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とある写真家の視覚の話

いささか長い文章になるとは思うが、この際お付き合いいただければ幸いである。

三月から四月、というのは本当に僕にとっては過酷な季節であった。
割と高校前半ぐらいまでは平気だったものの高校後半ごろか。僕は春が近づくと首とか腰とか。あるいは自律神経がやられて寝たきりの状態になっていた。ひどい時には食事も取れなかった。はじまったのは高校三年生の頃からで当時は抑うつ状態と診断され、学校には春ごろには行けなくなっていたし、進学した専門学校も春には中退した。

僕は元々、中学まではものすごく本の虫だった。特に両親の影響が大きく村上春樹、椎名誠、野田知佑を読んだり、森見登美彦や東野圭吾や赤川次郎と。とにかく小説を読みまくる人間だった。外で遊べと言われて外で本を読むぐらい好きだった。小学時代は教科書より小説の方がリュックの中では容量を占めていた時期もあった。
でも本当に高校に上がり始めた頃からか、読めなくなってしまった。文字自体は読めるのだが文の奥にある情景を想像することがいつの間にかできなくなってしまったのだった。集中力が続かないという感じだろうか。男子校に近い工業高校という環境で騒がしかったのかもしれないのだろうが、それだけではない。という気がしていた。
小説が読めなくなった頃、動けずに映画やアニメ、写真集や絵画を見てとにかく「作品」と呼ばれるものを自宅でたくさん見た。それが今の自分の表現活動の土台になっていることは違いない。でも小説はほとんど読めなかったのだ。

唯一読めた本といえば詩集ぐらいだった。短い専門時代の夏に寺山修司記念館に行って世界観に感動した。そして僕は「少女詩集」を駅の本屋で買って東北の風景を眺めて一緒に東北を18きっぷで縦断した。写真をやっていたというのもあるだろうがそういった何か作家の原風景というものに触れるというのを意識したのはその頃だったかもしれない。

話が逸れたが、僕は春に体調を崩し一月から六月の間にアルバイトを辞める。そしてまた体調が治ればバイトを始める。といった生活を続けていた。

そんな生活をずっとしていたら21歳ぐらいだったかの頃に精神を極限まで追い詰めてしまって(もうとにかく周りの人間は僕なんかよりしっかり生きていたから比べてしまったようだった)命を粗末にしてしまったが見事にあの世という的から外れてしまい顎の骨を折るというだけにすんだ。

みんなすごい痛々しい目で見ていたが、麻酔も効いていたし、今考えてみると虫歯ほどの痛みではなかった気がするのだが、今でも後遺症で古傷が冷えると痛む。
入院中、顎が固定されて開けられなかったが、栄養剤を流し込み生きながらえる。
入院中は親に本棚の本を持ってきてもらった。その時は不思議と小説が読めた。すごく嬉しかった。不謹慎ながら入院できてよかったとさえ思ったかもしれない。なんで読めたかは当時は分からなかったが、今はなんとなくわかっている。

長らくその春頃に集中して訪れる体調不良の直接的原因がわからず、遺伝子検査や難病検査などをしたり、漢方も試したし、整体やカイロプラティック、なんだかいろんなものを試したが基本的に異常はなかった。側湾症があるとか、持病のヘルニアが、ストレスが、うつが、いろんな原因を疑われた。すごい霊がついてると言われたこともある。具体的な対処法はまあ薬を飲めとしか言わなかったから飲んでいた。痛み止めはよくもらう。
唯一見つかったものとすれば「自閉スペクトラム症」という発達障害だった。でも障害の中で苦手とされていることは得意ではないけど苦手ではない。でも、他の人はもっとできているのかな、というよく分からんなぐらいの認識だった。
でもこの障害が謎解きのヒントになる。


そんな僕の慢性的な体調不良の原因はついこの間の2023年の2月に気がつくことになる。

それは机の灯りを変えた時だった。LEDの電球を要は自然光に近い演色性の高い電球に変えた。これはプリントの色を見るためだった。
それまでは「この電球は白い紙を当てると朝10時の光とこれだけ違うので大体このぐらいの補正をしたらプリントが理想通りに出る」という貧乏性を拗らせたかのような色彩感覚で出していたのである。恥ずかしいもんである。

