2018年11-12月に本を読んで考えたことと年末にあらためて想ったこと

自分に対して残念なのは、ここ2ヶ月あまり本を読みながらブログ用のメモをとっていないことだ。
どうしてこうなったんだろう。確か秋口くらいからメモをしなくなった。
理由はなんとなくイメージ出来ていて、1つは通勤の半分以上が車になったり、あまり体調が良くなくて電車通勤も寝てしまい、本自体それほど読めなかったこと。2つ目はここにあまり書きにくいことで悩んだりしてたこと。3つ目は仏教学とかが、ちゃんと勉強して入ってみて簡単には書き上げられないことになってきていること。まあ、3つ目はだいぶ言い訳に近いのだが、実際よくわかんなくなっているので、単にここが踏ん張りどころということかもしれない。
本を読む時間と、発信しやすい悩みがないと、上手くいきにくい。また、習慣から外れるとなんとなくサイクルから抜けてしまう。
どうしたもんなか。と思うけど、とりあえず12月に読んでいた本と自分の気になることを結びつけて考えてみる。

最近、嫌だなと思っているのに気がついたことがある。GDPRの話をしたら、すぐに「EUが保護経済をしている」という話にばかりなること。そういう面もなくはないけど、その話にしかならないのはどうなんだろう。
この件をはじめとして、気がつくと多くの人との会話が経済の話ばっかりになる。経済の話はスピードが早い。いちいち前提の確認をしなくて良い。拡大するというのが良いこととしてのコンセンサスがとれている。
だから、何か話があると経済の話をするとシンプルだ。安心だ。疎外感を感じにくい。宗教と政治の話をするな、という通説とは逆の視点の話だ。とりあえずなんでも経済的観点で話をしてみよう。

「遅刻してくれて、ありがとう/常識が通じない時代の生き方」( トーマス・フリードマン )で冒頭に彼がコラムを書くための前提として語られている、経済というマシーン(ベルトコンベアと歯車)と、人間と文化のつながり、そしてその環境への影響という世界の整理はだいぶわかりやすいフレームワークだった。そのフレームに当てはめると、みんなマシーンの話ばかりしているということだ。人間の話をすると家族大事にとか(いや、家族はすげー大事だけど)そんな話ばっかりで、文化や尊厳などの話題には向かわない。(トーマス・フリードマンがウーバーを民主化と言っていたのはどうかと思ったけど。)
そう考えると、経済は手段だというパタゴニアの姿勢は、あらためて心打たれるものがある。「社員をサーフィンに行かせよう」(イヴォン シュイナード)は、タイトルのキャッチーさから社員のQOLの話にそれがちだけど、その資本主義に対抗する構造こそが、核なんじゃないかと思う。
綺麗事にしてはいけない。それぞれの価値観の中で守りたいことは、経済の拡大だけではないんじゃないか。というか、 それはそれであると思うけど、それだけなのかという問いがもっと大切にされるべきだ。
例えば、稼いだ利益を、水野和夫さんが「資本主義の終焉と歴史の危機」で語っている、グローバル資本主義の基本思想である「より速く、より遠くに、より合理的に」以外の部分に投資するだとか。往々にして、企業は例えば展開国を増やすとか、新しい効率化のシステムを導入するとか、そういうことが中心で 「より速く、より遠くに、より合理的に」以外のことへの投資をしずらいものだし、QOLの話すら結局そこに回収されて、社員のQOLをあげることによる生産性の向上などの経済合理性だけが投資判断の拠り所になってしまったりする。

経済の話と、もう1つあるのはテクノロジーの話。
テクノロジーの話をしたときによくある反応の「いやテクノロジーというのはあくまで手段だから目的から考えるべきだ」という話にしろ、テクノロジーを「企業目線で考えるのなく顧客の利便性をいかに高めるかで考えるべきだ」「サービスを中心に考えよう」という話にしろ、違和感があった。それだけじゃないだろうという話だ。テクノロジーの話ってそんな話ばっかりかよ、って。
便利になるってこと、それっていいことばかりなのか?例えば、これ以上人間の知的忍耐力や刺激耐性を下げてどうすんだろって、そんな感じ。別に良いものならワンクリックで買えなくてもいいけどな、僕は。当たり前だけど。
もやもやした中で「NEXT GENERATION BANK 次世代銀行は世界をこう変える」(若林恵 編)を読んだ。これだ、と思った。
若林恵さんはWIREDの編集長の頃から、テクノロジーの進歩それ自体が社会を発展させるという安易な未来像を否定してきた人だ。
ここでごちゃごちゃ書くよりも本文を熟読した方が良い本だけど、個人的に最も心が動かされたのは「ボーさんのデータ経済論」。デンマークで90年台から、個人が個人として尊重される時代の金融のあり方のための事業開発をしてきた人だ。こんな人が日当たりも気にせずに、信じた未来を作ってることに大きな勇気をもらった。言葉がずっしりと心に響いた。経済の話じゃなくて、信じた未来への具体的なとるべき行動を話していた。

結局、議論が難しい、結論が出しにくいことから逃げないということなのかもしれない。
自分が信じれるか、自信を持てないこと。まわりとは違う部分。信じたいこと。自分が思う世界をこうしたいということ。小さな想い。そういったことに勇気や自信をくれる本を読みたい。
自己啓発の類や作者がSNSで上手に煽って売れるような本じゃなくて、一見居心地の悪い、なかなか自分の中に取り入れるのが難しいような言説のある、そういう本だ。
「遅刻してくれて、ありがとう」で言われていた通り、学び続けるということが最も必要な時代なのだし、それは望むところだと思いたい。
(もう年もあけて10日ほど過ぎましたが)今年もよろしくお願い致します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?