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卒論メモ:花子さんを研究しよう

ヒエロニムス・ボス『快楽と大食いの寓意(部分)』より 真ん中のやつがどことなくパンケーキっぽい。まあミートパイだから遠からずなんだけど……。左上の太っちょがいい味だしてる。

旧帝国大学、ホッケ大学文学部の西洋文学・美学コースには、象徴・持物・寓意研究室という研究室がある。そこに所属する学生にとって、砂時計は単に時間を計るものではなく(時間を計るだけならスマホのストップウォッチ機能で十分だ)、時そのものの象徴であり、ギリシア神話の神クロノスを意味する。同様にして彼らにとってリンゴはただの果物ではなく、旧約聖書の楽園追放、人類の背負った原罪、そして知恵を意味するきわめて重要で遠大な背景を背負ったフルーツなのだ。もちろん壺も言うまでもなく、枯れた骨董趣味以上に大食と邪淫、そして世俗の財産といった唾棄すべきものの寓意として彼らの目に訴えかけてくる。だからホッケ大学文学部西洋文学・美学コースの象徴・持物・寓意研究室所属の学生とは、決しておしゃれなパンケーキ屋さんに行ってはならない。というのもおしゃれなパンケーキ屋さんでは切り出しの自然味あふれる小さな木製のテーブルの上に、リンゴとクリームのパンケーキ、小壺に入ったはちみつ、コーヒーのためのフレンチプレス、そしてフレンチプレスの待ち時間を示すための砂時計が、アンニュイな面持ちを常に顔面にたたえた黒縁ウェリントン眼鏡でマッシュルームカット、歩くたびに膝がしらがひょこひょこと出る黒のスキニーでナルシスティックで偏執狂的な妄想をしては夜な夜な絶頂に達するタイプの店員によって提供(サーブ)されるのだから。この時僕やあなたはおいしいパンケーキに夢中になり、甘くなりすぎた口をほろにがのブレンドコーヒー(お店のオリジナルで、意外と悪くない味がする)ですすぎ満足げになるのにもかかわらず、向かいにすわるホッケ大学文学部西洋文学・美学コースの象徴・持物・寓意研究室所属の学生は陰鬱なおも持ちで「砂時計……リンゴ……蜜壺……」とつぶやくのだ。そして「どうしたの? 何か気にさわった?」ときけば「砂時計は時の象徴……それを君は尊大にももてあそんでクロノス気どり、知恵の実の上に大食と邪淫を垂れ込ませば、楽園追放の原罪さえ時のかなたときたもんだ……」とぶつぶつ答えてくるだろう。そうして双方残念な気持ちになってしまう。だから一緒におしゃれなパンケーキ屋さんに行ってはいけない。彼らは目の前にあるものを解釈しなければ発狂してしまうので、こうしておしゃれなパンケーキを解釈しては、誰も幸せにならないうわごとをのたまうのである。もちろんスーザン・ソンタグは、この研究室でははやらない。

僕はふつーにおしゃれなパンケーキ屋さんでパンケーキを食べたかったので、2年生の時から所属していたこの研究室を抜けて、ホッケ大学文学部日本文学・芸術コースのサブカル映像・表現・クールジャパン研究室に2度目の4年生の時に足を踏み入れた。そこでは学生たちは、電柱と夕焼けを見ては「日常系。エヴァが原型」とうなずき合い、なにかにつけて「これはジル・ドゥルーズ的だ」と叫ぶ。男は全員アンニュイな面持ちを常に顔面にたたえた黒縁ウェリントン眼鏡でマッシュルームカット、歩くたびに膝がしらがひょこひょこと出る黒のスキニーを着て、女は全員ニット帽に縁が銀色の特大丸眼鏡、大きめのスタジャンを着ている。男女どちらも中学のときにはまっていた相対性理論・やくしまるえつこの曲を最近聴きなおして「思春期のころの感性も捨てたもんじゃない」と思っているところなのだ。

どっちの研究室もクソだけど、そろそろ卒業したいし僕もクソだから、このホッケ大学文学部日本文学・芸術コースのサブカル映像・表現・クールジャパン研究室で卒論指導を受けることにした。

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なんだこれ。上はフィクション。こっからはちゃんとしたメモ。

卒論の題目提出締め切りが10月中にあるのですが(いつかは知らない)、「タイトルだけ考えて内容は12月中にかーこおっと」と思っていたのに指導教官から「来週までに卒論の題目ならびに各章立てと参考文献耳をそろえて出せ」というメールが来た。たぶん僕とおんなじことを考えて12月に大慌てする学生がいっぱいいるからなんだろう。おろかなやつらめ。仕方がないので12月中にする予定だった大慌てをこの一週間でします。とりあえず半日ででっちあげた卒論テーマ案①:

卒論テーマ:学校の怪談における伝承と造形

どんな話:「トイレの花子さん」を具体的に扱い、学校の怪談における伝承と造形についてかんがえるお話。「個室をノックすると返事をする霊」という、もともとは聴覚にうったえる俗信(=これといったストーリーを持たない迷信)が、いつのまにか「おかっぱに赤の吊りスカート」という造形ありきのキャラクターに変化していった花子さんについて、その経緯を時系列順に整理する。その中で、花子さんを分類。なんらかの考察をでっち上げ。たぶん次のような時系列:

初期……トイレ(女子トイレ)に出没する、呼びかけの怪異の一種である花子さんが現れる(40年代が初出)。

中期……闇子さんや太郎君、ヨースケ君といった男女の別のないバリエーションが生まれ、ただの俗信からストーリーがつくようになる。このころ並列して、『花子さんがきた』など視覚的に花子さんを表現する媒体も出現する(90年代の花子さんブーム?)。このころ「おかっぱに赤の吊りスカート」が花子さんの記号になった? でも90年代には同時に映画『トイレの花子さん』みたいに視覚的に花子さんが描かれない映像作品も存在。花子さんが、なぜか「子どもたちを守る存在」(『花子さんがきた!』や『トイレの花子さん』など)だったり、反対に「子どもたちを脅かす存在」(『新生 トイレの花子さん』や映画『学校の怪談』シリーズ)として両極端に描かれる。←造形が定着する中で、ストーリーがあんまりないことから、逆転して花子さんの設定がつけられていった? 子どもにとっては恐怖の対象だったものが、大人が映像化していく中でマスコットキャラクターになっていった?

※この辺までは、実はもう先に論文があったりする(『変貌する「トイレの花子さん」像』、『都市伝承への視角 ~トイレの花子さん攷~』、『現代台湾鬼譚 海を渡った「学校の怪談」』など)。

現在……花子さんはもっぱら視覚的なキャラクターありきになり、俗信的要素が薄れていく(鬼太郎6期10話の花子さんとか、ただの異界の温泉でくつろぐおかっぱ少女になってる)。

なんで花子さんってこうなってったの? 他の学校の怪談もなんかすたれた? 古めかしく造形化された90年代よりもさらに時代が進んで、俗信としても造形としても時代遅れになってきている? これからどうなる? ←このへんが本論・結論? 我ながらくだんな……。

いまのところこんなかんじ。どーしよ。

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