見出し画像

必要なことに必要な時間をかける

こんにちは。ざまたかです。
養護教諭にとっては毎年怒涛の春がやってきました。
身体計測の準備をしていたら、以前から心配していた30年物の視力計が壊れていて、慌てて近隣の学校に借りに行きました。
それもさ、また借りというやつだったんですよ(また貸しという言葉あるけどまた借りってあるのかな?)
なんで必要な機器すら揃えてもらえないんだ!とスタートから泣きそうですが、本当に今年で最後の健康診断にしたいと心から思いました。

娘が高校に進学したのですが、私立の女子校なのです。
入学式後の学活を見ていて驚いたのが、
提出物をとてもゆっくり集めていたこと。
多分、記入漏れもチェックしたのではないかな?
という丁寧さで。
私は毎年保健関係の書類を集めることをお願いするのですが、
記入漏れとの格闘に骨が折れるのです。
記入漏れしやすい箇所を手紙に書き、提出の前に生徒に確認させてくださいとお願いしているのにも関わらず、該当するところをまるっと未記入で出してくる生徒もいたりします。
一度集めてしまったものを返却すると、混乱が生じることがあるので
(「提出のチェックがあるのに書類がない」→保健室で紛失したのではないか)未記入の用紙をコピーしたものに記名と未記入のところに印を入れて渡しているのですが、帰ってくると原本に転記し、コピーを処分する手間もあるわけで。
おまけにたいてい期限までに集まらないので、健康診断のときに使えないこともしばしば(内科検診等の問診も含まれていたりするので)ああ、保健のことって大事にされていないなあって毎年確認してしまう作業なのです。
わかってるんですよ。担任にそんな余裕がないって。
集めるものはたくさんあるし、
準備期間は短いし。
でもね、娘の学校を見ていて「必要なことに必要な時間をかけたいな」ってつくづく思ったのです。
やることばかり増えて、「ハイ次!」とばかりにこなしていく、
「やった」ことが大事で内容は二の次。
こなせない子は「能力が低い」「特別支援」
で片づけられてしまう、そんな教育って何なんだろう?
プログラミングやICTを使った教育はもてはやされているけど、
その根本になるはずの「健康」はどこか置き去り。
かれこれ20年くらい「自己申告書」を書いているけど、
その根本になる学校長の「経営方針」に「学校保健」って言葉が出てきたことはただの一度もないな。
「体育的部活動」とか「教育相談」とか「特別支援」はあるけどね。
まあ、養護教諭は「保健室経営案」を出すのでそれでよいのかもしれないけど、年度初めの会議は時間も短いし、ゆっくり話す余裕なんてないですからね。
必要なことに、必要な時間を。
これ、きっと今年の自分のキーワードだなあ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?