第三回 / わたしの(芝居への)異常な愛情/その6
スタニスラフスキー師の著作は当初「俳優修業」というタイトルで日本語訳が出てました。
それにあやかって「(令和の50代の)俳優修行」をつらつら書きます!
そのうち本にしたいなあ。
2023年1月
鎌倉四兄弟以来の友人眞田規史氏に誘われ、藤原歌劇団の「トスカ」というオペラに出演した。
出演と言っても「唄わないエキストラ」である。オペラと言っても劇だから、執事とか庭番とか、唄わない登場人物も居るわけであり、それは歌手ではなくて役者の仕事だそうである。知らなかった。
藤原歌劇団は、日本のオペラの草分けだそうであり、メインキャストの皆様の歌声を間近で浴びるのは本当に凄い経験だった。歌声が物理的な衝撃として襲ってくる。
通し稽古の最中「すげえなああ…」とうっとり皆様の歌声に聞き惚れていたら、ドカンドカンと歌い上げているスカルピア役の団長から「そこの助演!ちゃんとやれ!」的なイグナイトが歌に混ざって飛んできて大層驚いた。考えてみれば当たり前だが、トップの人たちは唄いながら芝居をしながら舞台上の全てに気を張っている。ともすると劇場の外の駐車場とかまでが探知範囲みたいな人も居る。気を抜いた私が阿呆であった。
美麗な衣装をお貸し頂いた。コスプレにならないように、どのような時代の空気を身にまとうか、結構色々考えた。
この頃のミラノは世紀の大悪漢ナポレオンボナパルトの襲来に右往左往してたはずだ。そんな空気の中で私は割と下っ端の役人だ…とか、本当に色々考えたのだが、偶然チケットを買っていた友人干場氏は「小林組長の隣にいたセクシー拷問係に目が釘付けになった」と言っていた。眞田氏のことである。ええいw
2023年4月
映像作品としてリリースした「点灯虫」を舞台で上演した。
客演には毎度おなじみ眞田規史氏と新たに桑原日和氏を迎えた。
制作途中に私はみんなに「これは何のお話?」「どこが面白いんだろう?」と、問いかけ続けた。
加藤氏構想のラストがどうにも気に入らなかったのだ。「これは何の話で、どこが面白くて、ラストはどうすべきだろうか?」をみんなで考えたかった。
結果、桑原文子氏のアシストから菅原氏が最高のアイディアを出し、全員一致でそれを採用した。
この公演はいつにもまして女優陣が素晴らしかった。桑原氏はもうちょっとでお芝居バーサーカー眞田氏の首を刈るところだった。眞田氏は「あぶなかったですw」と言っていた。
売れっ子の岡氏はふらっと稽古場に入ってきて、予備動作なしで大爆発の芝居をぶちかまし続け、本番でも遺憾なくぶっ飛ばした。
本来は舞台のための作品だったので、上演できて感無量であった。
2023年5月〜6月
5月8日、コロナが2類から5類になった。
2020年にコロナ禍になって、
2021年頃から私は2年ほどSAKU氏のアトリエに通い続けるとことになり、
そして公式にコロナ禍が終わったこの頃、遂にSAKU氏が主催する舞台作品に出演することになった。
キツくて死にかけた。しかし死ななかった。私以上にSAKU氏が大変だったろう。
間違いなく私の前半生の集大成であった。
集大成だけに課題もたくさん残った。
もともと私がSAKU氏に教えを請うたのは、「自在にフローに入って無敵の演技者になる」という目標を一旦棚上げにして、小林組における自分のパフォーマンスをどう上げるか、モノステとかNHKとか個別の案件にどう対応するか、というのが動機だった。
しかし、SAKU氏のあまりの蓄積と技量に圧倒された私は週に一回、さしたる目的もなくただ漫然と氏のアトリエに通ってしまった。
私はこの舞台の打ち上げの時、物陰で一服しながらSAKU氏に「もう通いません。次に伺うのは自分がなにか案件を獲得したときです」と言った。
打ち上げの宴席から退出するときSAKU氏が「小林さんが卒業です!自分で何か案件を獲得するまではもうここには来ません!」とアナウンスしてくれた。そこにいる全員で一本締めで送り出してくれた。
