気まぐれエッセイ 「日々、」 #2
僕のこれからの写真について書いてみよう。
今日、川の方が白かった。川霧というやつだ。
冬のこの時期、河川敷に行くと樹氷なんかが出て「キレイダナー」という風景が広がる。
朝早く出かけた時なんか橋の上なんかにでっけえカメラとレンズを引っ提げた人たちをずらっとみることができる。
僕はというといささか肉眼に焼き付ける興味はあるものの写真に焼き付ける興味はなく。その辺が人とズレてるなと。よく思う。
「んなもん撮ってもしょうがないだろ」という気持ちで撮りに行かない訳ではない。そこは理解してもらいたい。もちろん僕だって風景を撮っている人たちに対してそれなりの尊敬の意を持っている。
「それじゃなぜ、撮りに行かんのだ鈴木!」と言われそうであるが、うーんという感じなのである。
もちろん絶景も、撮ることは捨て難い。
しかし、僕が本当に捨て難いのは「忘れられない絶景」より「忘れられる雑景」なのだ。
その忘れられていく生活の中をただひたすらに写真撮っていく。
その中で時々記念碑的な写真も残して。
一生を補完する、写真群を吐き出す。
これが「生きるために撮る」という僕のこれからの写真行為。
なのかもしれないと。ふと思った。ご想像にお任せする。
なぜなら僕はあなたがいると思えばいるし、いないと思えばいないも同然なのだ。
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