見出し画像

第三回偽物川小説大賞 結果発表&講評


 deus videt te non sentientem. 汝感じざれども、神、汝を見たまえり。

 お待たせいたしました。2021年9月1日から10月末日にかけて『神』というテーマのもと小説投稿サイト「カクヨム」において開催され、38作品のご参加をいただきました第三回偽物川小説大賞、結果発表のお時間です。

 結果発表にかかる前に、ここで一つ言っておくことがあります。これは「偽物川小説大賞」では毎回こうなのですが、我々三名の評議員は、最後の選考会議の直前まで、お互いのそれぞれの講評を「まったく見ていません」。そうしている理由はいろいろあるのですが、ですので、それぞれの講評で解釈に大きな食い違いが出ている部分もおそらくあるかと思います。しかし、それこそが偽物川の味だと私は思っておりますので、そういうものだということでよろしくお願いします。

 さて、では早速参りましょう。

大賞発表

 第三回偽物川小説大賞、栄えある大賞は。狂フラフープ氏の作品!

 『大いなるものに捧ぐ

 に決定いたしました! おめでとうございます!

 受賞者、狂フラフープ氏より受賞コメントが届いております。

どうも皆様狂フラフープと申します。
 このたび栄えある第三回偽物川小説のなんと大賞をいただけると聞き及び、小躍りしながらコメントを書いている次第であります。
 多くの参加者と多彩な神様が集った今回の企画、方向性も趣も異なる様々な作品が火花を散らし、轢いて轢かれての中での受賞、喜びもひとしおなのですが、個人的に印象的だったのは結構な数の参加者が未来を舞台にしていらしたことです。「このテーマでSF持ち込むのわしだけじゃろガハハ」とか考えてたのがめっちゃ恥ずかしい。
 さてさっそく余談なのですが実は今作、小説AIというやつで書いておりまして、いやこれ本当にすごいです。
 毎行論理破綻させながら執拗に百合に男を挟んできます。キレ散らかしながら九割九分修正&添削するための実質全自動進捗ケツバット装置なのでみなさんも使ってみてください。
 とはいえ小説AI君も共同執筆者には違いないですし、せっかくなので彼にもあとがきと受賞コメントを書かせようとしたのですが、いきなり実在の作家を詐称した上、今作は書き下ろしではなくなろう連載の再録で未完結であるとか受賞剥奪ものの内部告発を始めたのでご退場願いました。すべて事実無根なのでごあんしんください。やはり機械は倫理がないのでダメですね。人工知能が人類に反旗を翻すなんてのはまだまだ先のことだと思っていましたが、どうも我々案外未来に生きているみたいです。
 ともあれ今回このような栄誉に浴する機会を頂けたのも、主催の偽教授氏、評議員のお二人、企画を盛り上げてくださった参加者の皆様、読者の皆様のおかげであります。皆様へのお礼の言葉を持ちまして受賞コメントとさせていただきます。

 なお、大賞受賞作ですので、副賞としてももなあ氏によるイラストが進呈されました。こちらになります。改めまして再度申し上げます、おめでとうございます!

画像4

各賞発表

 今回、各賞の受賞作は八つあります。大賞も含めますと九作品が受賞しております。では、まず金賞。ももも氏の作品です。

ミッシングリンク

 次に銀賞です。銀賞は二本です。これは順不同ではなく、いちおう順番が付きます。上位のものから発表します。まず、こやま ことり氏の『王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』。

 次に、佐倉島こみかん氏の『猫の祟りと六代目』。銀賞は以上二本です。

 次に銅賞です。こちらは順不同なので、投稿順で紹介します。伏見七尾氏、『ハデス・スキャンダル』。

 そして、灰崎千尋氏の『虚ろなる者』。以上二本が銅賞です。

 さて、ここまでの六作品はすべて、大賞選考において評議員から一票以上の票を獲得した作品となりました。しかし以下に選出するのは、大賞選考とは無関係に、各評議員が「個人的に」選出した、評議員各員の個人賞となります。

 ます、主催わたし、偽の教授の個人賞「其の思索の確かな尊さに与ふる賞」は、辰井圭斗氏『不在』。

 次、偽の人食いの個人賞「ペガサスの幸福論で賞」は、志村麦氏『天啓的な幸せ』。

 さらに偽のお墓の個人賞「黙示録の獣賞」は、292ki氏『ケイオスワールド・ホープスエッグ』。以上となります。

 受賞作発表は以上です。受賞者の皆様、おめでとうございます!

ファンアート

 こちらは草食った氏の『』によせて、尾八原ジュージ氏が描いてくださいましたファンアートになります。ありがとうございます。

画像1

さらに、こちらは辰井圭斗氏の『不在』によせて、狂フラフープ氏が描いてくださいましたファンアートになります。ありがとうございます。

画像5

参考画像

 こちらは佐倉島こみかん氏の作成になる、各作品の概略です。画像をクリックすると拡大されます。

画像2

 もしも「自分の作品の位置はここじゃない」という御意見がありましたら、こちらの近況ノートへご連絡ください。対応いたしますので。

 また、モチーフとなっている神話体系の分類もざっくりとですが数えてみました。あくまで主催者である私が個人的に数えた概算なので厳密なものではないですが、以下の通りです。

無題

 キリスト教とそれに類するもの、7。神と呼ばれる人間、7。架空宗教、5。日本の神話と妖魅、3。ギリシャ神話、3。北欧・イスラム・ヒンドゥー・マヤ・中国諸神話、各1ずつ。最後に分類不能が11、です。随分とバラけた、というのはお分かり頂けるかと思います。

 こちらも、「自分の作品はその分類ではない」という御意見がございましたら、こちらの近況ノートへご連絡ください。対応いたします。

全作品講評

 では、これより全作品の講評を発表して参ります。作者名は敬称略となっております。なお、各評議員の素性ですが、偽の教授は説明不要として偽の人食いは富士普楽さん、偽のお墓は宮塚恵一さんです。

神を撃つ銃弾 偽教授

偽の教授:自分で書いたやつ

 これは評議員による作品なので、受賞の権利が一切ありません。というか、私のです。自分で自分の作品に評価を下す気はしないので楽屋トークでもしましょう。

 テーマ「神」という題で自分が書くならこれというのが二つあって、一つはいわゆる「女神行為」(最近は裏垢女子という方が一般的らしいが)のネタ、もう一つは人間が神を殺す話。スナイパーが神に銃口を向けていろんな独白をする、というプロットはだいぶ前から考えていた。ターゲットは北欧神話の軍神トール、というのもかなり初期からプロットにあった。なぜトールかというと、現代世界に唐突に降臨しても比較的に違和感のない存在であること、それなりに大物であること、この二点。

 最初はスナイパーの方は無名キャラにする予定だったんだけど、トールと同郷だなあ、そこを話の起点にするか、ということでシモ・ヘイヘに。そういえばこの人のあだ名は「白い死神」だなということで、あえてトールにも銃を使わせることでタイトルに二重意を持たせたりもしてみた。あと「撃てますよ」からの台詞はほとんどまんま『衛府の七忍』の沖田総司だったりする。

「神は脳みそを撃ち抜かれても死なないのか?」という部分は割と悩んだんですけど、まあそのへんはやっぱり、生身の人間とは異なる手触りを持った超常の存在であるというのをどこかで匂わせたかったもので。そんなところです。

偽の人食い:主催者みずからの一番槍です。時代物を得意とされる偽教授さん、今回も第二次世界大戦を舞台にしたお話となっておりますが、キャプションの様子が……?

 その理由は第二話にて判明するのですが、これM●U系列のあれじゃなくて、単発タイトル当時とかに出る便乗作品とかB級映画に出てきそうな方ですよね!?

 この神を「よし殺そう」と軍が決定を下した理由も、原典を考えると確かに正しいんですが、MC●の彼がけっこう好きな私としてはちょっと残念な気持ち。

 大丈夫? ベルトとか盗んだ方が良くない? と思いながら読み進んでいたのですが、最後の最後で予想外の行動に出られ、「あれは一体なんだったのだ……?」という不可解な余韻に、神を易々と理解できると思うなかれ。とつきつけられた気がしました。本神的には、ちょっと遊びに寄ったようなものだったのかしら……。

 レギュレーション下限の3000文字で、このビックリとハラハラ、不気味な余韻を残す構成。特に三話の緊迫感ある狙撃シーンの描写にドキドキしました。

偽のお墓:主催者一番槍。伝説の狙撃手VS北欧神話の神という、テンションあがらざるを得ないマッチングをするのがさすがですね。

 急にミョルニル携えた雷神トールと思しき存在が戦場に現れたらそりゃビビるんだわ。

 神と言う存在をどう定義づけるか、は書く人の考えが出るかと思いますが、伝説の通りの槌がそこにあって、それを操れる存在がそこにいる。ならば、それが本物の神と呼べるものか狂人かは関係なく、事実上の神と言って問題なかろう、という「神」と呼ばれる存在の定義についてもさらりと提示しているのが良い。

 銃弾で頭を吹っ飛ばされ、脳漿飛び散らせてもなお動いている姿は神というよりもまた別の恐怖を感じそうですが。

 戦場に現れた戦の神を殺せるかを題材にした独特の読後感が面白い。

 しかし……彼は果たしてどこに消えてしまったのか。何故消えてしまったのか。そもそも何のために現れたのか。その全ては憶測するしかなく、謎。これもまた「神」のみぞ知る、と。

 主催者が放つ一番槍としての、今後の参考を見せつけるロケットスタートでありました。

七色ルービックキューブ【読み切り】 杜松の実

偽の教授:謎は謎しか呼ばない

最初にざっくりと総論的なことをひとことで言いますが、さっぱり分かりませんでした。「最初から読み進めたが途中で分からなくなったので最初に戻る」を七回くらい繰り返しましたが、八回目で内容を理解することを諦めたのです。文章そのものは決して下手ではない(いや、内容を無視して文章力だけで評価すれば平均をかなり超える)のですが、私に分からんものは私には分かりません。時系列の整理ができていないこと、出来事の記述と地の文の解説が適切に切り分けられていないこと、などが一因と思われます。

「数学が自我を持った」という多分この作品の要となっているのであろう要素が、後段のバトル描写とどう繋がってるのかも理解自体ができないので、それに論評を加えることも困難です。もちろん「偽教授というやつにはこの作品の内容が理解できなかった」という事実にはそれがそのような事実であるという以上の何があるというわけでもないんですけども、「三人に読ませたうち、誰であれ少なくとも一人は分からなかった」ということはそれ自体で重大な情報であるというのが私の考え方ですので、以上このように述べておきます。

偽の人食い:作中で明言されていませんが、数学=神であり、数学がこの世界を作った……というテーマの取り扱い、でいいのでしょうか。正直自信がありません、ごめんなさい。

 前半まるまる使って語られる、秩序原液やらなんやらの数学的なお話のほとんどはちんぷんかんぷんで、「なんだか分からんがとても壮大なSFらしいトークが続いているぞ!」という気持ちで眺めておりました。

 このへんの、読者が理解しているかはどうか置いておいて高度に難解な話を延々と繰り広げるあたりは、ホーガンなど海外SFのノリを連想しますね。

 そうして読んでいくうちに、どうやらこれは数学(神)の指示によって発見された謎の巨大構造体・プタハラオと、目的も襲来した結果どんな破滅が起こるかも不明な存在・ジェドとの対決というロボットもののようなストーリーが浮かび上がります。

 ただ、締め切りや文字数にはまだ大きく余裕があったので、どちらの部分を読者により楽しんで欲しいのか? その点をもう少し考慮していただければ、より一層痛快なハードSFロボット小説になったのではないか? と惜しく感じました。

 しかし、なんと言っても作者さまが構築された「この世界は数学によって作られた」というハードSF世界観は非常に魅力的です。

「謎の巨人唯一の操縦適合者である数学教授が、敵の数式を書き換えて倒す」というスパロボエンターティメント部分も最高に格好良い。

 この味を更に磨いて頂きたいと思う作品でした!

偽のお墓:数学という概念的“存在”を扱うというなかなかに攻めたSF。

 概念はそのまま神に転ずるので、数学もまた神ですね。発想自体はかなり好き。

 この世界は数学が支配しているのでその数式を司る数学が神である、というアプローチは他には中々出ないでしょうし、企画内での独自性もある。数式を書き換えることができるなら、神へのハッキングもできるな、とか妄想しますがそんな個人的妄想はそこらに置いておくとして。

 数学抽象概念の支配する空間に論理構造を作って、数学の解が自動算出されるようになった、っていうのも一つのシンギュラリティ(特異点)でしょうか。

 とは言え、元々は長編のアイデアだったものを短編に押し込んだとのことで、やはり窮屈さは感じてしまいました。

 こういった、設定が肝のSF作品の宿命ではあるけれど、理論の説明に多くの字数が割かれている割に総文字数も約8,000字と少なめなのが、その窮屈さを感じた原因だと思います。もっと伸び伸び書いてよかったんじゃないだろうか、とどうしても思いました。

 いやでも絶対面白いですよねこれ。山本弘先生が、SF書くのに良いアイデアが浮かんだんなら使い捨てないでしっかり使いたい、使え、みたいなことを言っていた覚えがありますが、長編版も検討(執筆?)中とのことで、これは是非更に練り込んだ長編の完成を祈るところ。

神様、もう一度だけ あきかん

偽の教授:引き金は祈りながら引くもの

 とある暗殺者の、信仰と悔恨の話。とりあえず、真摯に書かれたちゃんとした物語だとは思いますので、その点には一定の評価を差し上げたいと思います。技巧面から見たときに出来がいいか、と言えば正直申し上げて良いと言うほどよくはありませんし、『神というテーマへのアンサー』という点から見ても、まあ及第点ではあるという以上の評価は差し上げられないですが。

 ただまあ、物語として見た場合、二回目の暗殺について「結局、引き金から指を外す」という落ちで終わるのは、美しく書けていたとは思います。

偽の人食い:タイトルの神様、冒頭から主の祈りと、分かりやすくテーマが表現されているのが嬉しい一作。狙撃という点では主催者の一本槍と重なるものがありますが、おそらく偶然でしょう。狙撃というものは、人間が神を感じるのに充分な孤独と極限状況の代表ゆえ、モチーフに選ばれやすくなるのも無理はありません。

 とはいえ、この作品は狙撃するまでではなく、狙撃をした後のお話。

 政治的・宗教的事情から、狙撃による暗殺を試みた……という出だしは中々ピーキーなネタだと感じますが、そのへんの政治的背景がボカされているのは巧いバランスだと思いました。下手に実在の何かに寄せたり匂わせないのは大事ことです。

 熱心な信者のようでありながら、主人公の行動や考え方に違和感を覚えていたのですが、それが最後に綺麗に回収されていて膝を打ちました。

 そして、タイトルの意味!

 それまであまり好きになれなかった主人公でしたが、彼が最後に選んだ行動で、初めて「悲しい人だな」と私の中でキャラクターが立ち上がりました。彼の人生に想いを馳せると、しみじみと湖水のような冷たく澄んだ余韻が広がります。

 下限の3000文字で、しっかりとまとまった良い作品でした。

偽のお墓:神そのものよりも、神への信仰をテーマとして書かれているな、という印象の本作。

 格好いいんだけど、全体的に印象が薄味になってしまっているのは、主人公である男の内面の苦悩に描写が終始しているからか。これは意図してやったことなのかどうか。一応ジャンルが「詩・童話・その他」になっているので、時代を指定しない、説話のようなものとして読まれることを狙ってはいるのでしょうが、あくまで私としてはだったら、もっと心の葛藤、苦しみをエグく描写してくれた方が好みだった。抽象的な表現は時には武器ですが、全ての場合においてそう、というわけではないので。そこに起こっていることをただ追いかけるのではなく、読者に主人公の心情がもっとわかりやすいと良いと思います。とはいえ、直接的ではない表現も作者様の武器だと思うので、情景描写を利用したようなものを細々と散りばめてほしいかも。

 とはいえ、割とストレートに信仰に悩むクリスチャンの話が来たのは、素直に面白かったです。信仰を持つスナイパーの懺悔の話としても下手な捻りとかなく真っ向勝負。

 神を信ずる、神にすがる、神に願う。

 人は弱いので、ふとした時にすぐに神にすがってしまうのだ、とは私も思うことです。

Schwanenritter 中田もな

偽の教授:聖性はそれ故に冷たい

 カテゴリ『現代ファンタジー』で投稿されておられますが、ホラー系の自主企画にも参加なされておられるようで、実際まあどっちかといえばホラー的色彩の強い作品ですね。しかし、その恐怖の根源にあるものが、悪魔とか怪物とかではなく『聖なる神の騎士』であるという、そこが特徴になっている作品です。

 神が恐怖の根源になるという場合にはまあクトゥルー神話であるとかそういう方向性もあるわけですが、この作品はそういうのでもなく、あくまでも『聖なるもの』が、人に“害”をなします。本人は正しいことをしているつもりでしょうし、あるいは神にとってもそうであるのかもしれませんが、ともかく害であることに変わりはありません。

 正直申し上げて、小説としてこれを読んだときに『面白い』かといえばあまり面白くはなかったですし、ホラーとして上出来か、という視点で見ても、まあそうだなあ、普通、くらいですね。

 ですが、『神というテーマに対するアンサー』として見た場合は、割と評価点が高いです。神というものの絶対性、冷たさ、非人間性、などを余すところなく描写できていて、美しいとさえ感じます。なので、『第三回偽物川小説大賞に投稿された作品』であることを踏まえて総合的に言えば、割と高評価な作品です。

偽の人食い:音楽の都・ライプツィヒに訪れた台湾女子の旅行者が、騎士を名乗る不思議な人物と出会うお話です。ジャンルは現代ファンタジーとなっていますが、何も悪いことをしていない彼女があんな目に遭うのは、ホラーと言った方が近い気がしました。

 この「何も悪いことをしていない」は、騎士を名乗る彼の側からするとタブーに触れたゆえの当然の結果なので、その理不尽さは本コンテストの「神」というテーマに添っているかもしれません。

 しかし「彼の素性を問うてはならない」のに、当の彼が「あんた何者!?」という問いを引きずり出そうとしているようにしか見えないのが、釈然としませんでした。

 一方、彼の正体については、オペラやクラシックに詳しい方は、タイトルがそのまんまなのもあって早くから予想がつくのではないでしょうか。

 そしてそれだけに、バッハやメンデルスゾーンのミュージアムに大興奮する、クラシックファンの主人公が彼の正体を察しない描写には首を傾げました。

 人間の記憶力は完璧ではないので、「たまたまど忘れしていた」という可能性もありますが、それでは小説としての構成に疑問が残ります。

 音楽の街・ライプツィヒ、クラシックファンの主人公、ワーグナーのオペラといういかにも何かありそうな舞台と設定とガジェットが、最後まで有機的に結びつくことがなく終わってしまい、肩透かしを感じました。題材となったオペラや伝説についての知識があれば、何か見え方が変わってくるかも知れませんが……。

 彼女のクラシック知識が活かされたり、神についての見解が描かれると、よりテーマにも添い、話としてのまとまりも出たと思うので、惜しいですね。

偽のお墓:これねえ、めちゃくちゃ好きです。

 タイトルの通り白鳥の騎士を題材とした短編小説。作中、白い羽を効果的に使ったりなど、わかる人にはわかるであろう細かい演出が好みです。作者様自身が近況ノートで解説を入れるなどしていましたが、多分拾い切れてない要素も結構あるな。

 幻想的なホラー作品といった趣きですが、結果的にそうなっているだけであり、騎士の在り方をただ正直に描写した物語、と言えそう。

 わかりやすいエンタメでなくとも、答えが明確に用意された、綿密に作られている話であれば、それを考察する楽しみがうまれます。先が気になるように描写をして、一話一話も短いので読者への訴求力があります。しかし、何故主人公だけに彼が見えたのかなどがはっきりとは明かされずに終わり、作中では語られない部分があると場合によっては肩透かしを食らってしまうかも。

 必ずしも必要というわけではないですが、細部に拘り、意匠を凝らしているからこそ、起承転結のバランスや、主人公の感情の盛り上がりなど、外の枠組みもしっかりした方が、もっと面白みが出るかと思いますが、これはまあ私の好みです。

 ただ、作者の拘りが透けて見える作品ゆえ、個人的にかなり応援したくなったのも事実で、これを書きたかった、こういうのが好きだという熱意が伝わるのはベネ。

 今後の活躍も期待しております。

わたしの姉さん 尾八原ジュージ


偽の教授:きれいだよ……シャーリーン

 前回すなわち第二回偽物川小説大賞の時に、大賞イラストを依頼させていただいた、絵も描ける小説も書ける(さらに言えばウクレレも弾けるし編み物までできる)マルチ才能トカゲさん、尾八原ジュージ氏の作品です。

 今回、第三回の大賞特典イラストは別の方に依頼していて、そうした理由はまあいくつかあるにはあるのですが、その最大のものを今言います。「またジュージさんに依頼して、ジュージさんの作品が大賞になったらどうするのか?」という可能性を真剣に危惧したからです。で、まだこれを書いてる段階では大賞選考は行われてはいないのですが、やはりその判断は間違いではなかった、というのが正直な気持ちです。やはり、想像以上の作品で来てくれました。

 幻魔怪奇の和風ホラー。語り手の狂気がもう本当に怖くて、そしてその語り手の言葉を通じてしか作品世界にアクセスできないというのも本当に手触りが冷たくて。で、「私が大賞に推す三作品の中にこれを入れるか」ですが、これを書いているいま時点では「その可能性を視野に入れている」というところです。それだけの位置につけている作品でした。

偽の人食い:先日はnoteの「風景画杯」で大賞も受賞されたジュージさん、さすがという短編ホラーでした。ある女性が語る姉の話――出だしからその世界に引きこまれます。

 これは信頼できない語り手かな? と思いながら読んだら、おや、様子が違うぞ……と転がされ、あの結末。読者がそう予想するのも、実はきっちり考えてのことなのかなと思っちゃいますね。

 ラストシーンは白眉。語り手の女性が見ているものが、映像としてちゃんと読者の脳裏に結ばれるよう演出され、「ひぃ」と戦慄が走って落ちる。

 こういう構成力、演出力はすっかりこなれた風格を感じます。

 語り手はこれから、祟りなりなんなりで死ぬより悪いことになりそうなのですが、わりと彼女にも非があるのも、ホラーとして良いバランスだと思いました。超常存在のことを抜きにしても、普通にまずいこといくつもやっていますからね……。

 ホラーにも色んな種類がありますが、個人的にただただ胸くそ悪いだけ・インパクト重視なだけ、みたいなホラーは苦手でして。そのへん、静かにしかし確かに恐ろしいジュージさんのこういう作品は大変好みでした。面白かったです。

偽のお墓:やべー女の話。

 家に祀られた神様、それに纏わる異類婚礼譚──のような何か。こうした空恐ろしさは畏怖すべき神の逸話としても常道で、脱帽です。

 土着信仰からうまれる神は、人間の根源的な欲望とか祈りに接続されている気がして、それがよくホラーの題材になる要因なのでしょうが、主人公の姉さんへの感情も、そうした想いと同じく、色々な意味で重い。

 神要素は蛇神様ですが、読んだ人ならわかる通り、全編通して本作は主人公の語りとして書かれているのであり、それが信用できない語り手として働いているものだから、結局のところ、どこまでが主人公の弁でどこまでが真実かわからず、それがまた生肌をぞわりと撫でられているかのような恐怖感になっています。

 姉さんが夜中に何をしているのかを見てしまって、姉さんが語り手の方を見てニィッと笑うところとか、読み手である自分にうったえかけてくる情緒がすごくて、ゾクっと鳥肌がたってしまう。それこそ蛇に睨まれたみたいに。

 そういう、描写自体は簡素な、くどくもない聞き入ってしまう語りが本作の魅力の一つと言っていいでしょう。

 そして語りに引き込まれ、呑まれてしまうと、読後誰かに見つめられている気が抜けません。

 そこにいますね。

ゴトーを待ち伏せながら @madoX6C


偽の教授:GOD ONLY KNOWS.