事務所にも入っていない。NHKもオペラも知り合いからの紹介。そんな状態でこれからどうやって案件を獲得していけばいいのだろう?全く訳が分からなかったが、ともあれ退路は防がねば進歩はない。
「小林、今後はもっと営利目的で芝居やります!」と宣言した。やってるうちに、もっと上が見たくなったのだ。営利が上というわけでもないだろうが、「金を払うより金を貰った方が成長のスピードは速い」というのが私の信条であるがゆえ。
2023年7月〜9月
とりあえず所属事務所探しをしなければ、と、プロとして活動している友人、何人かに話を聞きに行った。
オーディションをしている事務所があって、受けてみたりした。
受かったけど断った。(詳細は書かない)
色々とヒドイ話も聞けた。
このちょっとしたリサーチで聞こえてきたのは、
「芸能界ヤバいぐらい金がない」という声が多かった。
さあ、果たして本当だろうか。ともあれ、これから参入しようとしている私に景気の良い話が聞こえるわけもないが。
そして、業界そのものの構造自体が音を立てて変わっている時期なのもよく分かった。ちょうどジャニー喜多川さんの忌むべき性癖がやり玉に挙がっている時期だった。まさかジャニーズ事務所があんなことになるなんて、誰も想像していなかったと思う。
潮目なんて簡単に変わる。
この頃EDEN projectさんの「3丁目の街カド」という映像作品に本当に一瞬だけ出させて貰った。
なんとtwitterの公募ポストからだ。
結構な数の応募があったと聞いたが、普通にDM飛ばして普通に受かった。ビックリした。
楽しかった。
旧友の芦田千織氏と共演できたのも嬉しかったし、主役の夏アンナ氏の存在感に惚れ惚れした。
当たり前だが、きちんとした技術者さんがきちんとした機材で撮ると、画面の艶が段違いである。iPhoneなどのツールの進化も凄いのだが、まだまだ差は大きい。
2023年9月
映画「レターパック裁判」の出演オファーがあった。
営利目的で芝居をやる!と宣言した途端に、コロナワクチンの法的妥当性がテーマの映画の準主役のオファーとは、我ながらさすがのオモシロ人生である。これを受けたら仕事などもうどこからも来ないリスクもあった。日本において、芸能と反体制がいたく相性が悪いことぐらいは、さすがの私にもわかる。
古来より「芸能」と「スポーツ」は権力者によるガス抜きに利用されてきた側面がある。
双方、人間にとって絶対必要なとても重要なものであるが故。
第二次大戦後の日本においては、免許行政により新規参入が不能な状態を作り、それを支配下に置くことで、「テレビ」が腰抜けを製造する装置として大いに利用されてきた。
利用されつつも、少しでも良いモノを!という偉大なる先人達の営為は脈々と受け継がれてきたのだが、「テレビCM」が最も高利益率の仕事であるからして、「芸能」にとって「反体制」はやはり御法度なのだ。
しかし。
私は昭和の遺物。ベルリンの壁が崩れたのも、WTCに旅客機が特攻したのも、この目で見た。
潮目なんて簡単に変わる(こともある)。
我が鎌倉市では、玉縄中学野球部の二年生の少年が、コロナワクチン接種直後に亡くなった。
その事実すら一向に公表しない行政への不信感は増していった。
反ワクチンの活動家になる気はさらさらなかったが、行政の欺瞞を描いた作品に自分の職能で貢献できれば、議会で孤軍奮闘する長嶋市議へのささやかな援護射撃が出来るかもしれないとも思った。
潮目なんて簡単に変わる(こともある)。
監督とお逢いした。
果たして高梨監督は華奢で小柄で可憐な女性であった。しかし一目で秘めたるパワーの凄まじさが分かった。
私はオーディションのつもりだったが、ご挨拶してそこそこに正式なオファーを頂いた。
そして監督は「敬さんの相手役は高樹沙耶さんです」と言った。
私の心臓は止まった。「沙耶の居る透視図」も「相棒」も大好きだったからである。
監督はこうも言った。「主題歌は田中昌之さんです」
私の心臓は再び止まった。「大都会」も「仮面ライダークウガ」も大好きだったからである。
SAKU氏に相談して役創りをはじめた。