しかし、机の照明としてそれを使うとプリントが楽になっただけでなく、なぜか少し体調が改善されたような気がしていた。不思議なことに。

そして僕は「何かしら光や色から体調不良の原因がきているのでは」という仮説を立てて、なんかしら調べ始めた。

まず真っ先に調べたのは「月ごとによる太陽光発電の推移」であった。

太陽光発電システムの月別発電量・売電量(使用世帯当たり)環境省HPより

これによると僕が一番体調を崩しやすい二月、三月から四月に発電量が上がっていて、五月にはピークを迎えている。これは年毎に僅かな違いがあれどおおよそは毎年このような感じであると思われる。では、なぜ発電量の大きな(光エネルギーが強い)五月が体調不良のピークではないのか。それは僕の住んでる土地の雪の照り返しではないのかと考えた。僕の目への刺激が最も直接強いのは雪の残る二月から三月ごろということになる。これだと思った。

次に単純に視覚について調べる。光に敏感なのだから単純に「視覚過敏」と検索をかける。案の定、そういうものがあるらしかった。
しかも視覚過敏は僕の持っている「自閉スペクトラム症」の人に多く見られるらしく、もう完全にこれしか当てはまらなかった。
どうやらこれはそもそも発達障害の脳の機能の偏りによるものが原因らしく、網膜に異常があるとか、そういうものではないらしい。見ている風景は全くの健常者と変わらないのだが単純に光や色に敏感というものらしいのだ。

考えてみると貧乏性と先ほど述べた色校正の勘や照明の種類によって体調が変わること。これは色や光に敏感である証拠であった。

僕の興味はなぜ高校時代から体調を崩し始めたのか、というものになる。もうここまで来ると謎解き感覚である。

これは推測に近いのだが照明が蛍光灯からLEDに変わり始めたのは高校の頃だったように記憶している。2015年前後のことだ。明確に僕の体調はこの頃から悪化してきているので、照明の変化により自律神経にまで影響が及んで体調を崩し始める。夏場の照明をつけていない間は平気でも、日が短くなると必然的に教室の照明をつける。LEDの直進性の高い光は確実に視覚過敏の僕には無意識のうちに負担をかけていたと思う。自律神経を壊せば、メンタルもボロッボロである。そして照明の変化の影響で(うつ状態の影響もあるとは思うが)小説を読む集中力も無くなったと考えれば、いささかその推測も間違っていないと思う。

そして入院中に本が読めた環境は今思い返してみれば病院は自然光で、間接的な照明だった。そのような環境なら、いささか本を読むのは難しくないのだ。


そして今、僕はいろいろと調べて、「メガネを変える」という解決法にたどり着いた。

https://innochi.co.jp

こちらのページに辿り着いて、今そのメガネをかけているのだがかけ始めてから2日で首の後ろの痛みから徐々に取れつつある。
もともと近視で眼鏡はかけていたものの、比較的安い、一万円前後のメガネをかけていた。こだわりなどほとんどないものである。

よくメガネ屋さんでやる視力検査に加えて効き目やいろんな検査をした。

結構興味深かったのが斜位と言われる視線のズレを治すことで体のバランスなどを整えていくというものだ。僕の場合だがレンズを一枚入れただけで左右の体重の差が5kgも違いとても驚いた。
実際に検査を体験したら個人差はあれど、僕はそれだけ違ったのだ。

苦手な色を検査するのも非常に興味深かった。僕は白、赤、黄の色紙の前では全然だったのに緑の色紙の前では片足立ちができる時間が長引く。
そして緑色のレンズを入れた結果、最も体のバランスが取りやすいことがわかったのだ。ちなみに赤いレンズだと全然ダメなのだ。

そしてメガネの度を少し落として制作した。感覚的には1.2m(僕が一番、被写体を置くのが多い距離)が一番見やすいようにしてもらって、0.7程度の視力である。
一般的にはもう視力1.0でメガネを作ってしまうものだが、0.7程度の視力でも困ることはないし、以前に比べて断然近くのものを見るのが楽なのである。

そんなこんなで、出来上がったメガネは自分に合ったグリーンのレンズとフレームはそのレンズに合わせて青色と透明のフレームでこれは個人的に川みたいで気に入っている。

これをかけ始めてから一ヶ月ほど経つが、首の痛みも軽くなり、何より背中の痛みが減った。

さすがに長時間作業をすると疲れるけれどもそれは「心地よい疲れ」であって「病的な疲れ」ではなくなったのが何より嬉しい。

本の虫であった自分を取り戻し、最近はとにかくいろんな本を読んでいる。


僕の場合はかなり症状が改善されましたが症状の改善には個人差があります。また、光や色以外にも音や聴覚など感覚過敏にはさまざまな原因がありますので専門家に相談した上でご自分に合った対処法を試してみてください。


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