしい?」と聞くと「おいしい‼」と兄弟ダヌキが答える。さっきの黙って歩いていたタヌキたちとは別人だ。顔いっぱいに笑みを浮かべて、兄ダヌキがポテトを口に放り込む。「マックのポテト恐るべし」と、母ダヌキはいつも不機嫌な兄ダヌキが笑っているのを見て思った。「母さんのも、少し分けてあげようか」と2・3本兄ダヌキのカップに入れてあげると、「ありがとう!」と兄ダヌキが叫んだ。これは、「何かあるときはマックのポテトでなんとかなるな」と母ダヌキは後ろを向いてニヤリと笑った。

このトンネルをくぐると国道262号線を渡れる
マックのポテトを大事に抱える兄ダヌキ
ポテトパワーで進み続ける子ダヌキたち

 マックのポテトを食べ終わるころには「柊神社」に到着した。「柊神社」とは、境、柊の2地区の鎮守で、創立年代は不明であるが、宝暦8年(1758)長州藩主毛利宗広の二女誠姫(のぶひめ)が再興し、昔から婦人病の者が鳥居を奉納して祈れば霊験があらたかであると伝えられ、遠近から夫人の参詣者が多かったそうだ。社後に柊の自然林があって、柊の地名もこれから起こったものという。また、この神社前の道は、萩往還となってからは、道筋に人馬の往来に必要な施設として御茶屋や通行人の取り締まりにあたる番屋などがあり、道の両側には往還松が植えられていたという。ここ柊は、山口へ入る最初の宿場で、藩主などが休息した宿屋がたくさんあったところだったそうだ。今は、その当時の賑わいを感じることもできないほど静かで、自然を感じて散歩するには絶好の道となっている。萩往還第5弾の中で最も萩往還らしい場所だったのではなかろうか。

柊神社前

第5章 鳴滝には猫がいた

 「柊神社」からは、山側の細い道を歩き、しばらくするとこじんまりした住宅街の中の道に出た。ほとんど人の往来は無く、車が1・2台通り過ぎただけだった。これと言って萩往還らしいところはないが、青看板が「歴史の道 萩往還」であることを知らせてくれた。目標地の鳴滝のバス停付近には、「萩往還」と彫ってある道標が建っていた。12時を少し過ぎ、4月の上旬とはいえ天気がいいので、子ダヌキたちも顔を赤くして、何度も麦茶を飲んでいた。

鳴滝にある萩往還の石柱
明日はこのあたりから再開する

鳴滝に着いたことを父ダヌキに連絡し、しばらく周辺を歩いて時間をつぶした。昨日下見に来た時に寄った「鳴滝公園」で、猫の譲渡会を開催していたので本日も行ってみると、桜が満開の中大きな音楽が流れていて猫の譲渡会が開催されていた。弟ダヌキは猫が大好きで、「わあぁ」と言いながら猫を撫でに寄って行った。猫の中には、人に嫌な思い出があるのか、走って逃げるものや、ゆっくりと歩き去るものが何匹かいたが、中にはとても人懐っこくおなかを出して撫でてくれるようにねだってくるものもいた。弟ダヌキは、譲渡会を開催している人に特別に餌をもらって、猫たちに食べさせてあげた。久しぶりに約8km2時間半以上歩いたため、母ダヌキと兄ダヌキは、休んでその様子を遠くから眺めていた。弟ダヌキは、その疲れも感じさせず猫たちを可愛がっていた。父ダヌキが迎えに来ると「早く帰ろう」と兄ダヌキは車に乗ったが、弟ダヌキを車に乗せるのにひと苦労だった。「明日も歩くんだから早く帰って休むよ」と母ダヌキが言うと、「ええっ!」と兄ダヌキはお決まりの反応を示した。弟ダヌキは「明日も猫に会える?」と、猫に会えればいくらでも歩くという風だった。「防府でマック食べられるかなぁ」と兄ダヌキは、マックのポテトさえあれば歩く様子であった。母ダヌキは猫とマックのポテトの力を借りてでも、明日「萩往還」の旅を完了させたいと、車の助手席でぐったりしながら考えていた。

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