「おそらく高樹さまと今泉さまは熱血系のお芝居をされるでしょう。そこで小林さんまで熱血だと作品自体が詰みます。最後のナレーションで締めなきゃいけませんし、今回は絶対に頭に血を昇らせないで、丹田で冷たい集中力をガン回ししてください。調子に乗ってはしゃぐのが小林さんの持ち味ですが、今回は封印です」
「もし現場で熱が足りない、と指摘を受けたら、繋げば分かります!と言ってなんとかしのいでください」
よくまあホンだけでそこまで読解出来るものである。
その考察を元に身体の重心や声の出しどころとベクトルなど個別の調整をしてもらった。
あとは、それを実装する私という素体のスペック、そして気合の問題になる。
2023年10月
NHKの歴史バラエティ「知恵泉」に呼んで頂いて「伊藤博文編」にてグナイスト先生役。
ちなみに主役の伊藤博文役はPrayersのトモさんだった。嬉しかった。
師経由の案件に応募して合格し、以降、継続してクライアント様から指名を頂き、ついには共演させてもらった。
駆け出しの技術者としてこれに勝る喜びはない。
2023年11月
「レターパック裁判」の撮影で福島や茨城に行った。福島は加藤氏も一緒だった。
いつものようにヘラヘラ笑いながら過ごしていたが、実は背負ったモノの大きさに押しつぶされそうになっていた。芝居の内容も新しいチャレンジであるし。おまけに調整に失敗して、体調は非常に悪かった。
現場に入ってみたら、SAKU氏の設定した方向性が全く正しくて驚いた。いいものを持たせて貰ったと思った。
私にもっと力量があれば、6割の力でタスクをこなし、残りの4割で暴れまくり、作品自体の価値をもっともっと上げられたような気もするのだが…..
この映画のキモは「熱」だから、あれでいいのだ。多分。
この現場で私は、良いエンジニアに依頼して良いコアを創ってもらってもそれを土台に大暴れしないと自分の価値が微妙に落ちる、という貴重な教訓を得た。
演劇も映像も未経験の池田としえ市議が、人間力だけで全てをぶっ飛ばす芝居を炸裂させたのを目の当たりにして、深く反省した。
完成したフィルムを見たら、やはり演技未経験の田中昌之氏が魂のシャウトをぶっ飛ばしてて、やはり深く反省した。
そして、売れなくてはダメだ….と強く思った。
狭い世界に閉じこもった奴の芝居観たいか?
いついかなる場所でも臆せずに全力で生きる奴の芝居なら、絶対に面白いではないか。
ともあれ映画は公開になる。これを執筆している今(2024年4月)も、全国のどこかで自主上映会が開かれているはずである。
2023年12月
劇団小林組アトリエ公演「キノコ綺譚」
この公演で初めて、オマケ付き応援チケットなるものを発売した。
オマケは、内田宇則氏デザインの缶バッチやクリアファイル、そして、加藤俊輔戯曲集という私家本である。
舞台作品というのは、極端なことを言えばお客様の記憶の中にしか存在しない形態である。
本とかCDとか動画とか、本人達がそこにいなくても、勝手に飛んでって宣伝してくれるブツが欲しかった。
そして加藤氏の書くものにはあきらかに特徴があった。
私はこの年の夏頃から「戯曲集出すぞ。出せ」と加藤氏を脅迫し続けた。時期を同じくして、氏の古巣である劇団「鎌倉アクターズワークショップ」で、「加藤俊輔の戯曲だけを上演する」という企画があった。加藤氏はそれを受けて遂に腹を固め、戯曲集を出版したのだった。
氏のお店の通販サイトでも購入できる。
「キノコ奇譚」にお運び頂いたお客様も、結構この戯曲集をお買い求め頂いた。ありがとうございました。
そして、長らく客演としてお願いをしていた岡ゆかり氏と桑原文子氏に「正式に小林組に入ってください」とお願いをした。快諾いただいた。
桑原文子氏は芸名を「桑原すっこ」にした。
お二人は劇団小林組内ユニット「ものうさ特急」としてジョイン。
アフタートークでそれをお客様に発表した。
こんな風に2023年は終わった。
2024年は、小林組の旗揚げ5周年である。
まだまだ、冒険の旅は続くのであった。
(続く)
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