自分の博士号が気持ち悪い

注)あくまでも、"自分が博士号を取得したことが気持ち悪い"という内容です。
他の方の博士号についてはなんとも思っていません。

修了してから2ヶ月。
博士号が気持ち悪い、という感覚はまだ健全だ。
こう思う理由はわかっていて、でもまだ、どう向き合って自分の中に落とし込んだら良いかがわからない。

最大の理由は、研究がやりたくて博士課程に進み、博士号を取得したわけではない、ということ。
昔、私は友人(Xでたびたび出てくる憧れの人)と喧嘩別れをした。
その原因は自分の不甲斐なさだと信じていて、その人に言われたことが、10年以上、自分の中で生き続けていた。
自己嫌悪を抱えながら、自分の人間性を変えたいと強く思い続けてきて、研究と出会ったタイミングで、私はそれを実行した。
自分が苦しむほどに研究で努力をして、決めたことをちゃんと守ろうとした。
(学生で労働基準法など適用外なので、極力休みを減らして取り組んだ。)
その結果が、博士課程への進学と博士号の取得だ。

ただ、ずっと「この選択は正しいのか」とは思っていた。
今、どれだけ努力をしたところで、なくした友人は返って来ない。
それどころか、血の滲むような自分の努力は、なくした友人には届かない。
(最後に会話をしたのがB2だったので、M1くらいまでは、ギリギリ自分の努力を伝えられると信じていた。努力の証として、投稿論文が欲しかった。)

努力することが、私の目的だった。
対象はなんでも良かった。
それがたまたま、研究だった。
だから、研究がやりたいわけじゃなかった。

D3には、自分を苦しめるほどの努力など、アイツは望んでいないと気づいた。
(過去の会話を思い出しながら、望んでいないと信じられるようになった。)
その瞬間に、研究で努力する意義を、研究をやる意味をなくした。

別の理由として、研究室で良い思い出がないということがあると思う。
(これは自分だけでなく、他にも該当する方は多くいると思うので、これを理由にするのは甘えな気もしている。)
"優秀だ"と言われることがある(リアルでもネットでも)。
私には"身を削るほどの努力をする"という裏目標があった。
憧れの人とのことが努力の根源として存在したから、やれただけ。
今はもう、努力の根源がないので、以前のような出力はない。
以前のようには頭は働かないし、体は動かない。

「論文のアクセプトはたまたまだ、本当だったらリジェクトだった(意訳)」と教員から言われ、それは今でも自分を苦しめる。
「ラッキー、良かった☆」なんて思えない。
だって、私はそれを努力の証拠としようとしていたのだから。
人生で一番つらかったこと、死ぬほどの後悔、最大級の謝罪と贖罪として、アイツに届けようとしていたのだから。
(指導教員はこのことを知らないので、なんとも思わず、厳しいことを言ってやろうくらいの気持ちで言ったのだろうが。)

一時的な出力で、偶然手に入ってしまった博士号は、身の丈に合わないのだ。
こんな思いをするくらいなら、取得するべきではなかった。
私にとって博士号は、罪の味がする。
だからこそ、抱えて生きねばならないのかもしれない。そういう宿命。

苦しみながら生きるのはロクでもないので、自分が博士号を持っていることは早く忘れたい。履歴書にも書きたくない。もう一生、研究なんてやりたくない。

私の中の綾波は、「あなたがもう…研究をやらなくてもいいようにする!」と言っている。
(文章にして少し整理できました。読んでくれてありがとう。)




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