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どう成りたいか、どう在りたいか

学生の頃とか、サラリーマンの頃とか、目標って与えられるものだったから、あまりどう成りたいとか考えてなく、要するにゲームみたいに生きていた気がする。受験も人事査定もルールとゴールのあるゲーム

脱サラして、自分で仕事を始めてからは、ずーっとどう成りたいか模索していた。成りたい自分に成ろう。そういい聞かせていたし、娘にも成りたい自分に成ろうね。そう教えていた。成れると思ったし、実現できたことも多い。でも、僕の場合成りたい意欲が急速に下がった。50才を迎えた頃だ。なぜ、今、息苦しいのだろう?医者からも注意される健康状態になって…

悩んだ末、自分への質問を変えてみた。

どう在りたいのか?

そもそも自分は?

昔から家族が好きだった。両親の息子であり、妻の夫であり、娘の父であることが大切なんだ。家族との時間が残された人生で一番大切。これからの時間を家族と共に生きよう。案外人生は短い。そう思って生き方を組み直してみた。

で、家族と相談して今がある。会社を譲って畑と古民家を譲り受けた。畑と宿だったら家族と過ごせる。一緒に働いて分かち合える。

生まれた以上、どうしたって別れがある。何に成ったって終わりが来る。成りたいはいつも未来に向かって今をいきる生き方だ。楽しみは未来にある。在りたいの生き方は今を大切にする。人生の後半は成りたいより在りたいだ❗

耕して休んで、珈琲豆をひきながら、宿についてあれこれ妻とお喋りしていると母がひょっこり顔を出す。いい一日だ。




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