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電気ブランにうってつけの日々

展示のまとめについて書いてたら、だんだんしんどくなってきて、「展示まとめ」より「東京まとめ」のほうが書きたくなったのであっちは程々にしておこう。

東京という土地に展示してきた。
関東に一年ほど住んでいたので、一般の人が抱く「憧れ」のようなものは大してなく。そりゃ東京という土地でやればお偉いさんがくるだの、人口が多いからたくさんの人が来るだの。思うことはいっぱいあるだろうが、そういうんじゃない。

神奈川の写真の学校に通っていた頃、たくさんの仲間がいた。
病気でその学校は退学したが、なんだかしぶとく写真を続けている。
その人たちに会える口実ができるなら、と写真を続けていたところは正直あった。

4月に通っていた写真学校の仲間の一人が東京のとあるところで展示をしてて見に行って。僕の今の川の写真の原型を見てゆっくり話し出した時間がとてもよく。野暮なので内容については書かないが「そうかやるかぁ…」なんて思ったのである。
本来は何年かかけて2024年あたりにやるつもりだったが、たまたまギャラリーが空いてたり偶然が重なって運よく2022年12月にやることになった。という話である。

今回の展示は思うところはあるが、なんて書き出したら止まらないのである。
そんなことをウダウダ言うと来てくれた人たちに申し訳ないので書かないが、一つ言わせて欲しいのは「次はもっとすごいんだぞ!」と言うことだ。

それでもやったのは僕はもう一つの故郷で一度人に触れさせなければ完成しない気がしたのである。
展示の目的は人それぞれであれど、今回はそれが大半であったなと思う。
要は「僕は生きている。これからこいつをやる。」ということを言いに行ったのである。
これじゃあだめだよ鈴木さん、展示の構成をこうしないと、機材はもっとちゃんとしないと、と言う人には展示中会った気がするが、それはそれでとてもありがたかったけど、そういう話をしに行ったわけじゃないし、それは次にやるときにクリアしてればいいと思っているので申し訳ないが酒の肴になってしまった。胃袋にはちゃんと届いたので許して欲しい。

今回展示には毎日在廊したため、みんなの「生きている」話を聞いた。
その時間がとても良かった。
3年ほど前に思い立ってまとめ始めたとはいえ。川を10年撮っているとはいえ。それでもいささか足りないのである。

いやはや自分は遅筆だなぁ…と思う。
でもゆっくりやりたいな、と思う。
焦って向かうのは、終電と便所だけでいい。

僕だけじゃ生きることは成立しないのである。
成立させるためには、みんなも生きていなければ、だめなのである。
ならばみんなが生きている声を聞きたいのである。

電気ブランが美味しい夜。僕はまだ大丈夫だと思う。

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