見出し画像

専門性について思ったこと

「普通の人はどうするんだろうね」の普通の人って誰?
割とそんなことを考えながら日々生きている。

*

大体の場合、「普通の人」って言葉を使う時は自分が「普通じゃない」ことを前提に話をしているときだと思う。

僕が思うに、「普通の人」としてイメージされるのは以下のような人間だと思う。

・”普通”の生い立ちである。
・”普通”の仕事をしている。
・”普通”な生活をする。
・”普通”の趣味を持っている。
・”普通”の金銭感覚を持つ。

これらの条件にそぐわないことがある度に僕は「普通の人」を引き合いに出してしまう。

ここで、上記の条件を元に僕が想像した”普通の人”を具体的にしてみた。

両親から程よく愛され、公立校の高校大学を経て、家族を扶養可能な所得のオフィスワークに就職し、一般的な家族の扶養が可能な所得のオフィスワークであり、平日はスーパーでお惣菜と炊いた白米で食事を済ませ、YouTubeとSNSで一日を終え週末に友人と外食をし、1つか2つ趣味を持っていて、ブランド品の新作に憧れつつも自身はアウトレットで満足する金銭感覚を持つ。

でも、果たして上記のようなテンプレ人間は人口の何%を占めるのだろうか。恐らくそんなに多くない。みんな「色々」ある。

異常なくらい、好きなことがある人、
異常なくらい、恋愛している人。
異常なくらい、人付き合いが上手い人。

人の特性を模試とかの結果でよくある五角形のグラフで表してみると、必ず誰しも山と谷がある。
いつも想像に出てくる僕が”普通の人”と定義するのはグラフの谷となっている、”人生でハイライトされない部分”の平均値だったのだと気づいた。

*

駅から歩いてすぐのところにある店って、すごくインスタントで入りやすい。けど、なんか解像度が低い。そんな気がする。「なんでそこで手を抜いちゃうんだろう…」「なんか残念だな〜」とか、ほんのり感じてしまう。

逆に、駅から離れて少し住宅が増えてきたぐらいのところでひっそりと息を潜めて、いいお店って佇んでいる。大衆を避けるように。通な人しか辿り着けない場所に。

何故いいお店が全てにおいての勝者じゃないのか疑問に思っていた。
良いものは評価されるべきと。でもそうじゃないのは普通の人がセンスが無いからと決めつけていた。

でも、よく考えてみたら誰だって専門分野と専門外の分野がある。
僕も専門外の分野だと(知識が疎い故に)関心は薄いし違いもわからない。見えている解像度は低いまんまだ。僕の場合公共料金の契約なんかそうだ。よくわからないし、使えていれば良いから興味も関心もない、

「解像度は低いけど、でもまあ程よくいい感じのお店」を存続させるのは先程挙げた谷部分の平均として定義した”普通の人”であり、あらゆる人の”人生のハイライトではない”面なんじゃないかなって思った。

逆に、僕が思う「おしゃれな人」っていうのは全ての分野で専門的な知識を持っていて良し悪しの判別がつく。幾重にも重なって情報過多になったラベルの装飾に惑わされず、本質を見抜ける人のことなんだなあって思った。

そういう意味で、僕の当分の目標は「全てのジェネラリストになる」になりました。(自分で首を絞めていく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?