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おばあちゃんのお葬式で知った花の美しさ


たぬきのねどこat flowersは、生花で季節の移ろいを愉しむ教室です。

場所は埼玉県比企郡嵐山町。

嵐山町は里山が程よく残る、武蔵野の丘陵地です。

そんな地で花教室を開いて18年目このブログは、花を生ける楽しさや先生業をしていてうれしかったこと。

ときどきの失敗。

お役に立てられたらうれしいと思い書いています。

たぬきのねどこat flowersは、何を考えてどこに向かって行くのかを合わせてお伝えしています。

自己紹介はこちら



「おばあちゃんが、今朝亡くなったんです」

昨年の大晦日に近い日に一本の連絡があった。
27、8歳の娘と同じ年頃の方。たぬきのねどこの花教室へは2,3回来たことがある。
思い出した頃にポツリポツリと教室に来ていた。

「自分で選んだ花を、棺の中に入れてあげたいんです」

正月の花で教室にはたくさんの花があった。
その花のほとんどは授業で使う分で、余剰の花は数種類しか無かった。
しかも年末で花市場も閉まっていて年が明けないと開かない。

「選べる花が少ないから、大きなお花屋さんに行った方がいいかもしれないよ」
と言うと
「花といえば、たぬきのねどこなんです。選べなくても良いから買わせて下さい」

その言葉に驚きと嬉しさと、重責とで素直に喜べなかった。
その方の気持ちを汲むと断ることは出来ない。

間もなく、花を選びにきた。

わたしは数種類の花しか選べないことに詫びていると

「おばあちゃん、喜んでくれるかな」

おばあちゃんとの想い出話をしながら花を選んでいる。

それも楽しそうに。

お家に帰ったらおばあちゃんが、きれいねって言ってくれるかのように選んでいる。

切なくて切なくて相づちを打ちながら聞いていることしか出来なかった。

「おばあちゃんが亡くなって、生花の美しさに驚いた」

「お葬式終わって落ち着いたら毎月お花習いに来ますね」
と帰りがけに言うのだ。

「そう、待ってるね」

自分の娘と同じ年の子に、こんな返事しか出来なかった。
気の利いた事が言えない自分に呆れた。

年末から2ヶ月ほど経った今日。
「来月からお花習いに来ますね」
と言いに来てくれた。

うれしかった。
花が美しいと感じたことは、本当だったんだ。
お葬式という、非日常の中で感じた花の美しさをずっと思ってくれていたのかと。

おばあちゃんのお葬式は大変だったことを話しながら、どんな花を生けたいのか嬉しそうに話すのだ。

おばあちゃんのお葬式で知った花の美しさ。

花の美しさの一つに、生命力の強さがあるのかもしれない。
切り花となっても茎は伸びる。蕾の花は咲くし、種も出来たりする。
植物の持つ力強さが花の世界に惹きつけられたのだろうか。

彼女の瑞々しい気持ちを大切に、どんなレッスンにしようか考えるのである。


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