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短編小説#4 浮気と本気の終わらせ方

指定ワード:自我 美化 風化 食事

「私、人が食事してるの見るのが好きなの」
 大衆居酒屋のど真ん中、店自慢のげんこつから揚げを大口開けて頬張ろうとしているときに、目の前のこの女はなんてことを言い出すんだと思った。この女は斉藤 美津江で、私の高校の同級生。十年経った今でも腐れ縁として続いている関係だ。年数にして十数年、友人としてつるんできたが、そんな話は今まで聞いたことがなくて面食らってしまう。
「あのさ、こんなでっかい口開けてるときにそんな妙なこと言わないでくれる?」
「妙なこと、と言えばそうなのかな」
「そもそもいきなり何なの、今までそんなこと言ったことなかったし」
 私が不機嫌さを露わにしながら箸を置くと、美津江がにやにやと口元を歪めて言った。
「ずっと思っていたことだよ。食事に人間の本質って現れてる気がして」
「本質ねえ」
 煙草の箱に手を伸ばして中を見ても空で、私はそのまま箱を握りつぶす。
「で、その本質ってのを見るのが好きってこと?」
「もっと言えば自我も、その中に含まれるわね」
「あんたって怪しい宗教でもやってたの?悪いけどフロイトの話を聞くつもりは別にないから」
「つれないこと言わないでよ」
 口では寂しそうに言うものの、顔は一切そう言ってない。相変わらず食えない女だ。
「いつもお昼休みは見てたわよ」
「気持ち悪いこと言うもんじゃないと思う」
「そう?甘酸っぱい青春の思い出じゃない」
「あの時期を変に美化しないでくれる?」
「思い出は風化する前に美化して額にでも入れたいでしょ?」
 ジョッキに残ったビールを一気に飲み干して私が席を立つと、美津江もつられて立ち上がる。手早く会計を済ませて外に出ると、雪交じりの風で頬が痛い。
「やだ、怒ってるの?」
「年食うと変なこと言い出すもんなんだなって実感してるだけ」
「失礼ねえ。別に変なことじゃないって」
 美津江が腕を絡ませてくるが、別に抗わない。昔からのこの距離感は居心地の良さを感じているから。
「自我、ね」
「興味あるんだ?」
「まさか、あんたとは違うから」
「自我を超えるものこそ真に尊いと思うのよ?」
「生憎倫理の授業は寝てたんでわかりませんね」
 憎まれ口を叩いて美津江から離れると、袖を掴む手が名残惜し気に離されるのが見えた。
「ほんとに今日で終わりだから」
 美津江の声が掠れている。
「ほんとに美化して額にでも入れて、たまには眺めてもいい」
 私がそう言うと、美津江は納得したように頷き背中を向ける。私は、その背中を随分遠くにあるもののように感じていた。

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