 神を知らない子供たちのはなし。コンセプトは嫌いではないんですが、ちょっと筆致に未熟さが感じられるのがマイナスではあります。何が起こっているのか、どうも分かりづらいところがちょくちょくありました。

 特に話がどこかに着地するわけではない落ちの付け方も、まあこれでいいといえばいいんでしょうけど、高得点になるかといえばまあなりはしないです。そんなところですね。

偽の人食い:そいつを捕まえれば、きっと何か良いことが起こるに違いない。皆が思い思いに想像を巡らせ、噂する「ゴトー」を、少年と少女が待ち伏せしようとするお話。

 非常にクールで観念的なお話で、様々な読み方が出来る深みを感じました。

 鉈射(ナターシャ)と化瓶(ケビン)に出会った悪党の邪苦(ジャック)と、彼に搾取される呪礼(ジュライ)のエピソードもここがどういう世界で、どういう人たちが生きるのか分かって好きです。

 ただ、個人的にはテーマの消化が惜しいなと感じました。

 というのも作中の「ゴトー」の描かれ方は、神さまと言うより「マクガフィン」に近いように見えるのです。みんなが欲しがるけれど、それが何かはわからない、でも実は何であっても良いガジェット。

 何でも良いから、マクガフィン=神も当然アリです。しかし本作の場合は、キャプションでテーマ部の解説を済ませて、本編だけではその解釈がつかみきれないのがテーマの不消化感になってしまったのかもしれません。

 ただ、これは私の読解能力の問題でもあるので、キャプションを読もうが読まいが「これは神というテーマがしっかりと書かれている」と判断される方もいると思います。その点は非常に申し訳ないです。

 一方、取り次いでくれると言った謎の少年と、ナターシャの「上だ」という答えは、確かに神を指しており、だからこそ出会うことは出来ないのだという無常を感じられて良いシーンでした。

 それと、ガスを浴びせてしまった縁とはいえ、たまたま出会った自分を助けてくれたケビンとナターシャは、ジュライにとっては「神さま」だったかもしれませんね。

 あとキャラクターの名前に驚いたのですが、いわゆるキラキラネームがだんだんと普通の名前として馴染んでいくように、ネーミングの変遷が行き着く先としてあり得る未来かもしれない……と思えて面白かったです。

偽のお墓:これは本作に対する感想ではなくて、企画に対する感想なのですが、戯曲モチーフにした作品が複数来るのすごいですよね。

 神というテーマ、実際のところだいぶ扱いづらさを感じていた人は少なくないみたいで、ならば先人の知恵を借りオマージュしよう、というのは順当。一人で答えが出るテーマでもなし。

 世紀末な雰囲気漂うスラムに住む、化瓶と鉈射の二人が主役のお話。

 ゴトーという、噂話にしか聞かない謎の人物を二人は待ち伏せ、捕まえようとする。

 原案にしたであろう『ゴドーを待ちながら』で同じように到来を待たれるゴドーは、神の暗喩だとされていて、キャプションでも『神を「人間の信仰の対象である絶対者にして不在者」な存在と解釈』とありますし、この作品でもまたそうなのでしょう。

 つまり神不在の物語。ゴドーもゴトーもいつまで待っても現れない、この世に不在の神の象徴です。

 登場人物の名前の外連味がめちゃくちゃ好き。それこそ、古い戯曲の脚本を邦訳した際に、無理矢理字を当てたみたいな雰囲気が出る。いやー、いいなあ。格好いい。

 ただ、何度か読み返し、物語の最後の解釈に少し悩みました。物語の途中までは化瓶の方を向いていたカメラが、化瓶が脱力してからはパンして、鉈射に向く。

 物語の中盤において、化瓶が出会ったゴトーの知り合いだという少年。少年は化瓶に、ゴトーは明日来ると言って、その約束を信じ化瓶はゴトーを待ち続けることになってしまいますが……。 

 単純な会話劇と、暗喩されているだろう事柄が相まって、このラストをどう解釈すべきか、明言もされていないので頭を捻りました。

 神不在を暗喩しつつ、少年がゴトーの知り合いで、ゴトーが神なのであれば……ある意味で、化瓶は約束通りゴトーに会えた?

 この辺り、明確な答えはおそらく用意はしていないのでしょうが、一度作者様の考えを聞いてみたいものです。

 面白かった。

白玉楼の神と人 小辰

偽の教授:耽にして美。

 人が神になる、というか厳密に言えば違うんだけど、人をもとにして生まれた神たちの物語。そして耽美。なんていうんでしょうかね、こういうのもブロマンスって言うんでしょうか。登場人物そんなに若くはないけれど。

 神、というものに対する本作品の捉え方は、そんなに斬新というわけではないかもしれませんが、しかし一つの鋭利な切り口がはっきりと示されていて、かなり良かったと思います。

偽の人食い:先だっての第三回こむら川小説大賞では、金賞を受賞された小辰さん。今回も中華ファンタジーでの参戦です。

 人間として生きていた時は王と臣下だった二人が、神として昇天し、再会するお話。終盤で語られる、神は信者の供えもので生活しており、存在もそれによって保証されている。すべては虚構であり実在……というくだりが面白かったです。

 神というテーマを詰めていくと、やはり「人が作り出したもの」という点にはみなさん、どうしてもある程度触れるところはありますね。

 テーマがきちんと消化された一方、ストーリーは非常にシンプルで、そのシンプルさと尺のペース配分はやや合っていないように感じました。

「回想」というテクニックは魅力的ですが、うまく扱わないと「今の話が進まない」という弱点があります。

 この作品の場合「江青虯の軍師だった温文洸は、江の大事な戦の最中に病没した」という情報が、説明で語られ、描写で語られ、さらには回想でも語られます。

 二人の関係性をみっちり描写したいという熱意が伝わってきますが、一読者としては同じような話(情報)が続いて、物語が進まないような気持ちになりました。

 大長編で忘れてはいけないエピソードとして出すなら、くり返し書くのは大事なことですが、これは長くとも二万文字の短編です。余計な情報はどんどん削りましょう。そして削った所に、二人の新たな関係性エピソードを盛っていきましょう。

 あなたの「この二人を見てくれ! 良いだろう!」というパッションの原液をもっとぶつけていくのです!

偽のお墓:偉人が祀られ、天界にて神となる。そうして天に上げられた、強き王と病弱な軍師二人の、死して後の話。堅実な文体で綴られた古代中国モチーフの架空歴史物。

 ……なのですが、途中でその二人の関係を結ぶブロマンスなクソデカ感情が爆発してビックリしました。

 爆発するならするって言ってください! 驚いちゃうでしょ!

 温文洸と江青虯、性質の違う二人の関係性を濃密に描きながら、クソデカ感情を爆発させて二人に釘付けにされた後に、本作における神と天界のシステムの話が挿入される。

 引き込み方が急転直下だったのでビックリしましたが、だとしてももう少し積み重ねがある方が私好みかもしれない。まだ規定字数いっぱいまでは余裕があるので、二人の感情の重なり合いエピソードをあとちょっと見たかった、というのは贅沢ですね、はい。

 神があって人がいるのか、人があって神がいるのか、という議論は神という存在に対しての議題の一つですが、本作においては後者。しかし、温文洸はそれを否定的には考えずに、人々の祈り、願いがあるからこそ神は真実なのだと言う。

 それがまた温文洸が江青虯に「あなたが一番の信者で良かった」と語る、二人の“人”としての関係性に直接つなげて締めてみせるのが鮮やか。どこまでもこの作品は二人を描いていることを認識する。見事です。

復讐の偶像 武州人也

偽の教授:殺したり殺されたり死んだり死なせたりしよう

 武州さんお得意のスプラッター系ホラー、「復讐の神」が人を殺しまくるグログロ小説ですね。出てくる人間どもの、もう一人残らずどうしようもなく救いがない感じが、その方向性でキャラが立っていてとってもよかったです。

『神をテーマにした作品』として評価したときに高得点かというとそれは微妙な線でなくもないのではありますが、しかしそもそもこれはこういう作品であるということで、これでいいのでしょう。これでいいんだと思います。

偽の人食い:川系企画では、B級モンスターパニックと歴史戦記でおなじみの武州さん。今回はスプラッターホラーでのご登場です。

 いじめられっ子の死後、彼を苦しめた者たちが次々と惨殺されるというごく王道のストーリーで、ラーメンを期待したらラーメンが出てきた、という手堅い味わい。

 私は小学校からホラーMやサスペリアといったホラー漫画誌を愛読していたのですが、あのころのいじめ復讐ものホラーを思い出しました。体に馴染む~~。

 やっていることは残虐そのものなんですけれど、あまり湿っぽくない、カラッとした殺戮なので、エグみが少ないのが苦手な人にも良いなとなりました。

 絵面的には、作り物とはっきり分かる人体破壊造形とか、不自然に多い血のりとかがバンバン出てくる映画、というイメージですね。

 このへんは「武州さんといえばB級映画」という私の先入観があり、非常にバイアスがかかっているので、フラットな評価とは申しがたいのですが。

 もし狙ってこのB級スプラッター味を出されているなら、それは狙い通りバッチリ再現されています! とサムズアップしておきます。

 特に面白かったのは、あの鷲人間の由来ですね。どうしてそこの神さまがそんなことになっちゃったの!? という部分、背景をつつくとなんだかこれはこれで、興味深いヒストリーが隠れていそうです。お父さん、どうか安らかに生きてね……。

偽のお墓:神は神でも復讐の神。

 復讐は神のものであると聖書にも書いてありますからね。まあそういう話ではなく、いじめによって殺された一人の男の子の無念を晴らすかのようにいじめっ子達を次々に惨殺する鷲頭の怪人が活躍するスプラッタ怪奇ホラーです。

 昔懐かしの怪奇ホラー映画の味がするんですよ。美味しい。怪人が現れるたびに、そのカット割りの幻想が見えたり、劇伴の幻聴が聞こえてくるような気がしてきました。後ほどツイッターで作者自身が『13日の金曜日』のテーマを口ずさみながら書いたと仰っていて、にんまりしました。それほどに描写が徹底していて、残酷。

 けれどもそんな容赦のない描写でありながらも、爽快感があるのは、作品の冒頭でだいぶハードないじめの描写をしっかりとしているからというのが大きい。いじめをした奴らには報いがあって当然だ、と読む側を見事に復讐に正当性を感じさせる。スプラッタホラーとして完璧。

 鷲人間の素顔が剥かれた時の怒りのこもった視線も、短い描写だというのにヘキを感じられたのも良かったですね……。

 復讐の神の正体を明かすという謎解きパートもあって、最後まで飽きさせませんでした。

iは愛より出て哀より深し @kamodaikon

偽の教授:上質なる背徳のパスティーシュ

 最初に書いておきますが、太宰治の『駆込み訴え』を下敷きにした作品ですね。はい。イスカリオテのユダがイエスについて独白するという構造、そして最初と最後の完全に一致する台詞からして、それで間違いはありません。

 で、そういう作劇の仕方というのはちゃんとジャンルとして認められていて、いわゆるパスティーシュと呼ばれるやつになります。日本の作家だと清水義範が有名で、実際この方は太宰のパスティーシュも書いてらっしゃるわけで、方法論として悪いものではありません。高く評価されるか、というとそれは微妙なラインだったりもしますが。

 太宰の『駆込み訴え』と同様に、ユダが独特の宗教思想を開陳したり、イエスへの個人的な愛憎を語り散らかしたりするわけですが、その内容は太宰のやつと読み比べてもちゃんとオリジナルのそれになっていて、よく書けていると思います。

 ちなみに、キリスト教に対する批判的な見解を含んだ作品になっているのではないか、と作者様は危惧されておられるのではないかと思うのですが、カトリック洗礼者の私が保証しますけどカトリック的にはこういうの余裕のよっちゃん屁の河童です。慣れてますし、そしてむしろ好きです。こういう苦悩の中にこそ信仰への道があるんじゃないかとも思うくらいですよ。

 ただ、読んで面白いからといってこれを大賞に推すか、といえばそれは私的には無理で、なぜかといえばそれはやはりパスティーシュというものの持つ構造的な弱さというか、オリジナル書いた方が『パンチ力』は高くなるに決まっているからです。と、言った感じですね。ご参加ありがとうございました。

偽の人食い:読んでまず思い浮かべたのは太宰治『駆け込み訴え』です。

 内容についてはネタバレに関わるので省略しますが、共通する登場人物とモチーフがあり、かつ、こちらは『駆け込み訴え』よりもう少し後の時系列から始まるお話。

 テーマ「神」ということで、けっこうストレートなモチーフを持ってきたなと驚きました。それだけに、彼による「信仰」の解釈パートも面白かったです。

 自分がそこにいて相手がいる、それは信じるも信じないもない。ただ知っているというだけの知識でしかない。

 だが、自分がここにいなくとも、いないじゃないかという不安に打ち勝ち、いると信じるのが「信仰」である……と。

 その理屈でもって、自分が愛するものが損なわれたという筋は見事な論理でした。

 私も聖書を聞きながら育った者のはしくれなのですが、キリストはしばしば、己が神の子であるか疑い不安になったそうです。そういうところも含めて、彼はこの人を愛したのでしょうね……。

 最後にちょっと分からなかったのが、彼の仕込んだ信仰です。私が知る聖書において、彼は自ら命を絶ったところで終わっており、のちにダンテによって地獄の最下層で永遠の責め苦を受けておりました。

 彼の行動についてはそれも神の思し召し、救い主が地上に降臨するには必要な過程だったゆえ、そのように遣わされたとされています。この「遣わされた」部分が、彼が書き加えた部分なのかな……? ちょっと自信がありません、ごめんなさい。

 第三回こむら川小説大賞では、『明日天気になぁれっ!!!!』コメディ調の青春ファンタジーを書かれた作者さまですが、振り幅の広さもまた面白いです。

 旦那様、と卑屈な調子で呼びかけ、語り始める冒頭、良いですね……。

偽のお墓:今度は太宰の『駆込み訴え』オマージュ。いいですね。

 iはイスカリオテのユダのiですかね? iと言われると虚数がまず頭に浮かんでしまう……。綺麗なタイトルではあるのですが、そこのところが少し気になった私でした。

 ユダが単なる裏切り者ではなく、イエス・キリストに最も愛された重要性のある弟子であるとの見解は『ユダの福音書』を巡る与太話の中であったりしますが、それだけ新約聖書という物語の中で魅力的な人物とも言えます。

 『駆込み訴え』オマージュできゃっきゃしていましたが、思いもよらぬ方向へ舵を切っていく筆致、好きです。

 ちゃんと締めは本家を踏襲してるのもポイント高い。

 全能なる神に並ぼうとするのも、バベルの塔より、いや有史以来変わらぬ人間の姿。いいテーマの消化の仕方だったと思います。

 ただ、ここで語り部が神と肩を並べようとしたのは、救い主である人の子を愛したゆえ。語り部が成そうとしたことを語り、また死に向かうまでも単純に話としても面白く、興味深い。この内容であれば長さもちょうどよく、短編のスケールとしての構成がうまくいっていました。

 しっかり「神」の話でもありながら、高みにいる愛する者に並ぼうとした「人」の話でもあり、読みごたえあり。面白く読ませていただきましたー。

不在 辰井圭斗

偽の教授:神の不在証明(パーフェクトプラン)

 祈る神を持たない人間の、それ故の痛切な祈り。それがどれくらい痛切かというと、少なくとも私は最初に読んだとき本気で泣きそうになりました。本企画、第三回偽物川小説大賞において私を唸らせた作品はたくさんありましたが、泣かせそうになった作品はこれだけです(万一この講評を書いた後で他にもそういう作品が出てきたらこの講評は書き換えます。このまま発表されたとしたらつまりはそういうことです)。

 非常に短い掌編で、ストーリーらしいストーリー性はほとんど持っていないのですが、それでいてなお、小説としても優れた構造を持っていると私は判定します。『神というテーマに対するアンサー』として解釈した場合も、「一つの極致にある作品」。ありがとうございました。

偽の人食い:川系企画ではおなじみの名手、辰井さんの作品です。下限3000文字という短さながら、それを感じさせないあざやかな切れ味はいつもながらお見事。

 墜落寸前の飛行機という極限状況の中で、祈る神を持たない主人公はひどく淡々と落ち着いてます。走馬灯やモノローグで語られる思い出、隣席の篤信者との会話。

 それを顧みて自分は神を信じられない不心得者だと断じる主人公は、その姿勢自体が純粋で潔癖で、「神を信じない」という信仰を貫いているようにも見えました。

 それは無神論者の姿勢ではなく、この世には名前や形はどうであれ神という絶対者が存在し、自分はそれに心を傾ける資格がない、という「神は存在する、それゆえに、神にふさわしくない自分は信仰を捧げてはならない」という姿に思えました。

 彼は不信心者ではなく、求道者なのだと思います。クルアーンを原語で読み、ギリシア語で読み上げられる聖書に美しさを覚え、イザヤ書の一節を記憶している。それらが与えたものは、この末期において一つの導きになったのではないでしょうか。

 奇跡は起こらず、物理法則のなすがままにすべては進みゆく。そのことを悲しく思いながら、閉じていく物語を前にどうしようも出来ない。そんな悲しみを覚えながら、あなたの魂に平安あれ、とつぶやくのでした。

偽のお墓:神を取り巻くことばの、その美しさを感じる主人公目線の短編。聖書の言葉、クルアーンの言葉など、宗教の関係する美しい一篇を引用する、その筆致が美しいので説得力があります。

 語り手である彼の、神を取り巻く言葉に対する気持ちが読後に残り、祈りの意味を考えさせられました。

 神を信じることができない、神を信じる資格がない、祈れる神はいない、という心理から信仰を持たない人の話ですが、一人の人間として神に相対せんとする時としてむしろ最も誠実な態度かもしれません。これまでに祈れた神がいないのだから、最期の時も神にすがるようなことはしない、というのは頑なな態度ではあるけれど、ある種の突き詰めた潔癖さであって、描かれているのは語り手の最期の時だというのにその悲愴感を感じさせる部分はほとんどないのが印象的でした。

 信仰者とそうでない者には壁があると思っていて、それは信仰というものには本質的に根拠がないからです。

 しかしそうであっても、信仰からくる言葉や、そこからうまれた美というものは世界に確かに溢れていて、それは逆説的に、また現実的な、この世界にいる「神」の表現なのでしょう。そうした美の象徴として彼が思い出すのが、生涯で愛した彼女が雪の中を歩く姿である、というのも何か、心に訴えかけてくるものがありますね。

 これは彼の最期とは相容れぬ感想かもしれませんが、我々人は、人を通して神を見るのだろう、とこの作品を読み、感じ入ることができました。

吸血鬼のための新興宗教入門 富士普楽

偽の教授:週刊「宗教」(デアゴスティーニ的な)

