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短編小説#2 「私、桜は嫌いなの」

指定ワード:捨てられないもの わがまま Siri

 都会に出てきて、三年と少し。それなりに大人の生活が板について、立派になったつもりでいた。うるさいくらいの桜吹雪の中に残してきたものと同じくらい、たくさんのものを手に入れて満たして。あの野山の香りなんて全て忘れてしまいたくて。
 思いを振り払うように車に乗り込み、取引先に電話をかける。
「Hey siri . 松岡商事に電話かけて」
「マツオ ショウジさんに電話をかけています」
「あー違うって」
 私は慌てて電話を切って溜息を吐く。マツオ ショウジ、私の元恋人。三年前に捨て置いた、桜になった人。
 苛立ちそのままに車を走らせて、少し進むと小さな公園が見えた。そこには同じくらい小さな桜の木があって胸がざわつく。こんな春の季節が一番嫌いなのに。
 あの日に置き忘れてきたのは、彼と私の初恋だけ。今でも捨てずにいるのは彼の電話番号と桜の押し花、うるさいくらいの情景に胸を焦がされて逃げ出したのは私のわがまま。
 憶病だった私をどうか許してと、ハンカチにつけた一振りの春の匂いがまた私を慰める。

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