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春原さんのうたの感想とか

今日、友人である山階さんと午後から落ち合って、3時間強“春原さんのうた”の話をした。 

もともと別の人経由で“春原さんのうた”を知り、ポレポレ東中野で観た。その作品の衝撃を受けたのちにTwitterでフォロー内検索をしたところ、すでに4回目を観るところ、とのつぶやきを山階さんがしていたため、即座に連絡をして茶シバキの用事をこぎつけ今日に至る。

あまりに話が盛り上がり、会話の中で自分が思っていたよりも深く作品を味わう事が出来た。それを霧散させないようにと、慌てて文字を打っている。以下は、会話の内容を思い出しながら書いているためちぐはぐだが、読んでもらえるとすごく幸せな気持ちになる


きっかけは、フォローしている好きな写真を撮る人がリツイートをして感想を呟いており、関心を持ったのがきっかけだった。

TOHOシネマズとかでしか映画を見た事のないおれは以前よりミニシアターで上映する映画を体験としてやってみたい気持ちがあったのも相まって、いい機会だと思いその場で予約をして東中野へ足を運んだ。 だが、その初めてのミニシアターという思い込みが良くなかった。

ミニシアター=インディーズの映画という雑な認識があったため、開始早々やたら長い時間の流れや画角の変化の無さを自主制作の延長線の手垢なのかと思ってしまったのだ。あまりに浅い思考だったと今では思う。

映画を見ていくうちにその誤った認識はすぐ消え、作品の虜となった。

この作品は、短歌を原作とし、時間を作っている。
短歌のもつ、言葉という誰にも届く媒体で作品に落とし込み、読み手の中にある思い入れや記憶を糧に爆発する。そんな効果をこの映画からひたひたに感じた。

まず感じたのは、登場するキャラクターの踏み込みやすさだ。みな共通して“良い人”であり、挙動や表情を含めとても自然で、仲良くなれそうなスキがある。そしてそう感じさせる演技をしている。

バイクの音が異様に大きくて近くを通るだけで来たことが分かり、さっちゃんが家に人を呼べるような精神状態になったことを知り情緒がぐちゃぐちゃになってしまって泣き出して、特に話すことがある訳でもないのにお気に入りの場所へバイクでわざわざ連れて行ったりするおじさん。

マスクをした方が早いのに思考がおぼつかなく肘で花を抑えながら話し、さっちゃんにぶつかりながらも健気に撮影を続ける、若い青年。

待ち合わせの前に道案内をして、東京の駅の難しさを知らない人と話し合う友人。

いずれも「こういう人いるな〜」という気持ちにさせた上で、愛着が持てる。さっちゃんを心配し、優しく寄り添う。でもどこか不思議なところがあり、愛おしい存在になっている。

あるものをありのままに、自然に見せることがすごくよく出来ていて、パンフレットにある脚本にはない、本当の出来事なんかも降り交えているんだろうな〜というところも相まってすごく等身大な作品になっていると感じた。

いつも映画を見る時は「作品」として鑑賞に臨むというか、映画と自分を切り離して楽しむのが普通なのだが、春原さんのうたを見た時は自分の人生の地続きのような感覚があった。

葬式帰りの夫婦(夫婦かどうかすらも分からないが)が店に入る際に塩を持っていなくて、キノコヤ店主が明らかに調理用の塩を持って出てきて「あ・・塩・・」とおぼつかない様子でお清めをしてもらうシーン、
おじさんがさっちゃんをバイクで連れ出し、湖のほとりでぎこちなく会話するシーンなど、全てのシーンがあまりにおぼつかなくて、大きな進展はないけど時間はどんどん過ぎていく、今を生きる我々にとって、この映画は日々の暮らしに非常に近い時間だ。

作品として映画を作る際、このシーンにはこういうストーリーの要素を散りばめて・・このセリフの後には印象的なカットを入れて・・という、つくり手としての思惑が一切なく(もしくはないように感じるように作られている)時間軸も常に一定で、まるで望遠レンズごしの世界を見ているようだった。

映画を見終わってもその感覚は常にあり、東中野の駅のホームで電車を待っているときも映画越しの自分のような感覚に陥り、よく分からなくなってしまった。

それくらいこの作品は繊細に情緒をくすぐり、没入させる。
「泣いた」という感想はあまりに軽く聞こえるためあまり使いたくないのだが、泣いた。
帰り道に作品を思い出し、劇中の思い入れという行為に思い入れをしてしまい、涙腺が綻んでしまった。

登場人物が全員優しい心を持っており、ストーリー上でもしんどい状況は一切起きない。さっちゃんの持つ人柄がおびき寄せるのか、周りにいる人もいつも明るく、とても優しい世界だ。

ほんとうに心に残る、いい作品だった。この作品に出会えてよかった。とこのような感想を書くとあまりに陳腐な気がしてしまうが本当にそうなのでそう書くしかないのだ。


ちなみに今日寄った喫茶店も良かった。
蜃気楼珈琲というお店なのだが、店主が代わる代わるやっているお店で、今日は「moyori」というお店が入っていた。

アイスコーヒーと一緒に、チョコと小倉のテリーヌを頂いた

一つの作品で、こんな何時間も語らえることは早々ないと思う。だからこそ満ち溢れた気持ちになった。

パンフレット、買えばよかったなあと思う。

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