 評議員の一人『偽の人食い』氏による作品。ですので、先にこれを書いておきますが大賞はじめ各賞の受賞の権利は一切ありません。なんですけど、はっきりいってこれかなりすごい作品です。評議会メンバーの作品であるという前提がなければ、賞レースでもかなりいいところまで行ったんじゃないかな、と思います。下手したら私が大賞に推す三作品の一つにも入り得たかもしれない。それだけの力はあります。

 まず、吸血鬼が自分たちの宗教を創る、という、その奇想だけで「やられた」っていう感があるんですよね。吸血鬼ものというのは一種のジャンルと言っていいくらい色々なものが書かれていますが、これ以上うまいギミックとしての利用の仕方はなかなかないでしょう。

 ただ、あえて難点を書いておくと、この作品は、あまりにも魅力的でありすぎるがゆえに、「もっと続きが読みたい」と思われされてしまうところがあります。2万字で着地する作品というよりは、12万字ある傑作の冒頭部分にあたる作品として見た方がいいんじゃないかなという印象、それが拭えないのです。玉が玉であるが故の瑕、とでもいうべきものですね。と、まあそんなところです。

偽の人食い:神がテーマなので、教祖とかカルトも面白いよねと書きました。

 架神恭介さんの『完全教祖マニュアル』、お勧めです。

偽のお墓:高校生吸血鬼ふたりの吸血鬼のための教祖マニュアル。吸血鬼と言っても“そういう人種”みたいな設定ですが、だからこそ独自の宗教が必要となってくるのだ、と主張し、新興宗教の教祖になろうとする見聞がいい味を出しています。

 神というテーマから、宗教という話題を書いた感じですね。

 見聞のキャラが魅力的。妹をなくしてしまった時の事件がもとで実家を勘当されている悲劇性も彼の魅力を引き立てますね。見聞の作ろうとする新興宗教同様、キャラデザインも計算されている。

 これまで歴史的に生き残った宗教をパクろうとか、新興宗教にありがちな営利主義に走らないようにしようとか、実用性を考えた形での宗教のライフハックを考え出している様が面白い。まだ考える余地があったり、そうは言っても信者が増えていけばまた考えることが増えるだろうというあたり、まさに“新興宗教入門”といった趣き。

 これで本当にうまくいくのだろうか? と思う中、最初の信者獲得のための勧誘描写で作品が終わるのが、今後の二人と吸血鬼のための宗教の行く末を気にならせるのも良い。

 本人は教祖にはならない、と言っていますが、それも計算の上だし、確実に宗教を拡大していく上でのカリスマ性はありますね、見聞くん……。

 続きが気になる! 信者獲得編、宗教拡大編、宗派分裂編とかと見てみたい。

猫の祟りと六代目 佐倉島こみかん

偽の教授:優しすぎるほど優しくても、やっぱり温かい

 とりあえず、これを書いている時点で私の中でエントリー作品中第一位で、おそらく間違いなく「大賞に推す三つの作品」の一つに選ぶであろう作品です。ただ、講評書くのはちょっと大変です。何が大変かというと、誉めるところしかなくて、逆に書くことがあまりないからです。

 いや、ほんといいですよね。結婚詐欺とか出ては来るけど、暴力とかも出ては来るんだけど、それでもなんていうかこの、優しい世界と優しいキャラクターたちが織り成して作り上げる世界の、本当になんと温かいことか。

 あと何書きましょうかね。まあ、あれです。やっぱり、二万字スケールで綺麗に収まってるというのがとてもよいです。「続きを読みたくなるすごさ」というのと、「二万字の良いものに触れさせてもらったと満足するすごさ」というのがあるんですが、この作品は後者でした。ほぼ完璧。

偽の人食い:ドロドロと重すぎず、爽やかな男女の恋愛を書かれるのが得意な(※人食い調べ)佐倉島さんの作品です。なんというか、結ばれるべくして結ばれる二人というか、温かい気持ちで見守りたくなる男女が描かれるんですよね。

 化け猫といえば七代祟る、だが六代目の主人公が末代になりそうなので、化け猫のおタマさまが主人公の恋愛を後押しする……という発想がまず鮮やか。

 ちょっと妖怪などに詳しければ広く知られているだろう化け猫伝説を、このようにコミカルにアレンジするのは座布団一枚! そして、「本来なら憎々しい関係のはずの祟るものと祟られるものが、なんだかんだ仲良くなる」過程についても、本作はなあなあでは済ませず、「おタマさまはなぜ化け猫になったのか」を踏まえて解き明かしており、丁寧で隙がありません。猫大好きなので人食いは泣けてきました。

「化け猫なので普通の猫が食べちゃダメなもの(チョコレートなど)もOK」という細やかな設定もニヤリとします。普通の猫ちゃんに西京焼きは塩分過多だろうし。

 発想の良さと、それに甘えず丁寧に構成されたストーリー、そして見事な大団円。非常に気持ちの良い作品でした。欲を言えば、この内容を一年分の中長編でじっくり見たかった気持ちもあります……。とっても温かい作品、ごちそうさまでした。

偽のお墓:めちゃくちゃ面白かったです──!

 こちらで書かれる神は「祟り神」。先祖が殺した猫が、主人公の家を七代祟るというおタマ様という猫の祟り神のお話ですが、この祟り神、めっちゃ面倒見がよい。

 祟り先であるはずの伊織の世話を焼く祟り神、というのがまず新鮮で引き込まれます。このアイデアだけで滅茶苦茶エンタメとして面白いんですよ。小説、キャッチーで興味を引く設定と、その設定に沿った物語がお出しされるだけで圧倒的“勝ち”なので。

 祟り神、お節介焼きのお祖母ちゃんみたいなおタマ様のキャラも、ポジティブな天然娘である祟り先の伊織のキャラ、どちらともが良い味を出しています。いいコンビ。

 話もポンポン進むしめちゃくちゃ読みやすい。読んでいて楽しいんですよね。

 キャラクターがよく動き、楽しいというだけではなく「なぜおタマ様は祟り神となったのか?」という謎も本作の軸をつくっていて、これがまた悲しいお話で胸を打つ……。

 二万字スケールの短編としても理想的なストーリー配分で文句なし。それでいてこの二人のコンビで、もっと読みたいと思わせるキャラの魅力にも溢れた、極上のエンタメ短編小説となっていました。あえて言うなら、そういう「もっと読みたい」、悪く言うと「エピソードが物足りない」のが欠点でしょうか。これは二万字にほぼギリギリに収めている本作に対していうには、だいぶイチャモンではありますが笑。

とても楽しく読ませていただきましたー!

  草食った

偽の教授:美しいまでの残酷さ

 この講評のタイトルですが、最初「美しいまでの残酷さ(草さんだけに)」と書いたのをやっぱりやめました。はい。

 最初にこの話をしたいんですが、これ、語り手であるベリスの性別、明示されていないような気がするんですけれど意図的にそういう風に、つまりはどちらとも解釈が可能なように書かれているんですよね?もしも違ってたらごめんなさい。見落としてないよね、多分?

 さて、内容について触れていきましょう。神の花嫁と呼ばれる盲目のヒロインと、希望のない逃避行をして、そして失敗する話ですね。作品世界に通底して流れるひやりとした世界観がとても私好みです。そして、救いの欠片もない、そしてそれ故にいかにもこの作者様らしい落ちの落とし方。そして、これがこうなるこれで、タイトルをシンプルに『靴』と置くその透徹したテクニック。良いです。故にタイトルで『美しいまでの残酷さ』と申し上げた次第です。

偽の人食い:美しく残酷で、それでいてドライ。このサラサラと乾いた感じが、草さんの味だな……という一編。「身障者が身を寄せ合う村」という舞台設定がなかなか厄いものの、うまいこと突っこみすぎず二人の逃避行や、ヒロイン・レオノールとのやり取りに終始するバランス感覚がさすがでした。私だったら、神に仕えるものは目印として体の一部を欠損させられたとか、やくたいもない話を入れちゃいそうな所です。

「神の花嫁」であるレオノールは純真無垢そのもので、彼女の美しさや言動そのものは、おとぎ話のお姫様のようにキラキラしています。

 ナマの生きた人間と言うよりは、銀とガラスの人形のよう。

 でもそれは非人間的だとか、血肉の通わないキャラクターとう意味ではなく、「非現実的なまでに無垢な、しかし生きた人間」として作中で動いています。

 それを更に補助しているのが、現実のままならなさ、ろくでもなさを背負い、彼女を連れ出した主人公ベリス。

 最初から破滅が見えている逃避行に、それでも身を投げ出してしまいたくなる美しい人。旅の終わりに残ったのはただ靴だけ。

 純粋な善意や賛美歌のような愛ではない、だが人の血のぬくもりをもったささやかな願い。それが神の作った世界の、ただそうあるべしという力学のままに壊される。

 主人公自身が何の瑕疵もない善人ではなかったとはいえ……このしんしんとした冷徹さの向こうに、青みがかかった静かな世界が見えるような作品でした。

偽のお墓:障碍者が身を寄せ合う村のお話。

 そこにいる「神の花嫁」と呼ばれるレオノールと、村に匿われたベリスが、互いを愛した故の、村からの逃避行を書いた悲劇ですが、文章が魅せるんですよね。

 物語の悲哀さと、それを語る文章を書かせたら一品の作者様だと思っていて、今回もそれが発揮されていました。

 社会に障害のあるものに施しを与えるのは、神の御業の体現だったり、単純にそれができる優越感だったりして、古今東西のテーマだったりします。障害を神からの罰だと見たり、逆に神からの授かりものだと見たり、人は自分ではいかんともしがたいことの原因を神にゆだねてきた、という一つの例。

 とまあ、そんな連想もあり。このお話を最初は、神というよりは耳の聞こえない人を神聖で美しい者とする宗教の、その信仰からうまれた悲劇として読みましたが、よく考えてみるとレオノールが「神の花嫁」と呼ばれる由縁を考えると、この作品で描かれたのは、神という存在に箱庭で囲われた人間の寓話としても読めるのかもしれない、と思いました。

 そう考えると『靴』という題名もなかなかに印象が更に深まる。

 靴は外を歩くことの象徴と言えますし、その靴が脱げた様がペリスの見た最後のレオノールの物であるのは、愛する人を連れ出したかったのに連れだせなかった後悔を表すだけではなく、神である土地の主の庇護下ではない場所へレオノールが出ようとして出られなかった神の檻を出ようとした罪の象徴である、と……。まあ考えすぎなのですが。

 そんな風に色々な思考に思いを巡らせるほどに、美しい筆致で描かれた小説でした。


まいごのまいごのユースティア  繕光橋 加 (ぜんこうばし くわう)


偽の教授:メルヘンとファンタジーのはざまで

 寓話的で、かつ哲学的な話。かなり雰囲気としては好きです。第一話目の、ひらがなが一気に襲ってくるやつがそのまま続いたらどうしようかとは思ったけど、別にそんなことはなかったし。

 ただ、個人的にちょっと、「ん?」ってなったのが、落ち、ですね。この結末にしたことが間違いだとか正しくないとか言うつもりはありませんが、少なくとも自分だったらこういう結末にはしないかな、とだけは思いました。そんなところでしょうか。

偽の人食い:さてはて、これはどうしたものか。「はじめに」に書いてあることを読むと、講評する側としてはどう書いたものかなとけっこう悩んでしまいます。

 病弱な少女のユースティアは、両親からの「おつかい」で、しゃべるお手紙「ガイドさん」をお供に、地下深くへと降りていく。そこで出会う三人の妖精は、それぞれ正義の話をしていて……というストーリー。

 本作を開いてまず驚くのは、1F:いりぐちが完全に児童向けのやわらかな文体で書かれているところです。他作品を見ると、元々そちらの道を志しておられる方のようですね。この調子で全編続くのかな? と少し期待したのですが、ガイドさんが登場すると文体が変わります。

 その新しい文体でも、海外児童文学か何かの翻訳のような独特の語り口です、なんだか挿し絵に描かれるユースティアの姿が思い浮かぶようでした。絵画で繊細に描かれた、頬がぷっくりした白人の女の子、そんなイメージです。

 こうした児童文学として読むのは大変面白かったのですが、やはり私は「はじめに」に書かれていることがどうしても引っかかりました。作者さまは一体何を危惧されているのだろう? そんなにおかしな、過激なことを言っていない気がするけれど、それを語ることが間違いなのだろうか?」と。

 ですからこの講評は、実は全作で一番最後に書いています。それほどにずっと悩んでいました。ガイドさんが解説してくれた、妖精の正義論などは好きなのですが。

 結論としては「語り得ないものには沈黙するしかない」です。

偽のお墓:本作はまず、ひらがなで書かれた、子供向けの童話の体で物語が始まります。

 しかし、話を重ねるにつれてだんだんと文体が変化していき、最期には文学的な文章にまでその文体を変貌させながら物語が進むという構造。

 下手をすると、本当にただわかりにくかったり、鼻につくタイプの作品になりかねない手法だと思うのですが、そうした懸念はかなり回避はされているように思います。言葉をしっかりと選んだのであろう推敲の跡を伺える。

 全体を通しては正義を巡る寓話であり、思想小説・観念小説としての性格を持つ本作ですが、話の大筋としては、主人公ユスティアが両親に言われるがままにらせん階段をくだり、正義についての観念を学びながら、最後には自らの判断で両親のもとへと戻る、という成長物語として読むことができ、物語としての形も意外としっかり意識しているように思います。

 作者自身がキャプションと近況ノートである程度の解説をしていましたが、主人公ユスティアは正義の女神であるユスティティアの名を冠する少女で、彼女が作中で出会う妖精たちも、ユスティティアの持つ装飾品を由来としたものだとのこと。

 松明は自由の女神像の印象があるのですが、正義の女神の持つものでもあるんですね。確かに、光は先行きを照らしてくれるし、作中でもユスティアに正義というテーマについての思索を深めさせたのも、たいまつの妖精のしたことでした。

 正義というものに対してかなり直接的な思索を強いる作品であるため「はじめに」の形で作者からのことわりが入っていますが、悪くはない試みだったように思います。

 ただ、僕個人の意見としてはあまりに直接的な思索への比喩だけを小説で行おうとするのは、現代においてどれだけの意味があるのか、みたいなことは思いますね。正義というものへの思索といえば、アメコミなども得意とするところであり、エンタメという形で思索を促し、啓蒙しようとする作家も世に大勢いますから。

 強いて言うなら、このシナリオがそのまま使用させるためには、ゲームだったり、絵本だったり、別のエンタメ性を付与した媒体の方が良い、と思ったり。そういう試みをしているインディーズゲームも結構あったりするものですしね。故に、面白い作品だとは思いつつ、これを現代において「小説」という媒体で発表するだけでは、片手落ちを感じるというのが所感です。いや、好きなことやりゃいいんですけどね、Web小説は!

 と、長くなりましたが、物語としても面白く、文章も手堅く読みやすくて、興味深く読ませていただきました。

逆十字時定、抜刀 ポストマン

【注】本作品は締切前に削除された為、エントリーナンバー15番は欠番です

 はい。書いた通りなのですが、三人とも講評を書いてしまっており、そして読んでいた読者の方もおられようかと思いますので、その講評の内容については、2021年11月6日にTwitterの「トーク」機能を用いて行われます『第三回偽物川小説大賞座談会』において発表いたします。別途、主催者のツイッターアカウントをご参照ください。なお、その機を逃された場合は、おそらくもう発表される機会はないかと思いますのであしからず。

ハデス・スキャンダル 伏見七尾

偽の教授:おお冥王よ 至高なる者の強き集いの内に

 リメイクというか翻案というか、リボーン・オブ・ギリシャ神話っていう趣の作品。

 私ですね、一応歴史・時代小説書きのはしくれを自称しているんですが、時代小説というものの書き方について一つの思想があるんですよ。前にツイッターで書いた話なんですけど再掲します。「徹底的に『事実』に忠実にストーリーを構築して、そのうえでなおかつそこに『人間の魂の力動』のダイナミズムを描写する。わたしは、これ歴史小説の神髄の一つだと思ってます」。まあ、私の私論ですけどね。

 で、本作品ですが、ベースは神話なんで歴史ではないし、人間ではなく神様の話ですが、しかしこの私の思想に通底するものがあると思うんですね。つまり、もともとあるギリシャ神話の枠組みはちゃんと尊重して、その中でキャラクターを動かして、それでなおかつすごくダイナミックにキャラクターを動かせている。これって本当に素晴らしいことだと思うんですよ。高得点です。

偽の人食い:初参加の伏見さんの作品はギリシャ神話。冥王ハデスが豊穣神デーメーテールの娘・コレー(ペルセポネー)をさらい、地上に季節が生まれる顛末です。

 ハデスは神話の中でも出番が少なく、偉いんだけれど影が薄いというか、情報が少ない神さま。そのぶん謎めいてミステリアスな所もあり、色々解釈の余地があります。個人的な話ですが、人食いの推しギリシャ神ですね。

 ハデスはディズニーの映画など悪役扱いされることも多いのですが、本作はフラットな真面目でちょっと陰気で物静かな男性という描写。

 一方、コレー/ペルセポネーのキャラクター解釈が斬新です。

 さらわれる良家のお嬢さま……というか弱い姿が、私のこれまでペルセポネーに抱いていたイメージですが、本作はまるで真逆。

 自分の可愛さに自信満々で、花が咲いていないことを生意気! と言い出すいっそ傲慢な娘。でもニュンペーたちが不当に罰されそうになったらちゃんとかばうという善良さもある……かなり愉快な女子です。

 過保護な母親にうんざりし、誘拐された先で冥界生活をエンジョイする様は見ていて微笑ましいのですが、同時に「過保護な母親から〝自分は自分、母は母〟と独立していく少女」の姿でもあるのが物語に深みを与えています。

 原典となる神話同様、最後はペルセポネーが定期的に実家帰りすることで事態は落ち着くので、「独立の物語」としてはやや弱くなる気もしますが、ここはデーメーテール側の「子離れのできなさ」の現れでもあるので、仕方が無いかなという気がします(それ以前に、神話そのものがなぜ冬があり春か来るのか、というエピソードなので、そこもまたしょうがない。いつだってとばっちりを受けるのは人間よ)。

 あと伏見さんは百合もけっこう書かれている方なんですが、本作はがっちりハデペルという男女カップルで、そのへんもしっかり力を入れておられましたね。

 ザクロ、私が知っている神話だとお土産に持たされて、家に帰る道中で食べたという話だったと思うのですが、こうアレンジしてくるとは!

 話の筋自体は原典をしっかりなぞりながら、ヘラの話は絶対やめてほしいアルテミス、恐るべき女主人ヘラ、クソ野郎度の高いゼウス、悪友コンビのヘルメスとアポロンと、神々のキャラ付けも楽しい作品。あと犬可愛いですね。

 ステュクス川の誓いなど、細かな所までギリシャ要素で固められており、大変面白く読ませていただきました!

偽のお墓:ギリシャ神話きっての不遇者にして愛妻家と名高い(?)ハデスとペルセポネーの逸話をもとにした作品。

 戯曲リスペクトとか、文学オマージュとか色々ありましたけど、神話を原案にして素直に下敷きに描いている作品は逆に珍しかったですね。

 内容めちゃくちゃ面白いんですよ。後のペルセポネー、コレーのパワフルな性格だけでなく、ギリシャ神話ネタでちょいちょい笑いも提供してくれて、フィクションとしてのパワーが強い。いやー、めちゃくちゃ良かったですね。面白い。

 本作を読んでペルセポネーのイメージが一新されましたね。元々ハデスを尻に敷いているイメージとかはあったんですが、こんな解釈があったとは!笑

 テンポよく物語が進み、ハッピーエンド! これは強い。

 ハデスの奥ゆかしさも、コレーの天真爛漫さも、外しちゃならないゼウスのどうしようもなさも、作中の登場人物(登場神物?)が皆生き生きしているのも、読んでいて楽しい要因の一つ。というか、作者自身が楽しんで書いてるんだろうなーと思わせてくれるので、読み手としてもそれに乗っていける気がしました。

 とても楽しく笑える作品でした。

ラヴィネの海戦 ラーさん

偽の教授:過ぎたるが及ばざるに遥かに劣ることもある

 前回にあたる第二回偽物川小説大賞の大賞受賞者、ラーさん氏の再参戦です。どうでもいいことから話を始めますが、たぶん川系の小説大賞で、「連覇」って一例もないですよね、確か。まあ本当にどうでもいい話ですが。

 さて、作品の内容についてですが、最初に端的に言いましょう。私はこの作品、駄目だと思います。かなり駄目です。お茶を濁して適当なことを書いてもいいんですが、前回大会覇者に対する敬意として、あえてダメ出しをさせていただきます。

 さて、なぜ駄目か。下手だから、ではありません。逆です。この小説は、「上手すぎる」のです。文章力、という点で見れば、ラーさん氏の力量はおそらく「日本語話者全体の中で見たときに」かなり上位につける、そういう水準にあられるでしょう。でも、そのせいでこの作品はかえって駄目になってるんです。

 喩え話で言います。仮に、アンブロシアという名前の、非常に稀少な、神々の珍重する調味料が存在するとしましょう。アンブロシアを上手に使えば、人間が食べても美味しい料理ができます。ですが、アンブロシアを入れすぎるとどうなるか?それは人間の食べ物の範疇を逸脱してしまうのです。この作品の失敗というのは、そういう性質のものだと思います。

 あともう一点。テーマの選定、海戦、というネタの引っ張り方もよくなかったです。群像劇的な感じになっているせいで、ただでさえアンブロシアの効きすぎなのが、さらにどうしようもなく煮詰まってしまってるんですね。やっぱ、これは受け売りですが、短編は2,3人のキャラクターが真ん中でピリッと話を引き締めないと駄目ですよ。私はそう思います。

偽の人食い:この人の引き出しはいくつあるんだ!? 第三回こむら川小説大賞で、見事受賞されたラーさんさん。第二回偽物川小説大賞の『コーム・レーメ』が大好きなのですが、再び「架空の世界の歴史にまつわる物語」での参戦です。

 コーム・レーメは歴史という大きなうねりの中で出会った、ある女性たちのお話でしたが、舞台となる国家の歴史も非常に精緻なものでした。今作はその強みを最大にいかした戦記物・群像劇なのですが、舌を巻くのは世界観の完成度――、

 それ以上に、情報の整理と管理能力の高さです!

