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教育史としてコロナ禍の養護教諭を記録しておく④臨時休校中のこと

※ あくまで個人的な覚え書きです。
あれこれ情報が集まったり、思い出したことがあれば加筆訂正します。養護教諭クラスタの皆様、よかったらあなたの「コロナ禍」を教えてください。

2020年3月、突然の臨時休校。春休みに入院する予定の同僚に、「退院の頃にはコロナも落ち着いてますよ、きっと」なんて言ったのを覚えている。新型インフルエンザの時は、なんだかんだでタミフルが出たもんね、今回も病気の様子がわかるようになれば多分すぐ解除になるよね、と思っていた。人の動きが止まれば感染拡大も収束するのではないかという気もしていた。何せその1週間くらい前に、生徒に向けて「今のところ致死率も高くなく、重症化するのは持病のある人とお年寄りだと言われているので、基本的な感染予防(手洗い、人混みを避ける、睡眠をしっかりとる)などをして過ごしましょう」なんて話をしたばかりだったのだ。勤務についてはは出勤して仕事をしても、在宅でもよし、になった。タブレットを配布されていたし、夏に新システムへの移行が予定されていたので、データを移したりする仕事があったので、在宅時はちまちまと。保健だよりを作ったや検診の説明用のスライドを作ったり、そこそこやることはあった。当初は週2〜3くらいでは出勤していたと記憶している。とりあえずこれで「あいつのせいで〇〇できなかった」は回避できて安心した。

我が子達は家にいる生活で飽きちゃわないかな?と思ったけど案外気楽に暮らしていた。娘は中学校入学のタイミングだったのだけど、入学式は校庭で短く行われた。彼女が退屈しないように何か手芸の材料でも、ついでにガーゼマスクの材料も、と思ったらそれも手に入りにくかったのを覚えている。息子は呑気にゲームなどしていたが、学校から配信になる課題にアクセスできなかったりして苛立っていた。

少し様子が変わってきてのは志村けんさんの訃報が届いたあたりから。「え?死んじゃう病気なの?」という恐怖感のようなものが感じられるようになったし、そのころからいろんな情報が出てくるようになった。スーパーの買い物も控えるように言われたりして出勤も怖くて回数を減らした。スーパーの従業員さんや、宅配のドライバーさんたちも怖いだろうなあ、申し訳ないなあって思った。中学校は学年ごとの登校日があって、そこに合わせて出勤して生徒の顔を見るのは嬉しかったけど、小学校はむしろ仕事に行けない保護者のための預かりみたいなことになってて、学校の機能って託児だし、福祉なんだと感じた。「学びを止めるな!」と言われたけど、子どもの学びの保障ということであれば、地域の公民館などを開放して、地域に住んでいる教員が学校という枠を取り払って少人数で教えるみたいなことは災害の時にも有効なんじゃないかとも考えた。オンライン授業はこの時点ではあまりにも環境が整わなかったので、NHKの教育テレビ見放題の方が有効かも?とも思った。

病気への不安と恐怖もあったけど、日常がどんなふうに変わってしまうんだろう?と言うことの方が切迫感があったかも。ゴールデンウィークが終わる頃に息子の様子がおかしくなり、病院に連れて行くなんてこともあったし、(よかったらこちらをご参照ください)

ニュースでは9月入学の検討なんていうことも聞こえてきて、それは子どもたちが今学習が遅れていることと、海外の学校に合わせて、ということがごっちゃになっていたし(なんかドサクサに紛れてる感あったなあと思う)飲食店がデリバリーに移行したり、近所の人がランニングコースにしている公園の周りにランニング禁止の張り紙が出たら、本当にドタバタで、それまでの日常が戻ってくる想像ができなかったし、戻るのもちょっと怖い気がしていた。

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