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「日々、」#12 揚げ茄子と光の箱

この前、バイト先で揚げ茄子を丼の上に並べるときに「三角に並べて!」と急ぎ気味で言われたことがあった。
私の脳内では突如として月刊ムーも万歳な脳内会議が行われてしまい、ピラミッドな三角なのか、バミューダトライアングルな三角なのか。私はそんな迷いを抱えてしまい、揚げ茄子を三角に並べることはできなかった。

そんな頭であるから、「エモい」という言葉も正直よくわからない。

二十代とは言えど25歳。ナイスサーティーズな二十代なものだから、おそらく僕らの世代は「エモいを説明できる組」と「エモいを説明できない組」に見事なまでにわかれる。
「さあ、エモいの由来はエモーショナルで…。」という話を始めてもいいのだが、そういうのは是非みなさん、グーグル先生とやっていただきたい。

フィルムがなんだかエモいという理由で流行ってるのは風の噂で聞いたことがある。そういうことをやるとモテると言う、ずるい男の会話も聞いたことがある。

今回はそんなエモいと言われるフィルムについて書いていく。

私は小学から高校、そして専門学校にかけてモノクロフィルムの暗室体験をできそうな隙があればとにかく体験していた。モノクロフィルムの現像やプリントは幸運なことにそこで経験することができて、その作業も楽しいもので、そして何より、その時にやっていた箱に光を封じる感覚は一番に好きだった。

それが、私がフィルムカメラをたびたび持ち歩く理由であろう。

でもやはりしばらくフィルム代の高騰もあり、作品作りには流石に理由がないと使うことができない。フィルムで撮るのにも理由を求められるほど、非日常なメディアになってしまったのだ。

でもなんだか、ライフワークとしてハーフ判という通常の倍の枚数が撮れる比率のカメラを長い間カバンに突っ込み持ち歩いていた。

見事にフィルムの消費速度はデジタルカメラとの併用だと遅くなり、72枚撮れる一本のフィルムを半年以上かけて減らしていくことになる。これだと出費も抑えられる。

今日現像したフィルムには夏が終わる頃に雪が降る直前の光が閉じ込められており「おっとっと…」と自分でも驚くほど過去の光景が蘇る。

夏を過ごしていると、冬があったことを忘れる。
ノートなんかにはその頃書いたさまざまなアイデアが書き留めてあったり、ハードディスクには冬に撮った写真は眠っていたりする。
しかし、自分が目にした冬の光景に、季節が巡ってから不意に衝突するような体験はそこまで現代にあるものではない。

次は久々に、モノクロのフィルムを入れて自分で現像してみようかと思っている。いつかの光景と、不意な衝突が次いつ訪れるのか。
それは私のちょっとした生きる中での楽しみである。

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