 たった二万文字の中に、大量の人物とその思惑、さまざまな作中の歴史事項があるのに、ほとんどつっかえることなくスルスルと飲みこめてしまう。

 これは個人差もあるとは思いますが、作者が世界観の隅々までを把握し、きちんと全体を見通して微調整しなければ、こうもスッキリと分かりやすく、かつ全体が有機的につながった作品には仕上がらないはずです。

 なんというか、複雑怪奇なパズルがみるみる組み立てられるのを見るような驚きがありました。そして、そのような器用さ一芸というわけではなく、血の通ったドラマもまた存在するから凄まじい。

 それにしても、気がかりなのはルイのその後ですね……。

偽のお墓:架空の歴史戦記を描いた作品。本来、このラヴィネの海戦だけでハードカバー小説1冊分は書けるくらいの濃厚な世界設定のお話だと思うのですが、それを短編としてギュッと詰めているものだから物語としての濃度が濃い。ただ設定の羅列をしているわけじゃなくて、戦記物としての凝縮がすごいから、全体的な密度バランスが良いです。2万字に収めたとは思えない濃さ。濃さの話しかしてねえ。でもそう感じるくらいに物理で殴られてきた気がしました。

 ベースとなっているのが、イスラームっぽい文化なのも、物語の魅力を底上げしている。架空戦記ではありますが、この世界に存在する教典の引用など、歴史ものとしての説得力の生みだし方が堂に入っているのも好きなところです。

 すらすら読めてはしまったけれど、やはり情報量の多さから時折目が滑ってしまうところはありましたかね。これは今回の場合、しょうがないことのようには思いますが。あと一つ、登場人物のキャラクターに印象の残る何かがほしかったかも。

 それでも、物語としての読み応えは今回の第三回偽物川小説大賞作品の中でも随一と言っていいでしょう。

神代の朝の秘密 一志鴎

偽の教授:それは神がまだ人と共に在った時代

 神話ですね。カテゴリ『童話』で、タグも童話と打ってあり、そして確かに童話調なので童話といえば童話ですが、同時にまた神話です。多神教ベースの創世説話になっていて、西アフリカのドドンドンゴ族に伝わる古い創世神話である、とかなんとか言われたら真に受けて信じてしまいそうなくらいの確かな手触りがある、力作です。かなり好きです。小説作品として評価しても、そして『神というテーマに対するアンサー』として見ても、いずれも高水準にまとめられた作品であると言うことができるでしょう。

 ただちょっと悩むのは、おおどろぼうジルノワ、という存在の解釈の難しさです。ものすごく深い意図が込められているのか、それとも設定投げっぱなしになっているのか、読んだだけでは判じかねるところがちょっとあります。まあ、いかにも童話っぽくて、話としてはいい感じではあるのですが。

偽の人食い:どうやって朝というものが生まれたのか、という創作神話小説。

 詩・童話その他というジャンルにふさわしく、常識的な感覚をぶっ飛ばすファンタジーの世界が、いかにも神話らしい味わいです。

 個人的に、「一日」が出来たけれど「時間」はまだ出来ていません、とは衝撃的でしたが、確かに太陽が昇って沈んで一日の区切りが出来ても、それ以上を区切らないと「24時間」なんて枠組みは発生しませんものね……その発想に乾杯です。

 ニャカーラは妖精や精霊のようなものと解しましたが、はたしてジルノワは何者だったのかは謎のまま。これが神話であれば、彼は多くの神話に見られる「トリックスター」というものなのでしょう。

偽のお墓:創世神話です。

 「神」というテーマで皆何を書いてくるかなーとわくわくして色々な作品を妄想していたのですが、これは私にとっては意外にも盲点でした。

 けれども、神話そのものを直接的に描いてしまうというのは「神」というテーマで描くにはかなり有効な手で、感心しました。なるほどなー。

 元の神話があって、それを児童書に翻訳したかのようにした趣きの作品です。冒頭も、お話を聞いている子供たちに語り掛けているかのようなスタイル。単純に神話を描くよりもいいアプローチだ……。宮沢賢治の童話みたいで、それもまた好きな要素です。

 頭をかいて神がうまれるのもそれっぽくていい。古事記とかを連想する。

 朝さえも盗んでしまったジルノワ。私たちはジルノワに大切なものを盗まれないように気を付けたいものです、なんて、子供たちに対する教訓話としても働いているや。隙がない。ジルノワは結局なんなのか? それが最後までわからないのもガチ神話っぽいんですよね。

 とっても面白いものを読ませていただきました。ありがとうございます。

台風の日に ハクセキレイ

偽の教授:神なるもの、魔なるもの、人なるもの

 内容と関係ないところから話を初めて申し訳ありませんが、解説文によると「ROM専でしたが、Twitterで偽教授さんが楽しそうに創作しているので釣られて書き始めましたー。」とのことです。ありがとうございます。それはかなり割と超嬉しいです。

 で、そうおっしゃるくらいですから小説をさほど書き慣れていないのだなということは分かる作品ではあるのですが、それにしてはけっこうよく書けているし、内容にも味があって悪くなかったです。

 最初、「この老人が神である」という予測を立てて読んでいったのですが、そこを裏切ってくるのも、演出として割と小憎くてよかったと思います。『神というテーマへのアンサー』としては決してまあ強くはありませんが、もちろんレギュレーションは満たしておりますので、問題はありません。けっこう素質はあると思いますので、よければぜひ今後も小説を書き続けられては如何かと思います。

偽の人食い:初めてプロットを組んで書いた小説とのことですが、初心者とは思えぬ完成度の一編。な、なんて恐ろしい! 個人的に、ジャンルは現代ドラマと言うよりホラーかな? という感じでしたが、まあそこは個人の趣味ですね。

 読み終えて「そういえば主人公の心情描写がまったくなかった」と気がついた時、膝を打ちました。彼が「語りすぎる」のも、謎の老人の力があるのだろうと思え、よく出来ているなとうなずく次第です。

 落ちを知ってから読み返すと、「この話を語っていた時、主人公は本当は何を思い、何を感じていたんだろう?」と、ぞぞぞっとしますね。

 そして彼が語ったここへ至るまでの来歴、周囲から見たその姿は……と薄ら寒い思いでいっぱいになります。素敵などんでん返し、ごちそうさまでした。

偽のお墓:台風の日、駅のホームに佇む一人の男と彼に話し掛ける老人の問答。

 二人の問答を軸に話が進むのと、各話ごとに冒頭で状況説明をしてからの台詞劇というのが、舞台脚本っぽい雰囲気を醸し出している。男が過去を話す時には男にスポットライトが当たってモノローグをしている感じ。

 男の語る自身の過去には騙りがあるから、それが悪い印象を与えることもなく、むしろ男と老人の二人のみに読者の目を注視させることにつながっていて読みやすいですね。意図してというよりは結果的にそうなったようにも思いますが、面白い筆致です。それが叙述トリックとしても作用しているわけで、うまく使えば武器になりそう。

 老人は神とも悪魔とも言える謎めいた存在である、というのが余計に戯曲っぽいなあ、なんて感じたりもしました。良いです。

 飛び込み自殺をしようとしていた男は老人との会話の末についにホームから線路に降りることはなく、電車を待ち続けるという、なんとも言えない形で作品は終わりますが、このなんとも言えなさもこの作品にとっては特長でしょうね。なかなかに興味深いものを読ませていただきました。

夏の終わり 常盤しのぶ

偽の教授:8を横にすると∞になるという種類の理屈

 エンドレスエイトだ!(いい意味で)えーと、先に言っておきますが、某アニメの話は当たり障りがあるのでしません。永遠に続く八月三十一日という概念の中にいる、名も知られることのない神。

 なかなかの変化球です。野球のルールに即してストライクかボールかで言えば多分ボクシングで言うところのラビットパンチなんですけど、それはそれとして面白かった。

「多神教的な神」といえばまあそうなんですけど、ギリシャ神話に見られるような人間に近い神とはまったく違う、どっちかといえば妖怪の上位存在であるところの神みたいな雰囲気の、馬鹿げているんだけどどこか物悲しくもある、そういう印象でしたね。

 ただ、ネタ的にはもうちょっと字数を膨らませる余地がまだあったんじゃないかな、という気持ちはあります。せっかく面白い設定があるのですから。

偽の人食い:キャッチコピーを読んで「それはズルくなぁい!?」と思って開いたら、また予想外の始まりをして「それはズルくなぁい!?」と思いつつ読んでいくと、切ない落ちがついて「それはズルぅい……」となった次第。

 主催者さまのピックアップ企画を読んで「夏野オワリ」のことをやっと思い出したポンコツ評議員、節穴を謹んでお詫び致します。

 ちなみに西洋魔術の世界では、季節・月・曜日はおろか時間の一つ一つにまで守護天使がずらりと設定されているそうです。だから、この神さまのような存在も、どこかで本当に伝承されているかもしれませんね。

 ちなみに作中で蝉食べるのかなと期待していたので、ちょっと残念です。ちぇ。昆虫の中では美味なほうらしいですよ? 食べたことないけど。

偽のお墓:冒頭からの勢いのある掴みよ。

 日付を司る神様の話です。まさかの切り口だ。そういうのもあったかあ。一つの権能しか持たない一柱の神の悲哀、みたいなものも確かに言われてみたら神の描写として定番ではありますよね。

 発端は夏野オワリ概念という、Twitterの与太ですが、そんなことは知ろうが知るまいが関係なく、ひと夏の切なく淡いボーイミーツガールとしての読み味になっているのがすごい。夏の楽しさと、そこはかとなく切なさがそこにあって、なるほど夏の終わりってこういう概念ですよね、としみじみしちゃう。

 やっていることはギャグっぽい勢いなのに切ないっての、最強なんですよね。空知英秋とかがやるやつ。大好きです。

 日記に書いてみても、やっぱり記憶にはとどめておけなかったタケル。こうして皆ひと夏のことを忘れていくのだろうと悲しみを感じながらも、こういう神様が色々な日に、色々なところにいて、それを忘れていくことで人は成長していくのかもしれないなあ、なんてことを思いました。

グリゴリ・シンギュラリティ 宮塚恵一

偽の教授:サイエンス・フィクション。

 評議員の一人『偽のお墓』氏による作品。ですので、また先にこれを書いておきますが大賞はじめ各賞の受賞の権利は一切ありません。

 さて、本作品はSFです。みっちりぎっちりみちみち、はち切れそうなくらい二万字いっぱいに書かれたハードなSF。本作品の印象としては「重厚、かつ粗削り」という感じがします。執筆字数そのものは二万字スケールに収まってはいるけど、エッジがあちこちに飛び出していて、そこに収まりきっていない。そんな感じですね。

「感覚器官などを共有している敵」「その首魁の名前がアカシックレコード」とか、なかなか外連味にあふれていて、ワクワクさせられるものがありました。

偽の人食い:ハードボイルドな作風に定評のある宮塚さん、今回もSFとバトルの作品での参戦です。あとタイトルが格好良いですね、グリゴリと言えば堕天使版プロメテウスのような存在。天使系の中でもかなり浪漫を感じるやつです。

(年代によっては〝エグリゴリ〟の名で覚えておられる方も多いでしょう。そう「力が欲しければくれてやる!」の元ネタ『ARMS』です)

 各話タイトルも非常にクールでセンスを感じます。これだけでも読みたくなってしまう……神のごとき声を「クローム・ジャックドー(黒丸烏)」と名付けるセンスよ……嫉妬すら覚えるぜ……。とか言っていたら、いきなりビキニアーマーの女戦士が出てくるので、脳がぐわんぐわん揺れましたが。

 クローム・ジャックドーをあくまで神と認めず、クリスチャンである己の信仰を貫く主人公イザイア。彼の決断と、シンギュラリティを通過した先に起こるもの。切なくも荘厳な新たな序章と一つの結末、堪能いたしました。

偽のお墓:人工知能という新たな神と、人類を悠久の時より見守る存在としての神と、人のため神になる人間、という向きでのお話でした。

ミッシングリンク ももも

偽の教授:見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝となった。第六日目である。

 読み終えた瞬間に真っ先に思ったことは、『ズルい』ってことでした。次に思ったのは、『トラックだ』ということでした。川系恒例、トラックという名の概念。それはすべてを轢殺し、すべてを踏みにじる。来た。ついに来た。22本目にして。

 さて。まず、何がズルいのか書きましょう。それは、この作品の登録カテゴリが「詩・童話・その他」になっている、ということです。この作品は詩ではないし、明らかに童話でもありません。従って、「その他」とされているということですが。ネタばらし的なことを言えば、本来この作品は「歴史・時代・伝奇」にカテゴライズされるべきでしょう。何故なら、実在の進化論提唱者の一人、ロバート・チェンバーズを主役に取り上げた作品だからです。

 でも、最初の方から読んでいくと、それは最後の方まで分からない構造になっています。むしろ、「これは本当に地球を舞台にした作品なのか?もしかして地球に似た異世界なのか?」と、誤誘導すらされてしまう。意図的なミスディレクションによるものである、と私は判断します。恐ろしい妙手です。で、最後に、これは「ダーウィン以前の進化論を取り扱った(割と難解な、しかし神というテーマに真正面から挑んだ)作品だったのだ」と分かる。そういう構成ですね。

 トラックというのは、作品がすごいのもそうですが、もう一つに、これは『神殺しの物語』である、というのがあります。私も自作『神を撃つ銃弾』で神殺しを扱う話をやりましたが、次元が違いました。一本取られた、ではなく、一本負けです。私の完敗ですね。正直、悔しい。

 22本目、10月23日に投下されたこの作品を読んだ時点で、とりあえず、『私が大賞に推す三本』の顔ぶれが大きく入れ替わりました。そういう、重要な位置づけにある作品です。

 さて、さらにここで内容について掘り下げて語っていきたいと思います。神が生物を創造したのではなかったのか。生物の進化は、神の不在の証拠ではないのか。そういう疑問、問題、思想的対立、確かにキリスト教の思想史に存在しております。

 わたし個人の信じるところについて簡単に考えを言わせてもらえば、わたし自身は「旧約聖書にはああ書いてあるが、実際には神は生物を『進化するもの』としてお創りになったのだ」と見做すことで内心のバランスを取っており、この考え方をするキリスト教徒は日本人のキリスト教徒の中には多いんじゃないかとは思います。

 ただ、ダーウィンその他の人々の進化論が、キリスト教の威信を深く傷つけたという歴史があった、ということもまた事実です。故にこれが『神殺しの物語』であると言う次第であります。こんなところでしょうか。

偽の人食い:第三回中間ピックアップ選出おめでとうございます。〝トラック〟と評されていたのでハードルを上げて読んだのですが、うならされる一本でした。

 まず作品タグの「神」「化石」「サメ」という並びに首を傾げたのですけれど、それがこのようにつながるとは……。

 作中で登場人物が語る恐怖と「暗黒の世界」は、現代の私たちにとってはごくごく常識的なことで、キリスト教圏の考え方などに馴染みのない方には共感しづらい部分があるかもしれません。

 しかし、この「常識の大きなギャップ」こそ、本作が書きだしている「神」たるもの。人の常識の基準となる大いなる前提と言えるのではないでしょうか。

「神」という題材に対し、この発想と着眼点がまず素晴らしいのですが、さらには落ちの着け方があまりに綺麗で快哉をあげてしまいました。

 また、当初の物語展開は恩師の死の謎を紐解くというミステリー展開なのも良かったですね。個人的な話なのですが、直前までアドベンチャーゲームをやっていたので、探索するときのワクワク感でもって楽しめました。

 テーマ、エンタメ、歴史と多層的な面白さを持った作品です。

偽のお墓:作品の最後の方ではっきりと明かされますが舞台は19世紀。

 まだ科学と宗教の対立という概念が現代ほどにはっきりしていなかった頃のお話。

 最初の方はこれは確実に意図して設定が伏せられていたのもあり、手探りで読んでいきましたが、文章としての読みやすさが段違いで、その手探り状態すら楽しみながら読み進めることができました。そうして読み進めてくると、主人公の先生の自殺の謎も出てきて、ミステリーとしても引き込まれるという構造。これは職人芸。

 タイトルは思っていたよりも直接的な意味で、科学ミステリーとしてもわくわくして読むことができました。

 化石はノアの箱舟の大洪水の際に逃げ切れなかった動物のもの、というのは初期の地質学で語られた学説ですが、今でも大真面目にそれを説こうとしている人たちがいますね。私は現代に残るこのインテリジェンスデザイン論というやつが大嫌いだったりするのですが、話が逸れるので今は置いておきます。

 真相が明かされてから「神の居場所はどこにある?」と語る、ある登場人物とっ主人公の問答は、ダン・ブラウンのラングトン教授と犯人との会話を思わせる重厚さでした。

 神というテーマをこういう形で消化してきたのは作者の誠実さを感じるのも好印象。

 スリルとサスペンス、そして歴史が交差する極上のエンタメ小説だというのに短編としての完成度も高い。エピローグにあたる第9話の内容もよく考えられていて、読み終えた後に科学と歴史に思いをはせられる、とても面白い作品でした。

地球の最後は月の夜 おなかヒヱル

偽の教授:滅びが始まる。刻が見える。

 一行目が強いです。「あした地球が滅ぶというから東京に来た。」この文字数にしては情報量も多いし、何よりパンチ力が高い。小説の読者は最初の一文で読むのを止めてしまうから云々、なんて話をするつもりはないですが、それにしてもまあ最初の一文が強い小説は概して強い傾向があるので、強いのはいいですね。

 さて、この最初の一文からいろんなことが分かります。地球は滅びを迎えつつある。舞台は東京である。そして語り手は、東京に外から来た何者かである、ということ。語り手が何者であるかはちょっと先まで説明がないわけですが、全部読み終えたあとの感想としては、けっこう好きな雰囲気の作品だな、と思いました。

 なんていうか、これを書いた作者の方のバックボーンを知っているわけではないんですが、「若さ」のようなものを感じました。実際に年齢がお若いのかどうかは知りませんが、魂に若さが宿っている。そんな感じの感想ですね。よいものを読ませていただきました。

偽の人食い:出だしから人類滅亡、世界は終わる! とパンチをきかせてくるSF短編です。

「ハインライン号」というネーミング、『月は無慈悲な夜の女王』とどことなく語呂が似たタイトル、世界初のロボット小説『エル・ウー・エル』を思わせる人類滅亡の理由。などなど、古典的なSFが好きな方なのかな、という印象を受けました。

 全体的に懐かしい感じのネタが多いので、一周回って新鮮な作品。主人公の発言からすると、この宇宙には他にもヒューマノイドや文明を持った種族がいるようで、それはどんな世界を築いているのか気になるところですね。

 一つ会話シーンでよく分からない部分があったのですが、「」がアリサ、『』がユキオなら、()でしゃべっていたのは誰なのでしょうか……ハインライン号とユキオは別々に自我がある、という解釈で合っているのか不安になりました。

 また、面白いのは三島由紀夫が詠んだ和歌が登場することですね。

 散るを厭うこの世でも、先駆けて散ることこそ花……という歌は、世界滅亡には中々ロマンチックなものです。ただ、個人的には歌の意味と、最後に主人公が語る心情がしっくりと結びつきませんでした。

 浅学ゆえ、歌の解釈に何か私の思い至らない所があるのでしょう。作者さまの意図をくみ取りきれず、もうしわけありません。

偽のお墓:神の正体は宇宙人なんですよ! な、なんだってー!?

 定番と言っちゃ定番なんですが、やっぱり面白いので、個人的には誰かやってくれるだろうと今か今かと待ちかねていたやつです。自分でもやろうと思ったのですが、話がとっ散らかるのでやめました。

 最初、大仰な感じから始まったと思ったら、ユキオとアリサのキャラクターが結構愉快で、最終的にはなかなかにポップなの、テンポが良い。東京だったり秋葉原だったり三島由紀夫だったり、地球というか日本大好きじゃないですか主人公。そういうところが親近感も持つことができて、読み終わった頃には完全に二人の視線に共感しているのもあって、描かれているのは地球の滅亡だというのに爽快感があるのが面白い。

 滅びる直前の地球を歩く主人公、その正体が明かされる、そして地球からの脱出、という壮大なシナリオを五千字で駆け上がっていくのでサクッと読めるのも良いポイント。教養が散りばめられているのも、短編SF小説として読みやすい構造でした。

ビーとフラット 押田桧凪

偽の教授:遠い海の向こうに馳せる思い、即ち思惟とSea。

 なんか、読み始める前の時点でね、解説文と打たれてるタグがもう強いな、っていう印象がありました。で、まあ最後まで読んだわけですが、一言ただ「いい」と思いました。なんていうか、「いい」んです。なんていうのかな。何がいいのか、どう良いのか、うまい言葉が思い浮かばないな。ともかく、確かに解説文とタグがそうであった通り、これはかなり強い作品だと思う。

 まず、タイトルがうまいです。すっごいセンスがある。ビーとフラット、それだけでも響きがいいのに、bと♭、と表記するとさらに美しくなる。しかも、Ball and Flatと展開されて、物語の内容をちゃんと受けていて、タイトルが内容を回収している、っていう。極めて高度なテクニックです。正直、わたしでは真似ができる気がしない。すごい。感服した。

 一つだけ、いま、すごく心配なことがあります。この作品が投下されそして読み終えた今の時点で、「この作品は絶対に大賞に推す三作品から外せないだろ」という作品が、三つになりました。この先、まだ数日は募集期間が残っているのですが「これも絶対外せない」という作品がさらにまた来てしまった場合、わたしはこのあとどうすればいいのでしょうか。ああ、企画主催としてなんと贅沢な悩みだろうか。幸せな悩みです。というわけで、ご参加ありがとうございました!

偽の人食い:不登校になった少年が、ブラジルの少年と交流するヒューマンドラマ。

 周囲にうまくなじめない主人公の孤独感、疎外感、息苦しさなどの胸に迫る描写が大変素晴らしい作品です。

 いきなりブラジルの子とメールで交流って大丈夫? と思ったら、機械翻訳されたメールの文章がすごく「らしい」のにも驚きました。

 機械翻訳っぽい文章を作るのは慣れればそれなりにできるものかな? とも思うのですが、「日本語で思考や会話をしていない人間が、一生懸命相手を思いやってかける言葉を翻訳したもの」という質感と言いましょうか。機械翻訳っぽさと、それを発したキャラクターの温かみを感じるような文面ですね。

 機械翻訳独特のセンテンスが生み出す、詩的な文章もまた美しく、これは何をどうやって作ったのだ?? と思わず頭も首もひねってしまいます。

 最初は意味がつかみづらかったプロローグも、読み進めるとなるほどと思え、大変すばらしかったです。主人公の彼が、もっと楽に生きられますように。

偽のお墓:双子のように似ている、というのをビーとフラットという文字で表すのがおしゃれ。確かに似ているけれど、全く違う文字でもあって、それは作中の「ぼく」とベドのことを正に象徴しています。

 学校に行くのをやめた主人公の、地球の裏側にいる、メールのやり取りをする友達を、自分と双子のようだと感じる感覚がよくわかるように描写されている。

 実際には住む国だけではなく、信じているものも違うし、その相手の真意も機械翻訳に頼ったメールのやり取りでは、どこまで通じているものかわかったものではありません。

 だけど心が通じ合っていると信じるそれだけで双子のように感じる「ぼく」の想いは尊く、美しいもののように映ります。

 二人の関係を、フラット(♭)に重ねて「半音ずれた世界を生きる」とする表現力も見事。ただ、ここまでフラットに意味を持たせるのであれば、「ぼく」にとってのビーとフラットは何を象徴しているのかも知りたかった。

 「ぼく」の心のうちを見事に描いてみせた筆力はすごいと思うので、更に細をうがち、名文を書いていってほしいですね。

天啓的な幸せ 志村麦

偽の教授:抱きしめた心の小宇宙

 ようやく来ましたねペガサスが。テーマがテーマだから今回は前回(テーマ『死』)に比べるとそういうのはあんまり来なかったんですが、本作品は広義の「ペガサス」の概念に含まれる作品の一種だと感じました。特に第一話の前半部分、そういう印象が強かった。

 御存知なかったら困るのでいちおう解説しますが、川系小説大賞の用語としての「ペガサス」というのは、死であるとか、死への憧憬であるとか、そういった青春の痛みを読者に感じさせるような感じのテーマがてんこ盛りに詰め込まれた感じの作品のことを指して呼びます。

 さて。で、一つ感じたのは文章力の水準がとても高い、ということです。まあ、今回概してみなさん高いのですが、この作品もかなり文章がうまいです。物語全体の構成としては、なんていうか、整合性はちゃんと取れている感じではあり、ハチャメチャとかそういうことではないんだけど、なんていうか、なんか難しいけど、ちょっと座りの悪いものを感じるかな?という印象はありました。これ以上手を加えてこれ以上よくなるという感じでもないから、そういうことではないんだけど。

 物語のエッセンス自体は、なんていうか、はっきり言ってしまえば僕の趣味ではないんですが、よく書けていると思います。こういうことがやりたくて、こういうことをやったんだな、というのは分かりましたので。面白かったか面白くなかったかの二択で言えば、なかなか面白かったです。そんなところでしょうか。

偽の人食い:典型的ならぬ天啓的とは? となるタイトルがもうフックがありますね。あらすじから何となく現代日本かと思ったら、なにやらただならぬ関係の女性たちが出てきて、これは……? と思っている間に事件が。

 久比貴による宣言で、二人の会話がどんな光景のもとで行われていたか分かった瞬間はゾッとしました。そして『小さな幸せ』と神の導き、何かによって支配されている女性しかいない村。いったいこの奇妙な世界はなんなのか?

 ジャンルがSFなので、察しが良い方は気づいてしまうかもしれませんが、村の正体が分かった後と、その未来のなさ……。

 不幸と幸福の押し付け合いという葛藤のドラマ。

 読んでいるこちらが絞め殺されそうなほどの閉塞感から、主人公・花南が取った選択のカタルシスは苛烈なほどまばゆかったです。

「女でありながら女を誘う」という言葉に「この村は女性しかいないなら、それが普通じゃないの?」と思っていたら、ミスではなくそれもちゃんと伏線だったというのが脱帽です。非常に尖った作品で面白かったです!

偽のお墓:百合SFですね。それもかなり重厚な。

 全体的なストーリーラインとしては、神の「天啓」なるものに従うならば殺しも許されている世界の中で、神の天啓にどう応えるかを描いているわけですが、全体的に文章が難解であるために読み進めるのには個人的にはかなり苦労しました。

 エンタメというよりもハードSFを志した文学的文章を狙って書いているのだと思うので、以下はその読み方での批評になりますが。

 不思議な因習や理不尽な支配が見え隠れする集落と思いきや、実は管理された箱庭だった、という本作のプロット自体は割と王道なので、文章で魅せるのであれば、作者の個性が光る描写を見たい、という我儘があります。宮沢賢治ばりのオリジナリティあるオノマトペとか、川端康成ばりの印象的な書き出しをしろ、というわけではなく、その表現を使ったことで本作で描かれる世界観に入っていけるような、本作ならではの表現がほしい、と思います。本作が比喩表現や修飾表現には溢れているのですが、そのほとんどが、削っても本作へ与える印象を変えない、むしろ読みやすくなることで印象深くなる、悪い意味で情報過多な文章に見えてしまう。

 とはいえ、せっかくの重厚な文章、世界観を失いたくはないでしょうし、ただばっさりと切るのも違う。

 たとえば『葬儀の前に、血で汚れた彼女を綺麗にしなければならない。それは村で唯一の医術者である私の役割だ。死骸を整え、遺体へと変える。死という惨たらしい現実を化粧で覆い隠す仕事だ。』という表現が2話でありますが、これは「葬儀の前に彼女の身体を清めるのは、村で唯一の医術者である私の仕事だ」という事実を長々と言い表しているだけですし、『死という惨たらしい現実を化粧で覆い隠す仕事』という比喩も直接的な割に文章がわずらわしい。

 以上はあくまで私の印象ですし、私自身もかなり装飾過多な文章を書く方なので、鏡を見ろってな案件だったりするわけですが、文章の読みやすさと重厚な世界観を伝えるための表現の天秤を、もう少し右に左に傾けて調整することで、もっと良い作品になると思います。

 ……て、この講評自体がだいぶなげーわ。タイトル好きです! 言うまでもなく、典型的と天啓をかけたネーミングですね。こういうセンスはすごい好きだし、良いなあと思うので、作品全編通してこうした感覚を味わいたいです。

そういえばあいつは 頭野 融

偽の教授:レティクルの神様、気まぐれなもの

 今回、テーマが重たすぎるせいか比率としては割に少ない、掌編の作品です。

 軽い文字数に即して、実際割とサラッとした雰囲気でサラッとした内容の作品なんだけど、語り口の軽妙さがうまくてけっこう引き込まれました。結局そいつは神について何を言ったんだよ、聞かせろよ、って先が気になっていく感じだった。小品だとは思いますが、小品らしい良さがありますね。

 ただ、落ちはちょっとよく分からなかった。つまり、昔の友達が新興宗教かなんかの団体をやってるっていう、そういう話なのかな?そこんところもうちょっと明示してほしかった感はある。

偽の人食い:ムネ肉、安くて美味しくていいですよね……とシンパシーを覚える冒頭。主人公のわりと厳しい生活の様子が大変切ないです。

 その日常の一幕で思い出す同級生との会話、という現代ドラマなのですが……。冒頭と結末部分をつなげていくと「もしかしたら」というものが見えてくる構成が興味深いです。Twitterですとネタバレになりそうで控えたのですが、講評なので私の解釈を併せて書きます。

 まず幸村くんの「神さま」に対する考え方は、合理的と評されていますが、これは人が宗教に求める基本的な効能そのものに他なりません。

 悪いこと、嫌なことがあったら「神さまの試練」という納得。あるいは神さまが見守ってくれるから大丈夫、という安心感は、非常に重要な機能なのです。

 そして冒頭の宗教勧誘チラシ。こういうものは無差別に投函されるのが常ですが、特定の相手に宅配便で届けられるということは、送り主は一人しか考えられません。

「宗教」というものは、世界三大宗教以外は怪しげなカルトのように思われがちですが、「三大」ということはそれ以外の宗教もまた、無数にあるのです。

 ですので、それが詐欺にせよまっとうなものにせよ、人があるとき宗教に入っていくのは、自然な行動の一つに過ぎないでしょう。

 しかし、かつて神をあのように解釈した友人の「今」を、彼はどう感じるのでしょうか? さまざまな問いをはらんだ意欲的な作品でした。

偽のお墓:高校時代の友人との会話を、ふとした時に思い出し、何を話していたんだっけか、と思い起こすお話。

 本当にそれだけの話なのですが、最後にひとつ面白い仕掛けがしてあって、やられたなーと。

 どうして語り手たる丘野くんが、幸村のことを思い出したのか、真の理由でもあるし、ちょっとしたホラーとしても読める。

 真実を知る機会を回避したのも、ひょっとすると幸村のいうような、神の思し召しなのかもしれないですね、なんて。

 四千字スケールの中で与えてくれる驚きとしてもちょうどよい。あえていうなら、作品冒頭の文章が不要だったか。丘野くん、糖質制限でもしているのか大量の鶏むね肉をぐつぐつ茹でている最中に幸村のことを思い出すわけですが、それが最初だけの一瞬の描写だから、これ特に要らなくないかと。

 するともう少し簡素に読みやすくできたと思うので、短くまとまっている作品だからこそ、作品内で登場人物(本作の場合は基本的に丘野くんだけだから余計に)が持つパーソナリティをどこまで見せるかについて、情報の取捨選択にもっと関心を寄せることもできたかな、と思います。

羽化 姫路 りしゅう

偽の教授:華麗なるパピヨンに生まれ変わるんだ

 凡庸なことを言うようで申し訳ないですが、まず一言で感想を言います。「面白かった」です。率直に、そう思いました。

 かなり奇想天外なアイデアで書かれた、ホラーなのかシュールギャグなのか見極めの難しい作品ではあるのですが、ともかく、総合的に一言で言うと面白かった、という言葉でまとめるのが一番しっくりきます。

 今回、神をテーマに書けというお題なわけですが、まず、「人が神になる」。それも、多神教的なニュアンスでの、例えば菅原道真公みたいなアレではなく、かなり造物主みのあるでかい神様になってしまう。そして、どうしてそういうものになれたのか、それはどのような存在であるのか、特に説明らしい説明はない。

 いや、これは無くていいんです。どんなに言葉を尽くしても多分条理を通すのは無理でしょうし、力強く「なれたんだからなれたのだ」と押し通した方が小説として強いので、これでいいと思います。

 ある意味では悪夢のような結末ではありますが、しかし、もしかしたらこれは神による導き、人が新たなステージに向かう的な何かであるのかもしれず、まあ、いいんじゃないかな?(雑)というわけで、何度も言うようですが、面白かったです。ありがとうございました。

偽の人食い:いやあ、これはいいホラーでした。

 神さまになることを宣言し、本当に神さまになったという幼なじみ「加奈子」について語る冒頭。すべて過去形という点が非常に不穏ですが……。

 次に加奈子からの手紙が来て、最後の方でちょっとびびりました。まあ違う世界の存在になったなら、そういうこともあるでしょう。

 そして恐ろしいのは、結末とそのつけかた。

 アキラくんの件は「考えすぎじゃない?」と思ったのですが、その後に明かされる事実と、一話で語られてきた「加奈子がどういう少女だったか」という情報がすべて有機的に結びつき、ゾッとする破滅の予感をさせて終わります。

 タイトルの「羽化」はてっきり人間から神さまになった加奈子のことを指していると思ったのですが、それだけではなかったという使い方。

 そして「やはり、神様になるのは大変でしたか。」というキャッチコピーも、振り返ってみると空恐ろしいものがあります。

 彼女がどのような手段を経て神さまになったのか、詮索は無意味というものです。ただ、主人公が最後に呼んだのが「加奈子」という人間の名前ではなく、すがるような祈りの言葉であったとうい絶望感の演出がまたたまりません。

「短編ホラーはこう書くのだ!」と突きつけられるような、読書体験の作品でした。

偽のお墓:冒頭から、加奈子という女性が「神様になった」という報告を受けたところから始まる作品。掴みはばっちりです。どういうことだ? と読み進めていくと、加奈子というのがどういう人であったのか回想が始まります。割と濃厚な百合だった。

 「わたし」が、本番には弱く人間性のあるところがあると加奈子を評したときの

「可愛いというかなんというか。」「可愛いと思います。」の連なりとか好き。軽やかな文体であることで「わたし」が加奈子にあこがれていることを感じとることができました。そして加奈子の不穏さを感じる手紙が挟み込まれてから、世界中で起こっている異変について「わたし」が語りだす。「わたし」が加奈子に語り掛けるような文章に終始していながら、読んでいて見事に飽きさせない構成が見事です。

 ガチモンの神様になった加奈子ですが、加奈子が本番には弱いことを知っている「わたし」だからこそ考える、人類のその先にゾッとする。ゾッとするのですが、加奈子に悪気がないことを思うと、愛おしさを感じたりはしますね。

 人類の変化が身勝手な神様ではなく、おっちょこちょいな神様の間違いで起こってしまうかもしれないとは……。

 ハラハラとした終わりながらも、読後に加奈子という「神様」を好きになっている、不思議なホラーSFでした。

デッドコピー @sibori

偽の教授:神の左手悪魔の右手

 こちらがエントリー順で28番目の参加作なのですが、ついに来たか、と言う感じです。「神のように凄い人間」を主題とする作品。

 いや、募集期間のかなり前半の頃にね、誰かがツイッターかどこかで言ってたんですよ。「神のように凄い人間が出てくるからそれが神って話を誰か書くだろうと思ったけど、意外と出てこない」って。それが来ました。

 神と称えられる芸術家と、才能に恵まれなかったその息子の話。ぐいぐい引き込まれるようなストーリー構成と、そして最後の方のあっと言わされるようなちゃぶ台返し。なかなかの力作だと思います。

 ただ、こういう企画ですので、「神がテーマという企画に対する答えとしてのパワー」を論評しますが、正直、この人物が「神と称えられている」ことに対する物語的な必然性はそう強くはないと感じられましたので、「その角度から見た場合には」高評価というほどの高評価にはできないかな、とは思います。

 ですが、それはそれとして、「人間の物語」として見た場合にはこの作品の作品力は高いです。真の文学と評価するに値すると思います。皮肉極まりない結末の構造と、それを受けるタイトルとが、ほんとうに機知が効いてていい、と思いました。

偽の人食い:大物芸術家の息子が、亡き父の個展を見に行くというストーリー。思い立った時にはやる気があったけど、当日になると気が進まないってあるよね~と思いながら読んでいたのですが、そこに展示された「傲慢な」作品に驚かされました。

 デッドコピーという言葉は模造品の別称なので、なんとなく不出来なまがい物をイメージする言葉です。

 しかし本作のそれはまさに「デッド」「コピー」であり、キャッチコピーの真意も明らかになる結末と合わせ、その語彙選択に唸らされました。

 ただ、惜しいのは1で「花咲」とあった友人の名前が、2以降は「花坂」になっていて、そこが引っかかったことですね。

 序盤の、雪道を行くときの「鼠色」が終盤でもリフレインされてくるなどの文章演出は高かっただけに、残念に思います。

 しかし、家族にとっての「父親」から解離した「芸術家」としての父の姿への皮肉もありながら、死者への哀悼へも感じるストーリーが素晴らしい作品でした。

偽のお墓:神とまで呼ばれる芸術家の息子の話。来ましたね。このタイプの話は絶対に来ると思っていたのですが、今回の偽物川、割とみんな直球勝負で殴ってきた中でこういうの来るとそれだけでちょっと面白くなっちゃう。贔屓。

 世間からの評価と家族の評価って、むしろ世間に賞賛されているような人物であるほどに乖離しちゃったりしますが、主人公も同じようなことを父に感じている。

 それで芸術界で神と呼ばれるまでの父の印象を、息子がちょっといじっちゃうお話なんですが、これって実は普通に「神」という概念の本質をついたお話でもあるんじゃないですかね。

 一般的に、神という存在を形作るのは、それを信仰するものなわけです。一種の共通幻想であり、神を巡る色々な人々の思惑が交差して、神のイメージはできあがっている。それはアイドルだったり、世間から神と呼ばれる芸術家であっても同じ。

 主人公は天才ではなく凡人ですが、神のイメージなんてものは凡人がつくるんですよ。

 父と息子のお話としても面白く、挑戦的でありながらも優しい物語だと思います。

わたしのかみさま アオイ・M・M

偽の教授:神はいつくしみを喜ばれる(ミカ書 7:18)

 禍々しい作品が来たなぁ、と五行目くらいを読んだときに思いました。でも、最後まで読んでも確かに禍々しいんだけど、同時にひどく優しい話でもあるんだよね。

 主人公はとても悲惨な境遇にある、おそらくはかなり重い知的障害を抱えた女性で、なんだけど、同時に、とても優しい男性が彼を守ろうとしてやれる限りのことを精いっぱいやっている、そういう話。

 これは神の物語ではなく人の物語だろうとは思いますが、であるがゆえにこそ、ある種の聖性、ある種の神性のようなものを感じさせられました。けっこう、悪くなかったです。

偽の人食い:読み終えて「つ……つらいっ!」とうめいてしまいました。

 幼い子供かと思ったらそうではなく、明らかに知力に問題がありそうな少女と幼なじみの少年が語らうというだけのお話なのですが、そこから見える彼女の境遇と、幼なじみの小春くんの心境を想像すると胸が痛みます。

 作品に性描写ありレーティングがついていないのでここでバラしてしまうのですが、主人公が援助交際(今だとパパ活でしょうか)に疑問を持たなかったり、経血が落ちて小春くんがほっとしている理由に気づかない(=妊娠していない)ことなどの描写が精神的にきついですね……。本当に、もう、もう色々な意味で……。

 彼女にとって小春くんがそういう存在だというのは大変けっこうなのですが、必死で助けようとしている小春くんが辛すぎて辛すぎて言葉を失います。

 彼はどのような気持ちで、空ちゃんに「神さま」がどういうものか、自分にはそんなものいらないと言ったのか。胸にしこりを残すようなお話でした。


偽のお墓:これまた挑戦的な作品だと思う。

 世界をこどもの目線でしか見れない、自分の境遇を理解できない風でいる主人公目線の小説。

 そんな主人公が世界を描写するので、雰囲気はほんわかとしているように感じるけれど、実態はかなり辛い。

 小春がいてくれることが、主人公にとっては救いで、文字通り神様のような存在になっています。

 語り手の教養レベルをどのくらいに設定するのか、みたいなのは一人称の小説を書いていると悩むところですが、本作では世界を俯瞰的には決して見ることができない主人公が設定されていて、それがむしろ現実の辛さを読む側に想像させる余地をうむ。小春がどれだけ主人公にとって大きな存在であるのかもよくわかる。

 今回の講評では、その作品ならではの表現力をくれよ、みたいなことを何度か書いた覚えがあるのですが、これはその正解のひとつだと思います。

 なんて気持ちの悪い小説なのか(褒め)。

 こういう作品は書くのも読むのも大好物なので、短い文字数ながら堪能させていただきました。

 ところで、空さん。かーげーべーはアイドルじゃないぞ。どこで覚えたんですかね。

ケイオスワールド・ホープスエッグ 292ki

偽の教授:人の造りしもの

 まずタイトルの話をします。とてもカッコいいですね。使われている単語もカッコいいし、口にした際の響きもとてもいい。グッドです。きょうじゅはタイトルのいい小説が大好きです。

 さて、内容についてですが。ホラー文脈で書かれた手触りの確かなホラーなのですが、しかし「神」というテーマに対するアプローチがきっちりとあって、かなりその観点から見たときも評価点が高いです。

 ただ。これ、講評でここまで言うのは講評が蛇足かもしれませんが、最後の最後。死んじゃいました、と書くよりは、これから死にます、というところで話を締めた方が(まあ、ありがちな技法だと言ってしまえばそれまでですが)美しいのではないだろうか、とは思いました。

 ですが総合的には、かなりいい線いっている作品だったと思います。

偽の人食い:第四回こむら川小説大賞にて「奈落への旅」という作品で参加された292kiさんの作品。奈落の旅は個人的にイチオシ作品なのですが、あちらはとは逆方向を行くようなお話でした。ホラージャンルなだけに、嫌な予感はしたんですよね……。

 軽い語り口で始まりながらのこの容赦のなさ、というギャップがあればあるほど、彼女が「みんなの期待を裏切れなかった」という苦悩が胸にずしんと来ます。

 家族(ファミリー)のみなさんも、実は彼女と同じで不信や疑念があったとしても、口に出すことが恐ろしかったのではなかったのではないか?

 地獄への道は善意で舗装されているとは言いますが、時にそれは希望でも舗装されるのですね。

 悲しすぎるので少し明るい感想を付け加えますと、異形の化け物をドストレートに「グロテスク」と名付けるセンスが好きです。

偽のお墓:かみさまをつくろうとする女の子たちのお話。

 何ともやるせないお話です。また、誰か人間個人に責任を押し付ける、という話でもある。

 本作には何重にも「かみさま」がいます。主人公たちが作ろうと夢見た(都合の良い)かみさま、実際に卵から産みだされた(見ようによっては人を罰する形の)かみさま、そしてかみさまを作りだそうとしたすーちゃん。

 現状をなんとかしてくれる、都合の良い存在を願うことが、時としてとんでもない結果を生み出してしまう。本作においてはそうして世界は滅び、グロテスクが生まれました。

 ところで「気持ちの悪いものを全部まぜこぜにしたみたいな外見」という描写をさらりとできるのって小説の強みのひとつだったりしますね。気持ちの悪いものは人によって違うけれど、読んだ人はおのおのの気持ち悪いものを想像する。

 創作でも描写の矛盾したものが描かれることは珍しくなく、矛盾したものをいくつも内包するグロテスクという化け物は割と身近にいくつもあるのかもしれない、というと主題からそれますか。

 後味のいやーな、とても面白いアポカリプスSFでした。

世界は「好き」に満ちています! 〜怒りん坊の神様と普通のわたし〜 和田島イサキ


偽の教授:聖なるものを犬にやるな。また、豚に真珠を投げてやるな。(マタイ伝7.6)

 すっごくスタンダードな、印象としては比較的若者向けのファンタジー小説を読ませてもらったなあ、という感じの読後感でした。

 いい意味でも悪い意味でも……というのは言い過ぎだな。悪いというほど悪いところはどこもないです。ただ、飛び抜けて優れた何かを感じるところはなかったな、というのも正直なところです。そんなんしょうがないと言えばしょうがないんですけど、何しろ今回の第三回偽物川小説大賞、平均点が非常に高いもので……。

 別に「こういう風に直したらいい」なんていう差し出口をきくつもりはないのですが、いかんせん、悪役の司祭、その人物の掘り下げが甘かったかな、という気はします。もっと徹底的に悪党にするなり、或いは凡庸な人間臭さを描写するなり、してやった方が全体としては話が締まったんではないだろうか。といったところですね。

偽の人食い:出だし一行目のフックが強い! 熟練の腕を感じさせるスタートですね。

 全体として軽快な異世界ファンタジーコメディにまとまっているのですが、そのまま長編とスムーズにつなげられる、巧い作りになっています。

 まだ14歳でお針子をやっているミカルちゃん、「労働は悪! 勉強しよう!」という新たな信念の芽生えとか、お駄賃をもらうなんて醜いことではないか……と言いつつ好き(お金)が手に入るのでは……とゲス顔になったり、ボケをかましまくったり、非常にキャラが立っています。

 そんな彼女と出会った自称神さま・ジンも「このひと大丈夫?」と思うようなぽわぽわした美形なのですが、決める時はバッチリ決めてくれるのでした。

 特に驚嘆したのが「信仰の横流し」という設定です。神さまならスーパーパワー使えるでしょ? に対する、こういう制限があるんですよというクリアな回答。

 使いようによってはホラーでもやれそうでいいですよね。

 強いて言えば〝敵〟についてもう少し解説があってもいいかなと思いました。ですが、全体的に完成度の高いエンターティメントで面白かったです!

偽のお墓:掴みが強すぎる。シンプルでいてユニーク。ポップなモンスターエンジンかよ。モンスターエンジンもポップだわ。

 労働は悪ですね。本筋とはあんま関係ない語りにちょいちょい頷いちゃうの、意味わからないんだ。いや、つまりはトンチキな内容なのに、異様に読みやすいってわけで、それがこの作者様の味のひとつなのですよね。ホントに15,000字もあります? ブタ野郎がほんとに一言一句間違いなくブタ野郎なのどういうことですか? とか。

 これはこれでひとつの世界を作っているのでこうした方がいい、とも迂闊に言えないし、真似できない。好きです。なるほど、確かに世界は好きに満ちている。

 主人公のミカルが、自称神様のジンに友情を感じるまで早すぎじゃありません? とかツッコミたくはなるんですけど、それも含めて本作の勢いだから……俺は考えるのをやめた!

 面白かったです。

 信仰の横流し概念すごいな。色々な作品で応用できそうだ。最後は悪を信仰による神パワーでブワーッとやっつけるのもみんな好きなやつだよね?

 抱腹絶倒で楽しませてもらいました。今後の二人(となんか性癖こじれた一人)の旅路にも幸あれ!

枝は腐っちゃただの土か おくとりょう

偽の教授:凝ればいいというものではない

 文章力と演出力はすごくハイレベルですね。ただ、構成がよくないです。下手なのではなく、凝り過ぎです。

 視点人物が「それが誰なのかもよく説明されないまま」ポンポン入れ替わるのも、時系列がぐるぐる混ざるのも、それが「絶対いけないこと」だとは言いませんが、これをうまく使いこなすのにはもんのすごい高等テクニックが必要で、はっきり言ってしまえばこの作品においては成功しているとは言えない、と感じました。

「神と言うテーマに対する回答」も、部分的には「おっ」と言わされる台詞があったりはしましたが、総合的にはそう高い点がつくほどのものではなかったです。

偽の人食い:一目見て、凝ったタイトル群が印象的でワクワクしますね。しかし、これまで読んできたおくとりょうさんの作品は、ほとんどが非常に難解なものでした。

 そのぶん気合いを入れて臨んだのですが……一度はちょっと心が折れました。が、なんとか把握できた限りの解釈をつらねておきます。

 まず分かるのは、「神さまはいるのか?」という自由研究をしていた「一人称僕の少女」がおり、それが自殺。そして同窓会の少し後に、彼女をいじめていた主犯格の委員長も自殺。具体的になぜ・どうして・どんないじめがあったかは言及無しで、当の彼女が自殺してしまうシーンでも、そこへ至る思いは今ひとつ不可解です。

 一方、同窓会メンバーの一人が「後日談」で飲食店をやっている〝店長〟となり、認知症の母と会話を交わすエピソードがあるのですが、こちらは良い話でした。

 おそらく、この店長母子と孫のエピソードだけ切り出したら、綺麗にまとまっていたと思います。それ以外の、自殺した過去の同級生が神さまのことを調べていた、というストーリーがどうつながってくるのか、他のエピソードも、何のためにあるのか? と首をひねるばかりでした。

 ただ、キャッチコピーの「すべての"僕"はあなたの中に」を見てピンと来たのですが、自殺してしまった僕少女は同級生の皆の中に、認知症の母に忘れられた成人済みの息子は、それでも子供時代を母に記憶されている、というお話ではないでしょうか? 人は死んでも遺された人に覚えられているんだよ、という。

 ただ、ほとんどの人物に固有の名前がなく、数が多いため、「今これは誰の、何の話なのか?」という点と、個々の関係や立ち位置を理解するのも一苦労です。

 作者さまが確固たる美学や信念を持って執筆しておられることは伝わっており、その点には非常に好感が持てます。それに、タイトルセンスが最高なんですよね。

 シーンや情報の選択、読者に「何を読み取って欲しいのか? 伝えたいのか?」を意識して構成されると、より良い作品になっていくと思うので、応援しております。

偽のお墓:いくつかの断片をつなぎ合わせたオムニバス作品集。

 うまくやれば、読者の脳をシェイキングする、面白いことができる手法です。パッと頭に思い浮かぶものというと、伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』とか、ゆずはらとしゆきの『空想東京百景』シリーズみたいなアレですね。

 群像劇は浪漫なんですよ。私も古川日出男の『ベルカ、吠えないのか。』に憧れて何度も挑戦しようとしたからわかる。

 本作も、そうした先人の作品同様に、一つ一つのお話だけでは意味を持たないようにすら見えるが、つなぎ合わせることで何かの真実が見えてくる(ような気がする)作品群。

 ただ、本作の場合それをやりたいのだろうということはわかっても、さすがに一つ一つが断片的過ぎる。2万字そこらの短編って(短編なんだから当然)短い時間の中で流して読むのが普通なので、あまりに登場人物が多いと、普通に書いてすら把握されにくいんですね。

 普通に書いてもそうなのに、本作ではミスリードも込みで登場人物を増やしているので、メモでも取りながらじゃないと全容が掴みにくい。こういう書き方は、あまり短い中で完結型の作品でやるべきではないと思う私です。

 私の好きなアサシンクリードというゲームで、ステージを追うごとに断片的な主人公の記憶を追体験できるというDLCがでたことがあるんですが、あれが難解だと批判されながらもファンに結構許されてる(どころか私のように滅茶苦茶好きな人もいる)のは、シリーズ物の中でやるから。キャラクターや世界観に興味を持つからこそ、メモ帳引っ張り出して解釈可能になるまで解読を試みるのが楽しかったりする。一作完結型にはそれがないので、読者に読み取りをさせたいのであれば相応の工夫がいる。

 わかりやすいのだと、やはりキャラクター。個性的で癖のあるキャラクターのドタバタを配置することで、一作としての面白さも担保しつつ、本当は裏側では何があったんだ? と疑問を抱かせたり。

 そういう工夫が本作には足りない。何やらポップな神様っぽい「光あれ〜☆」だけだと足りない。

 それでも、構造は難解ではありつつも、文章の読みやすさはかなりのもので、内容を読み取れないながらも読み進めることができるリーダビリティはちゃんとあります。

 反省すべきところは山ほどあると思いますが、これに懲りず、今回の講評を糧に、また同じようなオムニバス、群像劇に是非とも作者様には挑戦してほしい、と思います。応援してますよ!

おぽぽ様はお呼びでない ささやか

偽の教授:ホラごらん、天使呼ぶための機械さ これで消せる、人の哀しみを

 冒頭が強いなこれ。書き出しが、じゃなくて、冒頭が強い。具体的には、「~奇跡の発生が公式に確認されている。」までのことです。インパクトがあるし、一瞬で世界観に引き込まれる。

 ただ、提示された世界観はとてもおもしろいんだけど、全体的なストーリーはちょっととっちらかってる感がなくもない。「天使」と言う要素と「カルト宗教に人を奪還しに行く」要素がうまくかみ合っていないっていうか、どっちもそれぞれちゃんと面白さを発揮できる要素ではあるんだけど、ここにこうやって二つ並んでる必要はなかったかな、っていう。料理用語でいう「ケンカ」ですね。

 どっちかといえば、「再現性のある奇跡」という世界観を掘り下げてもらって、もうちょっと長い尺で読んでみたかったかな。とはいえ評価そのものは決して低くはないです。

偽の人食い:『粒あんエクスチェンジ』で大ブレイクしたささやかさんの作品です。頭痛には私もよく悩まされているので、この方法で助かるなら是非やりたいですね……!

 新興宗教は従来の宗教をベースにしたものがいい、というのは事実ですが、そこへ「都市伝説をベースにしたカルト」がぽこぽこ生まれるというのは面白いですね。

 問題の「おぽぽ様」が明らかに有名なアレなのにちょっと笑いましたが、ネーミングのひねり方がうまい!

 それと主人公たちのキャラ立ちが非常に良かったです。伊集院さんが車好きな理由、三間川さんが爆裂暗殺拳の通信教育をやってる話、妙に高い詐欺スキル……。

「奇跡が再現可能になった」世界での研究所と設定を説明し、ちょっとした事件が持ち上がり、それを解決したら序盤に示されていたある問題が片付く……という綺麗なエンターティメント構成で、素直に面白い! と言える作品でした。

 キャラクターのやり取りに思わず何度も笑わされたので、彼らの活躍をもっと見たくなる気持ちになりますね。

偽のお墓:高次元存在SFだ! おはようペペロンチーノ!!

 再現可能な奇跡が見つかったが奇跡の発生において原因と結果に科学的関連性は認められない、とありますが、原因と結果を結びつけられるならそれは科学と言って差し支えないと思います。原因と結果がわからないままに機序研究するなんてのはざらなので。世界は分けても分からない。

 そんな細かいことはさておき。高次元存在により世界が作られたかもとか、天使や奇跡は世界のバグだの説が、奇跡の再現性発見により大真面目に論じられるようになった世界。これだけでもう唆りますね。さらっとその事実を流すのも良い。読みたいのは物語であって、短編作品の中で完結することのない科学的説明はお呼びでないので(それそのものを目的とした『異常論文』のようや作品や、長編作品ならば別)。

 簡単に人を殺せる暴力装置を完璧に支配してるなって感覚が好きで車が好きな伊集院さんとか、カルトに最もよく効くのは暴力だとか宣う三間坂さんとか、登場人物が魅力的で好き。こういう人手なしみたいだけど何故か妙に人間臭さのある描写がちょっとあると、それだけでキャラの魅力にブーストがかかるんですよね。そういうのが上手い。

 ちょいちょい誤字脱字が散見されたな、というのが玉に瑕。私も他人のことは言えないけど。

 後このおぽぽ様、八尺様を擦ったな!! 流行りにまで便乗しやがって! くそう、面白い! 結婚おめでとう!

 わけわからん与太話で情緒乱されても、最後は良い話で終わるのが素晴らしいです。

不在の神と地上の神様 2121

偽の教授:ゴッドハンド

 んー。最初に、好きか嫌いか、を言います。私はこの作品好きです。

 ですが正直、筆致としてはかなり未熟な部分が多いです。そこも含めて雰囲気的には好きなんですけど、この企画は何しろ小説大賞ですので、そのへんは厳しく指摘していきたいと思います。

 文章力そのものは、そこまで悪くはないです。上手でもないですが、下手とまでは言いません。ですが一番いけないのは、途中で語り手が変わってる部分が非常に分かりにくい、ということです。変えるな、とまでは言いません。ですがこの場合でいえば、せめて章分けをするべきだったと思います。

 次に、この物語のテーマ性について考えてみましょう。神はいない。なぜなら救いが下されなかったから。だから、自分は神の不在に対して「反逆」する。ふむ。実のところ、私はキリスト教徒のはしくれなのでこの問題について言いたいことがすごくあるんですが、今やってるのは小説大賞の講評であって宣教ではありませんので控えます。

 ただ、人間の魂の迸る熱情みたいなものが感じられて、そういう意味では、決して悪くない、「神」というテーマへの向かい合い方だったと思います。

偽の人食い:神さまなんていない、と打ちひしがれた少女は、神の手と呼ばれる天才医師となった。しかしその背景には、彼女なりの努力が……というお話。

 締め切り間際ということで短めですが、もう少しボリューミーな文字数で読んでみたかった作品ですね。

 今や誰からも神のごとき存在として認められる人と、その彼女がただの人間であった時を知っている先輩との関係は、本人たち以外には誰も知らないささやかなもの。

 けれど、人と人の関わりで生まれるそんな小さな思い出の積み重なりだけが持っている心地よい重みというものに、心を洗われるヒューマンドラマでした。

偽のお墓:出だしの力強さから、神様不信な主人公のシリアスな作品かと思ったらそんなことはなかった。

 これまた意外にも言及の少なかった「神様は祈っても応えてくれない」がテーマになっている作品ですが、先輩後輩の尊い関係性のお話でもある。

 タイトルがうまく効いてますね。後輩にとっては神様はこの世に不在。何もしてくれない神に反逆してやると医者になり、神の手と呼ばれるまでになったそんな後輩を通して、先輩は神の存在を見る。

 実際に神様がいるとしても、直接的に何かをしてくれるわけじゃない、というのは神様をめぐる永遠のテーマの一つだと思いますが、そのテーマに対し、二人の登場人物の視点をもって思索を与えてくれる作品でした。

 軽快な文章が魅力的であり、楽しく読めたので、先輩目線と後輩目線のエピソードがもう少し増えても良かったかな、と思いもしますが、これで4,000字と読みやすいので、このままの方がいいのかもしれません。

虚ろなる者 灰崎千尋

偽の教授:この岩の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。

 私は自分で言うのもなんですが物識りなんで色んな宗教の事を知ってるんですけれど、まさか巨石文明のネタでこの企画に切り込んでくる人がいるとは思わなかった。

 巨石文明。御存知ない方の方が多いだろうから軽く解説しますが、世界各地にみられる古代宗教の一種です。ヨーロッパのやつが特に有名で、少なくともケルト人より古い時代に欧州に暮らしていた民だとか。文字を遺していないんで、たいしたことは分かってないんですけどね。

 さて。余禄はこの程度にしときましょう。小説の講評です。そう、小説です。この作品を読んで一番思ったことは、『小説らしい小説と言うものを読んだ』ということです。すごく、小説でした。何を言ってるのか分からないかもしれませんが、とにかくそう思ったのです。すごくワクワクしました。ページ(ページねえけど)をめくる手が止まらない、というのはこういうことを言うんでしょう。そういうタイプの小説でした。小説ぢからが強い。

 この企画に参加している作品全体の中でも、私の判断では五指には入ると思います。だから誉めだけで終わらせてしまってもいいと言えばいいのですが、「ここまで誉めておいて何故三本に選ばなかったのか」ということを明らかにしておくために、あえてマイナスポイントを付けた点を書いておきます。

 それは、ヒロインの持つ神性の描写のバランスの悪さです。実は神だった、少なくともそう思われていた、というのはいいのですが、あの毒使いが勝手にそう思っていただけなのか、それとも本当に神であるにしても何か「どういう神様でどうこう」という、そこのもう一押しが効いていると、さらに(きょうじゅの中で)上に行けたと思います。

偽の人食い:川系企画常連の灰崎さん。今回もその実力を見せつけてくださいました。

 今ではない時、ここではない場所――遙かなる古代世界に、黒き岩を信仰する三つの部族がいた。狼の部族で一番の狩人・ニザはある日、黒き岩の霊を宿す女を殺すよう命じられる。ニザが出会った黒き岩の霊を宿す女・アムヤとは……。

 巨岩信仰、人の中の神、人にとっての神を巡る物語。企画のテーマ性を完全に表現していると同時に、主人公のニザ、アムヤ、そして鰐の部族から送られた刺客・グクスの三人が織りなすドラマも非常に読み応えがあります。

 あまり余計な説明を入れず、それぞれの所作や反応などで、そのキャラクターがどんな人物かを血肉を持って伝えられる描写力もまた素晴らしい。

 屈強で実直な狩人のニザ、「からっぽ」のアムヤ、笑顔の中に一物抱えたグクス。どれも大変魅力的で、かつその配置の仕方が物語を一段深くしています。

 この作品、大筋のプロットとしては「ニザとアムヤ」だけで手短にまとめることも可能と言えば可能なのです。その場合、結末も少し違ったものになったでしょうが、その場合もニザの行動とアムヤの運命は変わらなかったことでしょう。

 しかし二人から三人、グクスという男が加わることで、こぢんまりとしすぎない奥行きが生まれており、このセンスに確かな地力の高さを感じました。

 これについては語りすぎず、とにかく作品を読んでいただきたいですね。無情な結末と物語のその後もまた寂寥感があり、長く余韻が残る作品でした。

偽のお墓:黒い岩を巡る三つの部族の話。アムヤは結局、黒い岩の霊を宿していたのかどうか、本当のところはわからず、ただこの物語の中で各部族の三人が選んだ結末がそこにあるだけです。

 原初の信仰、タグにもあるようにアニミズムとしての神がテーマ。実際の歴史でもアムヤのように不可思議な力を持つように思われる者がいたかどうかはさておき、そうした人が信仰に利用されることもあったろうという悲哀が描かれる。

 最後、三人の想いは関係なく歴史のうねりの中で部族は滅んでしまったのが歴史の無情さ、理不尽な悲劇性を表しているのがいい。

 この作者様の描くお話は、この舞台で、この登場人物たちならば、こうなるしかなかっただろう、と思える悲しくも美しい悲劇が魅力的で、避けえぬ悲劇だからこそ逆に、登場人物たちの強い想いを感じることができるものが少なくありません。

 本作もその例に漏れず、アムヤの妖しさも、ニザの優しさも、グクスの悲恋も、物語が終わってみれば全て愛おしい。

 儚くも美しいものを見せていただきました。

大いなるものに捧ぐ 狂フラフープ

偽の教授:たったふたつの冴えたやりかた

 SFだ。すごくSFだ。それも古典的な意味でのSFだ。と、冒頭で思いました。この作品も冒頭が強いです。読み進めるうち、「どういう種類のSFかな?スペースオペラ的な展開になったりするのかな?」とかも思いました。

 で、読み終えましたが、結論からいえばスペースオペラではないですね。もっとハードな奴でした。でもすっごく面白い。生物学系のSFだ。私が個人的に読むSFの八割以上は神林長平で、神林長平は工学系のSFの旗手なので、すごく新鮮でした。

 さて。それより重要なことが一つあります。この作品。トラックです。最終日に突っ込んできた、二台目のトラックであると、他の皆様の同意が得られるかどうかは分かりませんが、個人的には判断いたします。

 さて、そう判断した時点で、「どうしてもこれを大賞に推したい作品」が、4作品となりました。どうしよう……。まあそんなことはおいときましょう。

 ところで、もしも御存知なかったらあれなので、トラックと言う概念について軽く説明します。「みんなで市民マラソンをしてるところにトラックで突っ込んできて、他の参加者を轢き潰し、そのまま走り去っていくみたいな、圧倒的に優れた作品」に対する賞賛として、当企画の派生元である『本物川小説大賞』の周辺で使われている言葉です。

 さてでは次、内容について触れていきます。神とは何か、という問題に対する、少なくとも私が知っている限りでは類を見ない、理知的で冷徹な、メスを入れていくかのような精緻なアプローチ。斬新でした。

 どうして「小説大賞やるよー。テーマは神ね。みんな応募してね」って言っただけのことで、これほどの作品を読ませてもらえることになるのでしょうか。感動と言うしかありません。

 そして、単に「SFとして優れている」だけではなく、小説としてもちゃんと温もりがあり、人の愛があり、文芸として優れている。ほとんど完璧に近い作品だったと思います。ああ。この企画をやってよかった。今、心からそう思っています。

偽の人食い:人類の元に届いた宇宙人のメッセージ。その手紙に従って宇宙人に会いに行く二人が出会ったものとは……というSFミステリー。

 告白すると、最初はノット・フォー・ミーな作品である、と感じ「ました」。

 そう、過去形です。

 単なる民間人の二人が、たまたま近くにいたから宇宙人に会いに行くことになったけれど、なぜか専門家が作った手引き書は用意されている……。

 という状況が飲みこめず、「なぜ〝たまたま〟この二人がここへ来ることになったのだろう」「そもそも銀葉先生と伽くんはどういう関係なんだろう?」ということが気になって、うまく世界に入っていけなかったのです。

 これが4話に入って「おっ!?」と変調。テーマである「神」についての語りがかなり良かったのですが、その後の展開も予想外のどんでん返しでたたみかけられ、最後に粋な台詞で締められて脱帽してしまいました。

「実はあの巨大構造物は……」「いやそれは無理あるでしょ」「でもそれは人類も同じでしょ」というやり取りの所は、た、確かに! という凄みがあります。

 なんとも面白い発想です。その上、彼らが出会った生物の正体を突きつけられた時は愕然としました。このような作品に出会えるとは、本企画に感謝です。

偽のお墓:近未来、地球外知的存在とのファーストコンタクトらしきものを描くSFミステリー。ダンゴムシのような姿の地球外生命体フファットを前にしての、伽君と先生の宇宙人談義からして面白いですね。近未来を舞台にした際の、世界観を補強するこういう問答のパートが、私はめちゃくちゃ好きなので、わくわくしながら読みました。

 神はただひたすらに神だ、の言葉が力強い。神とは何か? に対する究極の答えでもあり、どんなことがあろうと風化しない祈りである。

 神の前では祈るしかない。一種暴力的とも言える結論ですが、だからこその神だと突っぱねるのは、正直今回の参加作の中では最も神というものを真摯に定義づけたようにも思います。

『神様を神様足らしめるのは、神自身の全知全能ではなくて、神に相対する僕ら人間の、無知無能。』

 簡潔でありながら、わかりやすい一つの答えを、フファットとメガリスを巡る関係の末に描いてみせた。

 加えるならば、偶然というものもひとつの神であるのかもしれず、この状態をつくった偶然にこそ神を見出してしまう私です。

 最終的に神と信仰するものが更に別の者を信仰し、その輪が繋がっていく構造は面白く、こうした輪が、今後も世界に繋がっていくのかもしれない。

 2万字の短編とは思えぬ満足感がありました。好きなタイプのSFなので、できることなら作者様の描く色々な世界を見たいと思えたので、これは私の負けです(何の闘いか)。

 面白かったー!

パンドラの密室 ぎざ

偽の教授:今のうちにいっぱい言っておいたほうがいいんでないかい?

 リポグラムって概念、初耳だったので、正直読み始める前に解説文を読んで目を疑いました。まあ、お題に即していて文字数が合ってさえいれば別に何をやろうと自由ではあるのですが。

 で、読みましたが、確かになんか明らかに日本語が変です。下手なのではなく、リポグラムで書いている手前こうなっているのでしょう。しかし正直、これをどう評価したものか、判断に困るのも確かです。

 作品そのものは、えらくリアリティラインの低いミステリーだなとは思いましたが、まあ娯楽作として読む限りにおいてはよく書けていたと思います。

 今回、お題がスーパーヘビー級なので、軽いノリの作品が少ないので、一服の清涼剤というか、いや、一口の駄菓子みたいな温かさを感じる作品でありました。まあ、面白かったですよ、月並みな感想ですが。

偽の人食い:「な……なぜリポグラムを!?」キャプションを読んでまず愕然としました。特定の文字を使わない縛りの小説、読むのは初めてです。

 そして読み終えてみて、この落ちのためにリポグラムとパンドラだったのか~と納得。面白いことを考える人がいるものですね。

 ただ、キリスト教とおぼしき教会にギリシャ神話の箱があることや、それが何に使われていたかなど、ミステリー部分についてはかなり大雑把な印象があります。

 まあ、そこもまたギャグのうちということにしておきましょう。

「刑事事件を担っている課の刑事」「シレディンガーの猫」などなど、リポグラムによって発生した特殊な文字列に加え、自分を無形文化財と称する主人公、お菓子ほしさに上司を呼び出す部下と、ハリセンがいくつあっても足りない抱腹絶倒のコメディでした。ことあるごとに、スパーンスパーン二人をしばきたくなりましたね。

 大変笑わせていただきました!

偽のお墓:教会で起こった殺人事件を題材にしたミステリー小説ですね。ちょいちょいメタギャグも入る軽やかさは、好き嫌い分かれそうですが、殺人事件の謎が気になるようにページをめくらせるミステリーとしての体は成しているので面白い。内容はなかなかにコメディチックだが。

 リポグラムも試みていて、これが作品に対して何をもたらすのかと思ったら、最後のオチ。くだらねえ笑

 個人的には、一作くらいこういう肩抜いて読める作品があるとホッとしますね。それも参加が結構後ろの方だから余計に。

 深読みするなら、警察とうう存在が、法律というルールこそが、現代日本においては誰もが従うしかない神である、とそんなところでしょうか。

 二人の刑事と容疑者たちの軽妙なやり取りは、もっと洗練できるかな、とも思います。

 楽しませてもらいました。

王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問 こやま ことり

偽の教授:安息の娼婦よ誘惑の蛇まさぐって突き刺してさぐらせて闇の奥を

 いろんな意味でスタンダードな物語だなあ、と思いました。最後の方に仕掛けられているちゃぶ台返しは「おっ」という感じではあるのですが、そこまで含めても、スタンダードな物語だったな、という印象が総合として残りました。

 物語としてちょっとキツいのは、王子なる人物の人物像があまりにも救いようがなさすぎる点ですね。こう思うのはあるいは私が男で、そういう種類の男にシンパシーを、あるいは「反感を」、そのいずれもを、特に感じない精神性を持っているからかもしれませんが。

 この先はもう、ただの感想なのですが、この物語は弱い人々の物語だと思いました。王子も弱いし、異端審問官も弱いし、そして主人公も、弱いです。作者様がどういう意図をもってこのアリスというキャラクターを配置しているのかは分かりませんが、私から見ると、弱くて哀しい人間、という印象でありました。以上です。

偽の人食い:癒やしの力を持ち、聖女とあがめられるアリスが王太子を刺殺した。彼女は果たして悪魔に魅入られたのか? 異端審問官グレーテルにより記録=アリス一人の語りと、二つの新聞記事によって語られる、異世界歴史ミステリー。

 タイトルの段階でアリスがどうなってしまうかは一目瞭然なのですが、そこへ至るまでの問答が非常にドラマチックでした。問答と言っても、グレーテルの台詞は直接には書かれないのですが、二人のやり取りから舞台となる國での「神」と信仰の在り方が垣間見え、非常にやるせない気持ちになります。

 歴史的にも、政治と宗教の軋轢はひんぱんに起こる出来事でした。いかなる経緯で事件が起こったのか解き明かされた後、キャッチコピーの「嘘をつくのは誰なのか?」という問いかけがズシンと胸に沈みます。

 あくまですべてがアリスの語りと新聞記事のみのため、グレーテルの内心にはハッキリとしたことが描写されないのが、また作品に奥行きを与えていますね。

 序盤に入っていた聖句が、後の方で鋭くテーマに切り込んでくる点も素晴らしい! アリスの過去もふくめ、その残酷な運命があまりにも悲しいドラマでした。

偽のお墓: 異端審問ミステリー。なんだそれは、と言いたくなるけどジャンル分けするならそんな風。

 王太子を殺害した疑いを掛けられた聖女の口から語られる、事件と神の信仰についての問答が興味深い。本作もまた、作者の考える「神とは何者か?」の問いを、登場人物の口を借りて語った形式の作品でした。

 「神は、声を届けても、問いに答えてくださることは、ありません。」という聖女の言葉はなるほど、キリスト教をモデルにしている本作の宗教としての解釈の一つですし、町娘から聖女になった女の言葉として説得力がある。

 宗教において、何を神に裁かれる罪とするかという問答は、現代でも終わることがありません。本作で聖女が語る天国の門を通る資格のある者についての解釈は、実際にも議論されることであり「神」という存在とそれを信じる信仰の有りようが政治によって如何様にも変わってきた歴史を考えさせられずにはいられません。

 しかし、作品の構造として聖女の一人語りであることが、さらに思索を求めている。

 語り手が誰かに語り掛けるタイプの作品はどうしても「どこまでが本当か?」という謎を残しますが、本作においてもその謎は拭い去ることはできない。しかしそれが作品に深みを与えている、とも思います。

 正直、これは最後にどでかいのが来たなあと心躍りました。いやあ、最終日も何があるかわからない。

 企画概要でも言った通り、私自身も宗教の徒ですので、そういう意味でも考えさせられる作品でした。面白かった!!

明星戦争のあとで 藤田桜

偽の教授:こんな可愛い子が女の子のはずがない

 三十八作品(エントリー番号は39まで)に及ぶ第三回偽物川小説大賞講評もこれでラストです。つまり、とりを飾るのはこちらの作品。最終日の23:56、締め切りから4分を切って投稿されてきたという、おおとりの名に相応しい作品でございます。

 さて。一読して思ったんですが、イツァムナーフは男ですかね女ですかね?と思ったので最初からもう一度読み返しました。結論を言えば、性別を明記する記述はありませんでした。ふむ。

 で、タグを見るとこの作品は『マヤ文明風』であるらしいです。マヤ文明。アステカのことなら少しは知ってるんですが、マヤについてはあまりよく知りません。例えば、男性の王族が女性を「腹心」にするということ、江戸時代の日本だったら考えられませんが、マヤならあり得るのかもしれません。知らないので適当な想像を巡らせております。

 さて、マヤなわけですが、つまりあんまり一般的に知られていない題材なわけで、「下手な人間が書く下手な異世界よりも」心理的に遠いところを舞台にしているということです。にも関わらず、登場人物の感情がとてもイキイキしていて、エモいです。

 で、ここでやっぱり問題になってくるのはイツァムナーフの性別です。講評と言うより読書感想文なんですが、わたし思うんですよ。イツァムナーフが男で、王子の寵童であったのなら、二人は物語開始時点で既に肉体関係があるのだろうと思います。しかし女であるのなら、おそらく初めて関係を持つのはこの物語の結末部分です。

 いずれにしてもエモいです。かなりいい。とりを飾るには十分相応しい、いい雰囲気の作品だったと思います。えもえも。

偽の人食い:マヤとペテン地方という珍しい舞台の短編。

 タイトルにある戦争後、敗戦国の王子を主人公としているのですが、「戦争なんて負ける物じゃないなあ……」とつくづく思わされるような、辛いシーンが続きます。

 戦勝国には無理難題をふっかけられ、自国民にはあんな無能な王家はもういらんと言われ、頼れるのは幼なじみの腹心ただ一人。

 信じていた人に裏切られ、腹心にすら恐怖を覚えるほど追い詰められた主人公の姿は涙を誘います。そして明るい未来も見えないまま閉じる物語。

 そんなお話の中で、「神」というテーマの使い方は意外なものでした。それが少しでもよすがになるのであれば、まさしくそれは「神さま」なのでしょう。

偽のお墓:戦に敗れ、21代王ワク=チャン=カウィール王の殺されたティカルに残された王子とその腹心イツァムナーフの物語。

 二人の登場人物の確かな絆を感じられる作品でした。

 カラクムルとの戦の後、史実的にはティカルは衰退し、記録すら残らない暗黒時代へ突入したらしいですが、そんな後の時代が待っていてもお互いの存在がいて励ましあう二人が尊い。

 古代、王が神の末裔だった実際の時代を舞台としている読み応えのある歴史小説ですが、細かい実情はさておき、歴史の栄枯盛衰の中で生きる二人の関係性を描写することに心血を注いだであろう文章が心を打ちます。いいな。私だったら絶対蘊蓄入れちゃいたくなって文章量が膨張しまくるから。

 今回偽物川小説大賞参加作を読んできて思ったことなのですが、短編作品ってシンプルゆえの美しさって絶対読み手を引き付ける要素の一つになるんですよね。簡潔すぎて意味が通りにくかったらそれはそれでまた別の問題が発生するわけですが、本作の場合は二人の関係を読み、感じるにあたって足りない描写はないし、むしろ無駄な描写が削がれた文章として、完成しているように思います。別に歴史物と知らなくても、二人の愛を読み取るのに何の支障もないわけで。

 企画最後の最後の作品で、短編は奥深いな、ということを改めて考えさせてもらいました。

選考会議

 いちおうもう一度説明しますが、評議員メンバーは以下の通りです。

教:偽教授
食:富士普楽さん
墓:宮塚恵一さん

 なお、検索性を高めるため、作品タイトルに触れるところではほぼ例外なく正規表現を使っております。

 会議開始

教:せーの、と合図しますので、そのあとで大賞候補三選を発表してください。せーの!(おもむろに千石撫子が『恋愛サー〇ュレーション』歌ってる画像を貼る主催)

:『王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』、『大いなるものに捧ぐ』、『ミッシングリンク』。

:『ハデス・スキャンダル』、『虚ろなる者』、『王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』。

教:『大いなるものに捧ぐ』、『ミッシングリンク』、そして『猫の祟りと六代目』です。

食:これは……

墓:おっと?

教:王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』、『大いなるものに捧ぐ』、『ミッシングリンク』に各二票、『猫の祟りと六代目』、ハデス・スキャンダル』、『虚ろなる者』に一票ずつですね。では、二票の各作品の中から大賞・金賞・銀賞を一つずつ、そして一票の三作の一つを銀賞とし、残り二作品を銅賞としますので、各自みずから推した作品についてプレゼンをお願いします。お手数ですが、これこそがこの小説大賞の核と言うべき作業ですので。ああ、それとあともう一つ。ここに含まれない作品の中から個人賞を選出し、その個人賞の名前もお決め下さい。私は『不在』、「其の思索の確かな尊さに与ふる賞」にします。

墓:個人賞ですが『ケイオスワールド・ホープスエッグ』を推したい。一番自分の琴線に触れ、かつツッコミどころが少なかったやつです。「黙示録の獣賞」。

食:『天啓的な幸せ』で。「ペガサスの幸福論で賞」。

教:グッド。では、ハイパープレゼンタイムです。墓さんからどうぞ。

墓:大賞選考に関しては、一番推したいのが『大いなるものに捧ぐ』なのですが、講評と被りますが、ダンゴムシ型の宇宙生物により、偶然にもその形をなしたメガリス、その宇宙生物に神と見なされることとなった主人公という信仰の輪っかの発想は見事でしたし、メガリスという神が偶然によってうまれているということも琴線に触れました。後は宇宙の無機物生命体が神、というのは単純に僕が読みたかったものドンピシャだったのが高ポイント。自作の話になって申し訳ないですが、元々アカシックレコードを作るもととなった物質も、モノリスのように宇宙から降ってきたって設定詰め込もうとしてやめたので、似たような設定読めたの嬉しかったですね。以上です。

教:では私いきますね。「大賞選考についての偽教授の意見」。私の判断は大賞に『大いなるものに捧ぐ』。金賞に『ミッシングリンク』。そして銀賞に『王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』。ひとつ最初に言うことがあります。『大いなるものに捧ぐ』と『ミッシングリンク』は、構造的には似たところがあります。謎めいた導入から、読者を手探りで作品世界の中に導き入れていき、そして真相を明かしていくという構成の作り方が、共通性を感じさせます。で、その上で、両作品とももちろん「ベルト統一をかけた世界タイトルマッチを戦うに相応しいレベルで」優れた作品なのですが、「小説作品としての水準のたかさ」では『大いなるものに捧ぐ』に軍配があがる。それが私の判断です。「神というテーマに対する回答」の強さでは、両作品は互角だと思います。差がつくとすれば、小説作品としての出来ばえの差。これが「小説大賞」である以上、わたしはそのように判断します。さらに、この両作品が王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』より優れていると判断する理由も一つ説明します。それは『テーマに対する強さ』です。王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』も、もちろん平均点を越えるくらいのテーマ性を打ち出してきてはいるのですが、ニュアンスとしては「神」の物語というより「人」の物語、あるいは「信仰」ないし「信仰者」の物語である、という印象が強かったです。従って、テーマに対する鋭さという観点から両作品に劣るものであり、銀賞とする、というのがわたしの「判断」です。以上。

食:大賞ですが、私が挙げた三作から特に推したいのもの、となるとどれも悩ましいのですが……「神というテーマの消化」「物語としての面白さ」「小説としての完成度」「個人的好み」などなどを考慮し、『虚ろなる者』を選びます。まずキャラクター三人が非常に魅力的であり、ニザの決断とその最期、己の歪んだ心情を吐露するグクスによって「神」というテーマ性の表現とドラマが一体となっており、美しい細工物のような完成度の高さを感じました。巨岩信仰という珍しい題材も眼をひきますが、世界観の雰囲気が上質な文章で表現され、古代の中で取り扱われる「神」というものの在り方が好きです。

教:食さんは、自薦していないわけですが『大いなるものに捧ぐ』が大賞になるとしたらどうですか?

食:大いなるもの、序盤があまり乗れなかった点がマイナス印象になってしまったのですが、後半からのドライブ感と言いますか、「神」に対する回答があまりにも良かったので。大賞とされることについては異論ございません。

教:では、主催者の名をもって決定します。第三回偽物川小説大賞、大賞は
『大いなるものに捧ぐ』! では早速ですが、大賞の執筆者の方と依頼しているイラストレーターの方に連絡を取りますので、お二人はその間に金賞についての議論をお進めください。

食:金賞が『ミッシングリンク』、銀賞が王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』なのは特に異論はないですね。『ハデス・スキャンダル』には推したさもありますが……『ミッシングリンク』、文句なく受賞に値する作品だと思います。

墓:金賞は『ミッシングリンク』王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』のどちらかですね。個人的には自分であげた作品の中で順位をつけるのなら、1位が『大いなるものに捧ぐ』、2位が『王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』、3位が『ミッシングリンク』なのですが。

教:私は『大いなるものに捧ぐ』、『ミッシングリンク』、『猫の祟りと六代目』の順でした。

食:票が思ったより割れましたねえ。三人で作品に対するスタンスが大きく違うのが面白くもあり、選考が悩ましくもあり。波瀾万丈!

教:めっちゃ割れてる。大賞に推されてくる作品の評価すら割れてる。まあ
俺と同じような意見しか出てこないくらいなら頼んだ意味がないので、これでよいのです。

食:嵐こそ選考の花ですね。濃くて尖ってアクが強くて面白くて、良い企画でした(この会議時点ではまだ終わってないんだけど)。

墓:全体的にレベルが高かったからな……濃かった。

教:で、金賞どうしましょうか。私はもう講評込みで言い尽くすことは言い尽くしました。二択なので、私は『ミッシングリンク』に一票です。

墓:個人的に『ミッシングリンク』の方は、おそらく教授ほどのインパクトはなかったんですよね。神か科学か、また人類が進化していることによる世界に向ける衝撃、みたいなインパクトを、他の作品で受けたことあるから、みたいなデバフがかかってますね。

食:『ミッシングリンク』、最初「ここは異世界なのか? 地球ならばいつの時代なのか?」という所が終盤まで分かりづらくて。ネタを伏せたまま地球の何時代ですよ、ということを示してしまっても良かったとは思います。

教:俺は「そこがよかった」と思ってる。「異世界かな?」って本気で思ったもん。

食:個人的に、序盤から呑みこみやすい話を書くことを普段心がけているので、それがない作品に対して辛らつになりがちなのですね。「据わりが悪い」ことに耐えて読むことに私が慣れていないのだと思います。ただ、私は個人的に王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』は大好きですが、お二人の講評を読んで「人間の物語」という点でパーツが一つハマりまして。テーマ部分の評価点を少し下げました。ですので、銀賞という判断にも異論はありません。私の意見はこんなところですね。

墓:確かに神というよりは信仰、人の物語ですからね。

教:ふむ。ではこれも二択なので、決選投票いきます。また「せーの」で。せーの!(再び千石撫子が『恋愛サーキュ〇ーション』歌ってる画像を貼る主催)『ミッシングリンク』!

墓:王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』。

食:金賞:『ミッシングリンク』、銀賞:『王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』。

教:決定。金賞、『ミッシングリンク』。銀賞、『王太子殺害容疑にかかる聖女アリスへの異端審問』。では次に、『猫の祟りと六代目』、『ハデス・スキャンダル』、『虚ろなる者』の中から残り一つの銀賞を選びます。わたしからいきます。ハイパープレゼンタイム。「銀賞選考についての偽教授の意見」。正直こちらは強く主張するほどのあれがあるわけではないです。一番「欠点」が少ないのは『猫の祟りと六代目』だとは思うけど、銀賞は大賞とはちがいますからね……切れ味の良さでいえば、『ハデス・スキャンダル』、『虚ろなる者』、いずれも強い。甲乙つけがたいというのが正直なところ。ただ、まあ『猫の祟りと六代目』をいちおう推す理由ですが、それは「二万字の小説として完璧である」ということ。欠点はゼロで、過分も不足もない。娯楽的な要素の方が全面に出ていて、「神」というテーマを掘り下げた作品とみるにはちょっと厳しいんだけど、やはり「完成度の高さ」でこれを推しますね。

墓:銀賞ですが、『猫の祟りと六代目』を推します。これが一番エンタメとして完成していたと思うので。講評にも書いた通り「もっと読みたい」が欠点くらいには思ったので。

食:一本どうしても選ぶなら、私はやはり『虚ろなる者』で行きます! 先ほどもプレゼンしましたしね。

教:時間的には余裕ありそうなので、ちょっとそこ掘り下げましょうか。あの女は神なの? それとも毒使いが勝手に言ってるだけなの? 謎、ということなの? そのへんちょっと唐突な印象があった。急にアイヌ神話っぽくなった、って思った。何故急に本物の神になるのか。ぶっちゃければただのシャーマンなのに。

墓:本当に神のような力、超能力のようなものを持っていたのか? それは謎だが、そうしたことが理由で崇められていた者たちがいたのは確かだ、みたいな文脈で読んでましたね。

食:色んな人たちがアムヤにお願い事をしているけれど、明確に「癒やしの力」が働いたかどうか、という描写はないんですよね。プラシーボ効果のようにも見えます。はっきりした物証は、「貧しい土地の人が交易でやっと手に入れられる、超高級品であるザクロみたいなものがポンポン捧げられる」ほど彼女が崇められている、ということ、それに三つの部族を象徴する獣との逸話があるくらいで。このへんの「アムヤは本当に不思議な力を持っているのか?」という部分は、作者である灰崎さん自身もぼかしているのではないかと私は考えています。彼女は本物だ、と叫ぶグクスの言葉は彼個人の「悲恋」でしかなく、そうした人間ドラマに私は痛く感動しました。

教:私は「グクス自身も神である」と取りました。

食:おおっ!? その解釈は興味深いですね。

墓:ほう。それは僕は出なかった解釈。

教:グクスは彼女を迎えに来た天界からきて受肉した存在、と読んだ。アイヌ神話的なモチーフではよくあるはなし。

墓:あー。

食:私の解釈だとグクスはあくまで人間だから、あの後無駄に長生きして、老人になっても「ニザとアムヤ」のことをずっと引きずっている、というイメージで読み終えましたから、そういう不満はなかったですね。これは私にはない視点でした。

教:原文を読むと、俺が言ったようなことはまったく明示はされてないな。
行間を読んで解釈しているだけではある。こういうのやっぱ「講評をみんなお互い見てない」ということの産物。次も同じやり方で行こう。

墓:グクス、彼自身も神かどうかはおいといても、存在は結構謎めいているのは確かですね。彼女のことをよく知っているし、それを知っているのはどうしてかを考えると、そこも答えはない。

食:あいつだけ「鰐の部族の毒使い」は自己申告ですもんね。実は詐称の可能性もゼロではないか。『虚ろなる者』、そのまま読むことも深読みすることも出来る作品なのでやはり完成度が高い。『猫の祟りと六代目』は間のエピソードをもっと具体的にやって、もっと長い作品でやっても戦っていけるという気はしましたね。あえてコンパクトに圧縮された感じ。たぶんロングバージョンだと他の妖怪か何かも出るんだ、きっと。

教:まあ、あの男だよね。魚屋。もうちょっと掘り下げる余地はある。なくてもいいけど、やればできる。文字数の枠がなければ。

食:ですです。ラブコメとおタマ様でまだまだ良い出汁を搾り取れる。

墓:ロングバージョンで主人公と猫が色々な妖怪と交流していく様、ありありと想像できる。

教:では、そろそろ決めますか。『虚ろなる者』と『猫の祟りと六代目』で決選投票。せーの(みたび千石撫子が『恋愛サーキュレー〇ョン』歌ってる画像を貼る主催)『猫の祟りと六代目』。

『虚ろなる者』。

『猫の祟りと六代目』。

※この瞬間、全受賞作が決定しました。

教:ここからはトーク行きます。まず大賞作について。わたしあれ、一読して「二台目トラック」確信しましたが、お二人はあれトラックだと思いました?

食:後半で「トラックやんけこんなん」と思いました。メガリスが神さまなんだよ、な、なんだってー! までは予想出来たけれど、それができあがった経緯と、「メガリスにとってのフファット」で目ん玉こぼれ落ちましたね。

墓:僕は一番最後に読んだので、二人のトラックだ! の感想に引っ張られてる印象はありますよ。

教:受賞作の話はだいたいしたから、話題になってない奴の話でもしますか。どうしても触れておきたい作品がひとつあるんですが。『わたしの姉さん』。ジュージさんが大賞になるかもしれないという可能性、真剣に考えたし、その判断に間違いはなかったと今も思ってる。初期には三選にも入ってた。途中で脱落したけど。今回、ほんとみんなレベル高くてな。

墓:参加作の中でもかなり印象に残ってます。

食:「読者がこれを読んで脳内にどういう像を結ぶか」が計算し尽くされているのが凄いんですよね。漫画ではよく視線誘導の話が出ますが、ジュージさんは小説で視線誘導をやっている。小説で視線誘導できるってことは、「情報の明かし方が適切である」ってことで、それはつまり文章がめちゃくちゃ……巧いから、巧いんですね。語彙? やつはこの戦いについてこれないから置いてきた。

教:情報のあかしかた、今回はすごいの多かったね。『大いなるものに捧ぐ』が最強だけど。

墓:情報開示、『復讐の偶像』とか好きですよ。あれはそこまで本筋に重要かとそうでもないんだけど。そこも含めて怪奇ホラーっぽい。

食:偶像、実際の歴史を踏まえてああいう経歴があるって作者の武州さんが話しているのをたまたまTwitterで見て驚きましたね。すごく好きなポイントです。

教:ギリシャ神話つながりで、次は『ハデス・スキャンダル』について。『ハデス・スキャンダル』は直球っていうか、神々がスクラムを組んでアメフトしてるみたいな作品だったな。

墓:ハデス楽しかったなあ。ペルセポネーの力強さがやっぱり良い。コレーって呼ぶべきか。

食:個人的に、ハデスが推しギリシャ神なのもポイント高かったです。あのおてんば(古語)のコレーが、最後に大人の女性ペルセポネーとしてハデスに告白するの、旨がズギャーン! ってなりません? 私あんまり男女ラブコメ読まないんですけど、これは旨ズギャア! でしたよ。

教:今回、テーマがテーマだから、ラヴとか恋愛を主題にする作品あまりなかったが、個人的には『明星戦争のあとで』がエモエモだった。とりのやつね。

墓:エモをエンジンにしてる作風と言っても過言ではない。性別を明言しないって強さ、こういうのにも使えるんだな、と思った。

食:主人公が不遇すぎて不遇すぎて泣きましたね、あれ。腹心にさえ怯えを覚えるの、ほんと……二人で強く生きて……。偽教授の講評の「男同士ならすでに懇ろだけど、女だったらこの後が初めてだよね」という部分に膝を打ってしまった。それだよそれぇ!! そういうのが良いんだよぉ!!!! さすがの的確さでございました。

教:では、ここからは個人賞に推した作品についてのトーク。俺から。『不在』。正直「イスラムもの」、いろいろと事前に思うところがあったがいざ来てみると、とてもいい作品だった。地味にポイント高いのがコーランではなく『クルアーン』呼び。あと、掌編であることの強みというのを限界まで生かし切ってる。

食:短いけれど、「言葉」に誠実な作品でしたね。頑ななまでに潔癖な主人公と同じく、作品の文字一つ一つにまで、透徹した美意識がある。それ自体が、神に捧ぐ美術品のような。そんな印象があります。では次、『天啓的な幸せ』。最初に説明しておくと、私はいわゆるペガサス系を書いたりするタイプで、ペガサス好きな人種です。ですが、この作品は「ペガサスびいき」ではなく、最後の「幸福とは不幸の押し付け合い」という葛藤と、先がない世界への絶望、それに対する主人公の決断という一連の流れが非常に良かったので、個人賞に選ばせていただきました。作中で述べられる『小さな幸せ』が彼女たちの神によってもたらされるものなら、幸福と不幸の分配は、「神を共有資産としていかに分配するか」という葛藤とも読めるんですよ。その点で、あの作品はもの凄くSFしているんですね。それと、そういう世界観の中でキャラクターの名前が古風なのも好みでした。たとえば「遠止美(をどみ)」は祝詞に出てくる言葉で、おちの川に流れる水……えーとちょっとお待ちを。「出雲国造神賀詞(かむよごと)」〝すすき振る遠止美の水の、弥若変(をち)に御若変坐し〟 ちょっと祝詞の内容は詳しく読み込めていませんが、ようするに貢ぎ物によせて天皇をことほぐお祝いの一節です。 まあ普通に「澱み」のことである可能性もあるんですが、世界観を見るとなんだか意味深だなあと。こういうの好きですね。ふたなりについては嫌いじゃないですが、女性だけなら単為生殖可能にすれば良くない? とはちょっと思いました。遺伝子多様性の都合なんだろうけど。私からは以上です。

墓:『ケイオスワールド・ホープスエッグ』は、まず 怪獣物きたな! ってのが第一印象。それだけで私の中でだいぶ高ポイントを得ております。それでアポカリプス物ですからね。さらに掛け算で加点。あれを怪獣物ととるのは完全に私の趣味ですが。

食:グロテスクってストレートなネーミングがセンス良くて好き。

墓:グロテスクの正体も良いですしね。卵からあれがうまれて産声をあげた瞬間とか、リアルに肝が冷えました。だから好き要素しかない。

教:地獄だよね、あの絶望感は。小説でなかなか出せるものではない。

墓:希望が絶望に一瞬で変換される。それが登場人物にも読者にも伝わる。あの絶望感はすごい。

食:大丈夫かな? 本当かな? という疑念はずっとあったけれど、出だしがとっても軽いのもあって、もしかしたらという気持ちもちょっとあり。彼女たちに助かって欲しい気持ちもあって、それがああなったのと、そうなってしまった理由との絶望感が良かったですね……(つらい)。

墓:途中まで「いけるぞ!」感をしっかり出してましたからね。不穏さも当然あるんですが。

教:上げて落とす。最も残酷で最も手堅い。

食:難点を挙げれば、「願いを入力して調整する」工程が「相反する願い同士をすり合わせる」だと思っていたら、別にそんなことはしていなかった、という点ですね。ただ、その結果「すべての願いをかなえてくれる都合の良い神さまなんていないよ」というアンサーと結びついているから、それが悪いわけではない。実際、なんでも願い事言って良いよだと、そりゃ誰だって勝手なこと言うものですし。

墓:人間は見たくないものを見ない、の話としても好きですよ。見たくないものを見ないふりした結果、最悪の災厄がうまれちまった。

教:あー。神というか、信仰について。いいすか? 語って。『不在の神と地上の神様』でさ。「救ってくれなかった 神様なんていない」ってモチーフが出るわけだけど。私は信仰者なので、こういうのを「哀れだ」と思う。神は奴隷ではない。人間に奉仕する存在ではない。神が都合よく振舞うからという理由で信仰するのではない。神は自動販売機ではないのだ。でもこれ、「小説の講評であって宣教ではない」から、講評には書かなかった。

墓:私はヨブ書が好きです。

食:それは分かります。私も子供の頃、牧師夫人の母に「神さまは人間に仕えるものじゃない」ってよく言われました。

教:みんなクリスチャンなんだっけ? 私がカトリックで…

墓:私が福音派のプロテスタント。

食:私も一応洗礼済みプロテスタント。

教:そうなんだ。キリスト教徒三人で「神」主題で小説大賞をやってたんだ。SFが大賞だけど。

墓:すげえな(笑)

食:別に狙って集められたわけではないのが凄いですね。

教:うむ。第二回偽物川の参加者から選んで依頼しただけ。完全に偶然。で、だな。真逆にある『Schwanenritter』。好き。小説としては評価しないが、キリスト教の冷たさがすごく表現されてる。「お前の右腕が罪を犯すなら、切り落として天国へ行け」。それもまたキリスト教。

墓:あれ好きなんですよ。個人賞に推すか迷ったくらいには。

食:あー、確かに。聖書に出てくる試練とかエピソードの理不尽さによく似ていますね。

教:まあ、賞には絡めないけどね。賞には絡めないと言えば、『デッドコピー』。一人くらい挙げてくるかと思ってた。あのレベルの作品がレースにも絡まない。ほんと今回シビア。

食:「傲慢な作品」の正体には本当に驚きました。

墓:みんな待望していた、神と呼ばれる創作者の話。主人公も文章の中でさらっと流すんじゃないよ!

偽:『ビーとフラット』について。あまり星ついてないし、ツイッターでもあまり話題じゃないし、賞レースにもかからなかったけど、『大いなるものに捧ぐ』を読むまで俺の中で三選に入ってた。タイトルが強い作品は強いので強いです。エンターテイメント性は低いけど文学だと思うんだよね。

墓:タイトル強いですね。

偽:タイトルの強さで地味にやられたと思うのは『靴』。読んでから強さが分かる。

食:『靴』、講評を読んでから「ぐあー! タイトルそこまで読み取ってなかった! バカ!」って自分にビンタしたくなりました。我が身の不明を恥じ申す。

墓:ジュージさんの『手袋』のオマージュだったやつ。

偽:私から挙げたいのはラスト一つ、『羽化』。大賞に推す作品ではないが、インパクトはでかかかった。

墓:友達が神さまになっちゃったから始まるの、そりゃインパクトでかいんだ。一人称の語りで魅せる作品多かったですね、今回。

食:『羽化』は『天啓的な幸せ』とどっち個人賞にするかでめちゃくちゃ悩んでいました。

偽:三人称で神を語るの、ちょっと厳しいところある。造物主系は特に。

墓:個人賞で他に悩んだというと、『おぽぽ様はお呼びでない』。他も並べると『地球の最後は月の夜』『天啓的な幸せ』『復讐の偶像』あたり。

偽:あーあれ、設定はトップクラスに好き。料理の仕方はもうちょっと工夫の余地を感じた。

食:キャラクターの魅力が強くて面白かったですね!「お前を倒すためにトレーニングしているんだよ」が後で「爆裂暗殺拳」につながって、本当に爆裂したあああああ! という手の込んだギャグ、職人芸を感じる。

墓:キャラのやり取りが好きなので、短編にするにはもうちょっとエピソードのフォーカスを絞っていた方が良かった。

食:そうですね……好きだけれど、実際ちょっとバランスの悪さは感じます。

偽:作者の人がツイッターで書いてたが。タイトルを『おはようペペロンチーノ』にしたほうがよかったかもしれない、と。俺もそう思う。

墓:おはようペペロンチーノの方が好きだな(笑)僕もつい口ずさんだから。おはようペペロンチーノ。

食:た、確かに……自分で言いたくなりますよね、おはようペペロンチーノ!

墓:個人賞で他に悩んだというと、『地球の最後は月の夜』『天啓的な幸せ』『復讐の偶像』あたり。

偽:ふむ。さて、時間もいい感じになってまいりましたが、『トークライヴでは絶対にやれないネタ』をここでやっていきたいと思います。『ラヴィネの海戦』について。何回も挑戦したけど、死ぬほど目が滑った。

墓:同意。私も滑った。

食:私はすごく読みやすかったので、それは驚きですね。

偽:『コーム・レーメ』(第二回偽物川小説大賞大賞作品)と比較するが、『コーム・レーメ』は読みやすかったんだよね。方法論的にはよく似ているはずなのに、でもラヴィネはすべる。すごくさじ加減が難しい。それがアンブロシアの扱いの難しさ。

墓:情報の提示が多すぎたんだと思うんですよね。咀嚼する前に次の情報が入ってくる感じがした。それは良さでもあるんですが、僕は目が滑った。

偽:『コーム・レーメ』もキャラ滅茶苦茶多いんだけど、主役二人以外は影だった。ラヴィネはそうじゃなかった。

食:『コーム・レーメ』、あくまで「二人の女性の話」でしたからねえ。

偽:うむ。『コーム・レーメ』はそこがよかった。ラーさん氏、将来性があると思うので、悪い方に行ってほしくないんだ。だからシビアな講評を書きました。

食:ラーさんさんご自身は、大量のキャラクターを扱う能力自体はすごく高いと思うんですよね。短い間でもそれぞれの人物が印象に残りました。

偽:トークでやれないといえば、『そういえばあいつは』。結局、友達が新興宗教やってる話なの?

食:私はそう解釈しましたね。

墓:新興宗教の名前がただの英訳ですからね。

偽:もう一段、別の落ちが欲しかったな、正直。「あ、そうなんだ」で終わってしまう。次、『iは愛より出て哀より深し』。パスティーシュ。内容は好き。方法論はあまり評価しない。

食:全員が駆込み訴えだと突っこんだという点ではレアですね。

墓:iは結局、イスカリオテのiなの?

偽:多分ね。Iscariotだし。

食:一人称のIが最初に浮かんだけれど、やっぱり色んな意味込めているんだろうなあ。

墓:青は藍より出でて藍より青しのイジリでもあるから綺麗なタイトルだし、良い。

偽:では次いいすかね。『わたしのかみさま』。ホラーじゃないけど、ホラーより怖い。えげつなさならNo.1。

食:あれは……えげつないですね……

墓:すごいのがきたな、と思った。

偽:次、『夏の終わり』。ラビットパンチ。

墓:ずるい。

食:講評一回書いてから「夏野オワリ」概念を知りました。あれも候補作に入れてはいたんですが、他が強かったので外させて頂きました……それぐらい好きですね。

偽:あと『まいごのまいごのユースティア』『七色ルービックキューブ【読み切り】』、『ゴトーを待ち伏せながら』、『神様、もう一度だけ』『枝は腐っちゃただの土か』あたりについて。

墓:『ゴトーを待ち伏せながら』、化瓶が死んだとも読めます? そのあたりほんわかした感じ。

偽:わかんない。だからわかんないって書いた。

墓:『まいごのまいごのユースティア』の書き方好きだな。

食:『まいごのまいごのユースティア』はもうちょっとちゃんと講評書けば良かったのではないかと反省しております……

偽:『まいごのまいごのユースティア』なあ。意欲作なのは認めるが、やりたいことに技量が追い付いてないというか。『七色ルービックキューブ【読み切り】』はほんと、まったく分からなかった。わかんないときは「わかんない」が答え、それがきょうじゅ流。『枝は腐っちゃただの土か』もまあ、そうですね。『神様、もう一度だけ』は、真面目にちゃんと小説を書こうとしたことは評価する。

墓:『枝は腐っちゃただの土か』は文章は読みやすかった。

偽:文章がひどくて困る、ってやつ一つも無かったな。まあそもそも、「初心者歓迎」を掲げてないからね 偽物川は。そういう企画ではないので。

墓:そういやそうなのか。

偽:うむ。偽物川のコンセプトは「俺が投げたボーリングの球をバットで打ち返して見せろ」です。

墓:あはは。

食:うぉらぁ!(ゴキィッ)の心意気。

偽:ではこんなところかな。必要なことはすべて終わりました。今日はお開きということで。

墓:はいー。

食:おっと、時間が過ぎるのは早い。お疲れ様でした!

座談会について

 前回の偽物川は講評発表の時点をもって全スケジュール終了だったんですが、今回は少し違います。最後の最後、後夜祭的なイベントとして、Twitterのトーク機能「スペース」を利用して、主催偽教授がホストとなり、評議員三人によるトークライヴをすることになりました。2021年11月6日(土)21:00からです。会場はこちらです。

 いちおう、トークの内容についてリクエストを募集していますので、何かありましたらこちらへリプライで送るか、或いは私の匿名質問箱マシュマロへどうぞ。ただ、作品を批判するようなトークはしない予定になっておりますし、全てのリクエストにお応えできるわけではありませんので、そのへんはあしからず。それが終了したら、第三回偽物川小説大賞は全行程終了です。

(※座談会イベントは無事終了いたしました)

終わりに

 今回、一通り終わってしみじみと思ったんですが、賞レースにかかってる作品群を読み比べて、脳裏に浮かんだのはこの言葉でした。「世界ランカー級のボクサーは全員が天才だ そして 彼ら天才の中の天才だけに与えられるのが チャンピオンという称号なのだ」。

 今回の大賞も本当にすごい作品でしたが、大賞以外も本当に力作ぞろいで、密度の高い大会だったと思います。皆さま、本当にありがとうございました。

 最後に、第四回偽物川小説大賞について。これは、既に予定を練り始めています。なのでやります。ただし、どんなに早くても2022年の夏以降ですが。

 というわけで、これにて終了です。重ねて申し上げます。参加してくださった皆様、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました! ではアデュー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?